47  下級生カミングアウト 

 街のバス通りの銀杏の木が、いっせいに黄金色に色づいた。秋は深まる。

 進路指導も深まる。


「白井さん、高美展こうびてんに出した『少年とホルン』、暁の星祭に描いた『母子像』、まったく、ちがうタッチで、どう描くのか、どう進むのか、白井さんは迷ってるんだなぁ。いろいろ迷走できるのも、白井さんの年齢だからだもの。おおいに迷いなさいな」


 入江先生に言葉をもらって、亜紀は美術準備室を出た。

 その足で高等部棟に戻ると、ホルンの音が聞こえて来た。土曜日の午後も、吹奏楽部は部活らしい。

 それで、やはり、渡り廊下に桐野薫きりのかおるがいた。

 遠巻きに、ちらほらギャラリーまでいた。


 亜紀に気づくと、桐野は演奏の手を止めた。

「こんにちは。白井先輩」

 そっちが先輩のような笑みだ。

グランピング研修旅行、楽しかったですか」


 うなずいて答えとし、亜紀はギャラリーを気にしながら小声で言った。

「――会えたら聞こうかなと思ってた」

 

「なんですか?」

、ウソだよね」

「あれ?」

「――好みの方向性?」


 桐野が、『実は男性が恋愛対象なんです』と言った、あのくだり。それを亜紀は遠回しに聞いたつもりだ。

「ふっ、

 桐野は鼻でわらった。


「桐野君が好きなのは」

 亜紀は、自分なりの回答を導き出していた。

 すると亜紀の目の前が、いきなり真っ暗になった。

「妄想女子、黙れ」

 桐野が亜紀にホルンをかぶせたのだ。

「何も言ってない」

 亜紀の声がくぐもった。

「言いかけてた」



「なんか楽しそうだね」

 聞き覚えのある声が近づいた。

 亜紀がホルンを顔からずらすと、小日向こひなたがいた。

「ホルンが聞こえたから、桐野君いると思ってさ」


「白井先輩が、ぼくの思い人をばらすもんで」

「へぇ」

 小日向の目には、ふたりの仲の良さが過剰と見えて、流したはずが声が低くなっていた。

「言ってないから、小日向君――」

 亜紀は思わず救援を請うた。

「ほら」

 桐野が、悪戯いたずらっぽく笑った。

「ぼく、小日向先輩が好きなんです」


 小鳥のように、遠巻きのギャラリーがざわめいた。




 次の日から大変なことになった。

「もうっ、もうっ、一部女子が発狂してますよ」

 森夕貴もりゆうきが1年振りぐらいに、また牛になってる。


「桐野君が小日向先輩を好きだったなんて。でも、小日向先輩なら許せるか」

 福田副部長フクフクは喪失感をかみしめた。しかし、それをにして創作に打ち込むことにした。

「でも、白井部長、どうします? 勝てますか? 桐野薫に」


 森が苦笑いした。

「福田先輩。ものすご失礼。先輩が桐野薫の勝てるはずがないって言ってますよ?」


 後輩に言いたい放題いじられ、亜紀は撃沈した。

「いやー、そもそも、なんで、わたしが桐野君と小日向君を奪い合ってる設定」 


「渡り廊下で、桐野薫と白井部長が小日向部長をめぐって言い争いになって、白井部長は桐野薫にホルンで、ぶちのめされたことになってます」

 フクフク福田チマタのウワサを解説した。


「事実の齟齬ソゴあり過ぎ」

 亜紀、ため息しか出ない。



 そのゴシップは、先生方の耳にまで届いた。

 生徒指導室に生まれて初めて、亜紀は呼ばれることとなった。




 〈桐野薫きりのかおるへの事実確認〉

「本当です。自分の性癖に気づいたのは最近です。女子にまったく興味がわかなくて。カミングアウトした今後は自分らしく生きて行けたらと考えています」


 〈小日向理央こひなたりおへの事実確認〉

「桐野薫君とは後輩という関係性だけです。交際するなら女性を希望します。自分を律した学生生活を送ってきて、こんな確認をされるとは心外です」


 〈白井亜紀しらいあきへの事実確認〉

「渡り廊下の一件は、まったくのデマです。桐野君も小日向君も友人です。桐野君が小日向君を好きなら好きでいいと思います。そういうことで差別や中傷がされてはならないと思います」


 桐野薫、小日向理央、白井亜紀の、それぞれの風貌、キャラクター、エピソードから、生徒の多数が「ありなんじゃない?」と受け入れ態勢十分だったのが、あかつきほしらしいと言おうか。





 しばらくして、桐野薫きりのかおるはクラスメイトの福田敏子ふくだとしこから、『土曜日の放課後、礼拝堂に来てください』とだけ書いたメモを渡された。


(きれいなクセのある字)

 名前を書いていないのは、書いたら来ないとも考えたのだろう。

 桐野は、呼び出しの主を推察した。


 礼拝堂チャペルに行くと、背の高い男子と小柄な女子が門番になっていた。

「……」

 彼らは黙って、桐野をチャペルの中へ招き入れた。


 白い堂内は、祭壇を抱くように階段状の席が半円にしつらえてある。

 亜紀は祭壇の前、中ほどの位置に立って桐野を待っていた。

「やっぱり、白井先輩でしたか」

 へらっと桐野は笑った。


「誰にも聞かれないで話せるのって、ここかなって」

「神サマが聞いてるよ」

 桐野は混ぜっ返してきた。

「じゃ、神サマの前で、ウソは言わないでね」

 亜紀は、ぐっと本気の目をしてみせた。


高美展こうびてんのあの日、桐野先生の車で、わたしたち送ってもらった。それで、わたし、桐野君が誰を好きなのか、わかった」


「これだから、妄想女子はあなどれない。はしゃぎ過ぎたことは反省してます」

 桐野の口元が、ちょっと、ゆがんだ。


「男性が好きなんて、なんで、わざわざ言うのかなって思ったけど、そういうことにして、思い人に警戒されないようにした? 遠ざけたりされないようにって?」


「いや、小日向先輩のことは、ほんとに好きなんすよ」

「また」


「無理してるヒトって好きなんです」

「カミングアウトは、ウソでしたって、カミングアウトしようよ」

「いや、オレ、男の方が好きなんで」

 桐野は、そろっとかがんで亜紀の前に頭を下げた。


「白井センパイ。頭、なぜてもらっていいですか」

 さらりと桐野の髪が、亜紀の目の前に落ちて来た。


「そしたら、カミングアウトする?」 

「考えます」

 亜紀は自分の髪よりサラサラな桐野の頭を、よしよしした。


「——白井先輩は、もっと警戒した方がいいな」

 ひょいと桐野は顔を上げた。

 茶がちな桐野の目、その目が亜紀をのぞき込んだ。

「祭壇の陰の神サマに懺悔ザンゲします。本当は青木先輩の方がタイプです」


 がこん、と祭壇の陰で、にぶい何かぶつかる音がした。


「じゃ、行きます」

 桐野は階段を2段飛ばしに、のぼって行った。



「ばれてんじゃんか」

 祭壇の陰から、頭を押さえた青木が、そのあと小日向が出てきた。


白亜紀はくあき、何、タマシイ抜かれてるんだよ。桐野に何されたっ」

 小日向が、床にへたり込んでいる亜紀に駆け寄った。

「キ、キス……」

 亜紀は身体からだに力が入らなかった。


「ええっ」

されたっ。あんなのが小日向くんに本気出したら、勝てないよっ」

白亜紀はくあき、落ち着けっ。桐野は青木がタイプだって言ってたろっ」

 放心状態の亜紀を小日向は叱責する。


大概タイガイ、おまえら、おかしいぞっ」

 青木まで、わちゃわちゃだ。


「騒がないでくださいよっ。チャペルの私用がばれますよっ」

 森夕貴もりゆうきが扉から叫んだ。





 それから、12月の初めになって、桐野薫は休学届を学校に提出した。


「桐野君、海外の学校、行くって本当?」

 福田敏子ふくだとしこは、下校の坂道で桐野薫を捕まえた。


「うん、音楽留学。前から考えていたんだけど、やっと、決心できた」

「カミングアウトの訂正、しないままじゃん」


「いやー、ウソから出たマコトって知ってる?」

 意味深な言い方を桐野は。


「桐野君が桐野君なら、私は別にいい」

 福田の答えは明快だった。


「あんがと。やっぱり福田は福田だな。ちょっくら自分探しに行ってくるわ」

 桐野は、思いっきりネクタイをゆるめる。


「自分を探しに行ったって、海の向こうにはいないよ。桐野君は、ここにいる桐野君だよ」

 福田は、べそべそしかけた。

 桐野薫が行ってしまう。


 すっごくすっごく寂しいが、誰にも言うつもりはない。言えなかった。




 この年の聖夜礼拝ミサは、桐野薫のリサイタルかと思うぐらい、彼の出番が多かった。

 吹奏楽部でヴァイオリンを弾くは、アコーステッィクギターで聖歌を弾き語るは。

 そうして、桐野はあかつきほし学院を去って行った。

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