44  研修旅行のカレー

「それはキャンプじゃないのか?」

 数学の田辺たなべ先生が言った一言で、2-Cの生徒は笑い転げた。


 10月に行われる高2の2泊3日の研修旅行は、富士山のふもとでのグランピングだった。

 丸一日は英語漬けのイングリッシュ・グランピングにするのだと、英語担当教員たちは、で発表した。


「キャンプじゃないの?」

 亜紀も、そう言ったから山崎由良やまさきゆらが吹き出した。

「田辺と思考年齢、いっしょじゃん」


 この研修旅行のパンフレット制作のクラス代表に、亜紀は駆り出された。

 各クラスから数名が集って研修旅行準備会が編成され、本日、初回の顔合わせだ。

 Cクラスの役員は、会議場所に指定された視聴覚教室に早めに集まって、まず宿泊施設のパンフレットを見ていた。

 亜紀、青木、小島、由良の4人だ。


「は~、ヴィラだって」

 亜紀は心が浮き立つのを押さえられなかった。 

「ん? 部屋にある薪ストーブは生徒は利用禁止なんだ~」

 宿泊先の案内パンフレットとにはさまれていた、A4の〈注意事項〉にも亜紀は目を通した。


「うん、イモとか焼くヤツ、絶対いるから」

 小島が青木を見た。

「――なんで、オレを見るわけ」

 青木が不服な顔で返す。


「5人一組でグループ作るだろ。ベッド足らないとこは、シュラフで対応するんだね。あえて、シュラフってのもいいね」

 小島は楽しそうだ。

「シラフって」

 亜紀が質問する。

「シラフね、白井さん。寝袋。ミノムシみたいになるヤツ」

「そっか、シラフ」

「直ってない」


「小島君て、けっこう細かいね……」

 由良が、手入れの行き届いた眉をひそめる。


「——焚火とか、薪割りとか、バーベキューBBQとか、天体観測とか、コーヒー豆の焙煎とか、を愉しもうって。滞在型の研修旅行で時間の使い方を生徒自身が考えるというのがテーマだ」

 青木はパンフレットをていねいに読み込んだ。

 

「それって、みんなにはなんだ……」

 小島が静かにつぶやいたので、全員が注目した。

「焚火とか、薪割りとか、オレ、家でしてるし。朝早く家出るから、空に星も、まだあるし。朝焼けを見ながら駅でモーニングコーヒー飲もうと思えば、飲めるし。親父の仕事は焼肉屋なんだ。両親とも店で忙しいときはさ。幼稚園児の時から店に行って、ひとり焼肉してたぜ」


「はじめて聞いた」

 青木が小島を、まじまじ見た。


「通学時間1時間超かかるから、学校でしゃべってるヒマ、あんま、ないんだよね」

「あー、それで帰宅部か」

 青木は、帰りのホームルーム終わったとたん、教室からいなくなる小島を思い出していた。

「街の学校に憧れて来たんだ。なのに、この研修旅行じゃ、オレ、日常じゃん」


「——では、焚火とか薪割りとか、小島君、得意なんですね?」

 亜紀の顔が、ぱぁっと明るくなった。

「まぁ、人並みには」

 小島の言葉は謙遜けんそんだろう。

「わたし、小島君といっしょの班になりたいです!」

 亜紀が勢い込んだ。


「あっ、白井さんたら。わたしもッ。小島君と同じ班がいいッ」

 由良も、すかさず手を挙げた。


「お前ら~」

 青木が女子どもをねめつけた。

魂胆コンタンは、お見通しだぞ! 小島を使ってラクするつもりだろ! の前に、女子は男子と組めねー」

 青木が椅子から、がたんと立ち上がった。

「小島、オレと組もう」


「青木君こそ、ずるっ」

 口を尖らせた映見さんが、小島君に向き直った。

「小島君、助けに来てくれるよね」

 小首を傾げて、見え見えのお願いポーズをとる。

「いいよー。困ったら言って来て」

 まんざらでもない様子で、小島は請け負った。



「すでに楽しそうだなぁ。Cクラス」

 そこに、Bクラスの面々が合流してきた。

 新田暁にったさとるだ。

白亜紀はくあきさんもか」

 新田は亜紀に目を止めた。

 ニックネームで呼んでくる割りに、目線が冷たい。


 亜紀とは、ほとんど私語も交わしたこともないのに、新田は〈暁新世ぎょうしんせい〉として亜紀と〈古代地層ユニット〉を組んでいると主張している。

 ユニットが機能していない理由は、あと、ひとりの〈ジュラ〉なる人に完全に黙殺されているからだという。

(うん。わたしも小日向君が言い出しっぺでなかったら、無視するな)


「Aクラスは、社長出勤?」

 Bクラスが、お約束のA特進クラスへの自虐ネタを出したところで、「すみません。遅れて」、小日向こひなたとAクラスの面々が教室に入って来た。

 小日向は少し上気までしていたから、何かの用事があって、それを急いで切り上げてきてくれたのだろう。


「いや、今、はじめたところ」

 新田が、にっこり小日向に笑いかけた。

 なんだかんだ言って、この男子は小日向の友人小日向大好きだ。

「よーし。楽しい研修旅行にするぞ、おー」

 新田が主導権を取る。

 基本は、いい人なのかもしれない。



「ねぇ、亜紀ちゃん」

 亜紀は会議のあと、由良に、こしょりとつぶやかれた。

「……Aクラスと接点あるといいね」


「ん?」

「もーお、とぼけちぇってぇぇ。……小日向君のことだよ」

 由良は大きくなる声を収めた。

「……好きでしょ、小日向君のこと」

「ひゅ」

「空気抜けるような返事しないで。大丈夫、大概たいがいの女子は小日向君のこと、好きだから」

「そうなんだ」

 〈小日向の乱〉の小日向だもの。


「まぁ、しを愛でる感じの女子が、ほとんどかなー。小日向君、真面目くんで面白みには欠けるから」

「ディスってます……?」

「ほめてるんだよぉ。ま、がんばろ。わたしも、なんか、出会いに期待するよー」

「う? うん」

 なんだかわからない内に、亜紀はがんばることになっていた。




 

 研修旅行のチャーターバスに乗って、宿泊施設に着くと、バスから降りた生徒たちに歓声が上がった。

「富士山、近ーい」

「ひゃー、森よ、森」


 泊まるところはコテージになっているヴィラが女子グループ優先で、ドームテントのパオは男子グループに推奨された。

 ここでも女子校の名残というか、女子優先不文律が発動したようだ。

 亜紀のいるグループは、ヴィラを希望した。引力だろうか。由良以外は、ほどよく引きこもりっぽい女子が集まった。

 ヴィラは独りになれる空間と、気が向いたらつるめる空間があって、女子たちのテンションは、あがりまくった。

「住みたい。ココ、住みたい」


「あー、横にならして。私、つらっ」

 早速に、生理痛の女子が安静を選んで、ベッドに倒れ込んだ。

「薬で遅らせようとも思ったけど。あれ、私、副作用出るから。どっちにしても動けんくなる。ごめん~」


「いいさー。休みたまえ~」

 由良が気づかっている。

「食欲はある? 今日、カレーだよ」

 亜紀も聞いた。

「白井さんて、食べ物最優先か」

 安静女子にツッコまれた。




 午後3時、安静女子を除いた4人で、管理棟まで夕食の材料を取りに行くことになった。

 調理台の上に、ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、豚肉、定番材料が並んでいる。

 カレールーは、いろいろ。


「おーい」

 ちょうどいた小島君が話しかけてきた。

「もう米、軽く洗って水につけておくといいよ」


「小島君、炊飯も詳しいの」

 由良が身を乗り出す。

「米、2時間くらい水につけといて、一回水切って、鍋で、米と同量の水で炊くと、そんな失敗ないよ。炊飯器より炊けるの早いし」

 なおも、小島は続けた。

「炊事場のコンロ、米炊きモードあったら簡単なんだけどな~。あった?」

「まだ見てない」

「とにかく、焦げた臭いしなければ大丈夫だからね」


「小島ー」

 青木が向こうで呼んでる。

「じゃ」

 小島は、ニンジンや玉ねぎを抱えて去って行った。


「かっこよくない?」

 亜紀と由良は、同時につぶやいた。



 そして、カレー。

 それは、大体の者がうまくできるメニューだ。

 それでも、全員、厨房に入ったことがないBクラス男子グループが、しゃばしゃばのカレーを作ってしまったらしく。

「ちょっと、とろみ交換してくんない」と、たまたま、作業が隣だった亜紀のグループに声がかかった。

 しゃばしゃばのカレーと、とろみのあるカレーを交換している内に、とろみがちょうどよくなるというのが、彼らの説だ。


「中堅大学志望者の集まりらしい考え方……」

 由良は、けっこう、シニカル皮肉屋さんだった。

「言うな」

 むせび泣くBクラス男子。

「でも、けっこう、好きかも。スープカレーっぽいよ」

 亜紀が、しゃばしゃばカレーを味見した。

「え、天使?」

 Bクラス男子グループの何人かの目が、春色を帯びた。


「白井さん、何、好感度アップしてるの。じゃあさ、思い切ってうちのと全混ぜしようよ」

 由良の提案にグループの他の女子二人が、即同意した。(安静女子除く)

 女子は高感度アップに弱い。


 それを小耳にはさんだのが、Bクラスの女子だ。

「え? なんでBクラスがCクラスのカレーと混ぜようとしてんの。混ぜるなら、Bクラス女子のカレーでしょ」

「そ、そう?」

 Bクラス男子は、自分のクラスの女子に圧倒されている。

「うちは申し出を受けただけだけど?」

 由良が、むっとしている。


「つ、つまんねぇことでBクラスとCクラスの女子が、にらみ合ってまぁす」

 小島から青木に連絡があった。


「で、どう収めたの」

 青木が亜紀に聞いてきた。


「私たちのカレーも少し提供して、Bクラスの女子グルーブのカレーを大目に混ぜて解決。結果、なんか、おいしいカレーだった」


 それは、本当においしいカレーだったから、研修旅行の伝説として次の代に言い伝えられたという。

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