43  過ぎ行く秋

 亜紀の『少年とホルン』は、高美展こうびてんの地区展覧会で上位の優秀賞に選ばれた。


(どうにか、目標達成)

 邪念と言われようと、美術部部長として選ばれたかった。

 美大を目指すなら通過点にしたかった。


 高美展は週末をはさんで公開される。

 生徒休日の土曜日、いちばん乗りで亜紀は観に来た。


 「自分の鼻をへし折られること」入江先生に、そう言われたことがある。

 はじめてのアクリル絵具を亜紀は使いこなしているとは言い難かった。熱量で押し切ったようなものだ。作品というより格闘した跡地だ。

 「それが白井さんの持ち味でもある」そうも、入江先生は言ってくれたけど。


 今、亜紀の手には銀の星のシールが1枚あった。受付でもらった。

 『あなたのお気に入りの作品に一票を』という企画だった。

 亜紀は自分の作品のところへ行くと、タイトルの余白に銀の星を貼った。


「貼るんだ。自分に」

 かるい笑い声に亜紀は、ふり向いた。

 桐野薫きりのかおるが立っていた。

 がーっと、亜紀は真っ赤になった。


「いや、もし、1個、も、シールもらえなかったら、さすが、寂しいか、と」

「はい、これで2個」

 桐野は、手につまんでいた銀の星を、さっき亜紀が貼ったシールの隣りに貼った。


「観に来てくれたんだ」

「自分がモデルになってるんです。気になるでしょう」

 桐野は、しげしげと亜紀の絵を観た。

「こんな風に先輩には、自分は見えているわけですか」


 青い絵の具の濃淡で少年は描かれており、ホルンは金管楽器というより木の枝のような質感で少年と同化していた。使う絵の具の色を抑えたのは、初心者ならではの策である。

「あ、わたしの妄想フィルター通してるから、桐野君そのものではない」

暁の星祭あっちの絵も好きでした。母子像? オレ、わけのわかんない絵って好きなんです」

「ありがとう」

 どうやら、天然同士の会話らしかった。


「福田も入賞したんですよね? 福田の絵はどこに」

「福田さんね。デザイン部門だから」

 亜紀と桐野薫は、隣のデザイン部門のフロアへ移って行った。


 福田敏子の絵はペン画だった。朱に近い赤を効果的に使ってある。

「ビアズリーが好きだって。それっぽい」

「そうそう。アーサー王のお話も好きって」

「外見から想像できない夢想家ロマンチスト

「桐野君」

 亜紀は、桐野をどついたろかの寸前で、手を止めた。


「もう一枚シールあったらよかったな」

「そだね」

 亜紀も反省した。

(後輩の作品に、エールを送る意味でシールを貼るのが部長であった。ごめんよ、フクフク)


「そこの二人、おどきなさい」

 清廉なチャペルの鐘のような声がした。

 振り返ると桐野先生がいた。

 亜紀と桐野が、ざっと絵の前を開けると、桐野先生は福田敏子のタイトルに銀の星を貼った。



 その帰り道、亜紀と桐野は桐野先生の車に乗っていた。

 助手席に亜紀、亜紀の後ろの後部座席に桐野だ。


叔母おばさんのクルマに乗るの、久しぶりだな」

 そう言う桐野に、そうだ、この男子は桐野先生の甥っ子だったと、亜紀は思い出した。

「桐野君、桐野先生と呼びなさい」

 ぴしっと桐野先生の注意が飛んできた。



 高美展こうびてんを観終った後、桐野先生は亜紀を車で送ると言った。

 二人のホームは、オーロラ寮だから。


「オレは置いてけぼりですか」

 桐野が異議を唱えてきた。

「白井部長からもお願いしてください。モデルになったお礼はするからって言いましたよね」

「たしかに言った」

「桐野先生に『桐野君も車に乗せて帰ってください』ってお願いしてくださいよ。それがモデル料ってことで」


「き、桐野君も車に乗りたいそうですよ」

 亜紀は遠慮がちに、桐野先生に申し出た。

「はぁぁぁ」

 桐野先生は、じっとりとした目線で盛大にため息をついた。


 学校で、こんな桐野先生の対応に合った日にゃ、らしちゃうと思うけど、桐野は薄笑いを浮かべていた。

「ふたりとも歩いて帰れ」と言われるのを亜紀は覚悟したが、桐野先生は無言で、車のうしろのドアを開けた。


「Sit.(座れ)」

 桐野先生の声に、しつけられた犬のごとく、桐野は嬉々として後部座席に飛び乗った。


(うわ、しっぽ見えた? 今)


「白井さんは助手席に乗って」

 桐野先生は助手席のドアを開けてくれた。



 高美展こうびてんの会場から寮までは30分くらいだったか。

 桐野薫が、しゃべり続けること。


「桐野先生、今でも、〇〇ヶ谷姉妹のライブ、観に行ってるんですか」

「桐野先生、正月は旅行に行くんですか」

「桐野先生、映画、何か観ましたか」

「桐野先生」


「うーるーさーい」

 ばっさり、桐野先生に斬り捨てられているが、まったく、桐野は、めげた様子がない。

 うしろの席で鼻歌まで歌っている。たぶん、吹奏楽のパート。


「そういえば、白井部長。小日向こひなた先輩と青木先輩と、この間、話す機会があったんです」

「そうですか」

 亜紀は、小日向のおぼろな笑顔を思い出した。


「小日向先輩って、一部の女子に〈ミマツマ(美馬の妻)〉って尊ばれているって、知ってました?」

「知らない」

「ふたりってウワサ通り、そういうだったりするんですか」

 桐野は、〈仲〉という言葉を意味深に強調した。

「か、考えたことなかった」

「ぼく、実は男性が恋愛対象なんですよね」

 車が一瞬、横揺れした。


「ええ?」

 美少年に言われると説得力、半端ない。


「――青木君と小日向くんは、と思う」

 亜紀は、ちゃんと考えて答えた。


「桐野君~~」

 運転席の桐野先生がうめいている。

「あ、両親には内緒にしていてくださいね。桐野


(なんだかなんだかなんだか)

 亜紀は、空気を読もうとしたが読めない。


 


 桐野先生の車はバス通りから坂道に入り、あかつきほし学院の正門前で右折した。


「このへんで降ります」

 桐野が、そう申し出た。

 

 桐野先生は寮へ至る坂道へ左折して、学院の裏門に沿って車を停めた。

「ありがとうございました。桐野先生」

 桐野は、その細身な身体をひるがえすように車から降りて行った。

「気をつけて帰りなさい」

 桐野先生は進行方向を向いたままだ。

 そして、車は坂道を徐行でのぼって行った。亜紀は首が曲がり切らなくて確かめられなかったけど、桐野は、桐野薫きりのかおるは車の後姿を見送っていると思った。

(忠犬のごとく)


 寮の駐車場に車を停めると、まず、桐野先生は、また盛大に、ため息をついた。

「お見苦しい物をお見せしたわ。白井さんの胸にしまっておいて」

「桐野先生が〇〇ヶ谷姉妹を好きなことですか」

「そこ含めて全部」

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