35  ホルンと青椒肉絲

 放課後の高等部棟に、ホルンの音色が聞こえてきた。

 今日は雨の音も混じっている。梅雨に入ったのだ。


 亜紀は美術部部室から出て、音色をたどった。渡り廊下に音の主はいた。

 高1の桐野薫きりのかおるがホルンを手にしていた。桐野先生の甥っ子だ。


「うるさかったですか」

 突然、ぴたりと音が止まって桐野が言った。

 亜紀に話しかけたのだとわかるまで、4秒ほどかかった。


 と、た、たん。

 雨が、渡り廊下の屋根をたたく。

「き、きれいな旋律だと思って」


「パヴァーヌのパート」

「ぱば——」

 亜紀は桐野から目を離すことができずにいた。


「パヴァーヌ」桐野に返されて、我に返った。「邪魔しました。ごめんなさい」回れ右、した。

「いいえ。休憩したかったところです」


「休憩?」

 亜紀は、ゆっくりと桐野を振り返った。

 その目が、きらんと光を宿した。


「じゃ、ちょ、そのままで! 待っててっ」

 亜紀は、ダッシュで美術部部室へ戻って行った。


 駆け戻って来た亜紀の手には鉛筆とクロッキー帳が抱かれている。

「きゅ、休憩中なら、描いてもいい?」


「かまいませんけど」

「ホルン、吹いてるとこ」

「え、休憩にならないじゃないですか」

 桐野の目が、けぶる。

「そう?」

 小動物のように首を傾げた亜紀に桐野は、かるくふき出した。


「聞いたことありましたよ。白井部長、絵に関してはサディストだって」

「そうなの?」と言いながらも、もはや、亜紀は鉛筆を動かしはじめている。





 その日のオーロラ寮の夕食の時間だった。

 カウンターの並びで、亜紀は奥山晴香おくやまはるかの後ろになった。

「这道青椒肉丝チンジャオロース里有很多甜椒ピーマン——」

 奥山が、ご飯係の厨房スタッフに、どこかの言語で話しかけていた。


「——β-胡萝卜素ベータカロテン对身体有益」

 厨房スタッフからも、どこかの言語が返ってきた。


「あっ、ちゅ(中)、ライスでっ」

 亜紀は気を取られて言いそこねた。大盛りライスを手渡された。


 亜紀は奥山にくっついていき、同じテーブルにつく。

「奥山先輩、あれは中国語ですか? しゃべれるんですか?」


「スイスでは、だいたいの人が3ヶ国語、話せる」

 奥山はメインデッシュの青椒肉絲チンジャオロースを箸でひとつかみ、まず白飯の上にのせた。

「ほぇぇ」

 亜紀は感心のあまり、変な声を出してしまった。

「あの、ご飯係の人さ。台湾の人なんだけど。お里にいる、きょうだいかな? 白井に、ちょっと似てるらしいよ」

「そうですか」

「で、つい、ご飯を大盛りにしてしまうんだと言っていた」


 ご飯大盛りな理由が、ついに解けた。






※外国語に関しては翻訳機能に頼っております

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