24  中学クラス会

 小日向こひなたからもらった画集は寮の舎監室に預けて、亜紀は家に帰った。

 あの本を家に持ち帰るなど、そんな危険を犯してはならない。

 事実、亜紀の部屋のクローゼットは結構、整理されていた。

(そりゃ、中学の体操服とか、もう着ないけど)


 そういえば、洋服も母の見立てでしか買ったことがなかった。 

 服を買うときは、いつも母がいっしょだった。

 店員さんは亜紀に話しかけるけど、母が割り込む。

 亜紀が選んだ服に、母は「う~ん」と首をかしげる。試着して見せれば、「今イチね」と言う。

 結局、母の選んだものになるのだ。

 そのあとで、「はっきり自分の意見を言いなさいよ。店員さんも困ってたでしょ」とくる。 

 クローゼットを見渡しても、そんな思い出しかない服だ。母がいらないと思ったなら処分すればいい。


(これからは、自分のおこづかいで買えるモノを独りで探そう。基本、ジャージがあれば万能かな)

 今さらながら、独りでやっていこうとすると、奥山部長になるのだとわかった。



 そして、朝、遅めにリビングに顔を出した亜紀に、母は黙っていなかった。

「ず~っと家にいるのね。遊びに行く友だちもいないの」 


 夏休みは、中学のクラスの集まりに行くと言ったらヒマ人扱いされたのを、亜紀は忘れていない。

 でも、たしかに学校が終わってまで会う友だちがいなかった。

 ずっと独りで絵を描くか、本を読んでいた。それが楽しかったけれど。

(受け止めよう。ほんっとに、わたし、友だちいなかった……)


 じゃあ、どうしたらよかったんだろう。

(もっと他の人のことを、気にかければよかった……) 


 携帯には、年末の中学クラス会のお知らせが来ていた。

 なつめ先生が幹事の一人だから、亜紀にも届く。

 会場は、やっぱり駅前のあのカラオケ屋だ。


(行ってみよう)

 亜紀にしたら、一大決心だった。





 カラオケ屋の自動ドアを抜けたとたん、「白井さん!」と女子の声がした。

「えっ、ほんとだ」


 見覚えのある女子ふたりがいた。

「ごぶさたしてました」亜紀が挨拶すると、「うわ、その感じ、白井さんだ」と、髪の短い方の女子が、けらけら笑った。


 ロングヘアの宗田ソウタさんと、ショートヘアの久米クメさん。

 比較的、話したことのある女子に最初に出会えて亜紀は、ほっとした。


「平気? 椎名しいなさんも来るんだけど」

 宗田ソウタさんが、小さい声で言った。

「シイナさん? え~と」

 とっさに顔が浮かばなかった。それを察した久米さんが、「忘れた? 白井さん。あれだけ、いやがらせされて?」と言ったから、久米さんは宗田さんにはたかれた。


 そこへ、「早いね~。おまえら」と、男子が、ぞろぞろ入って来た。

「三原先生は急な用事で欠席でーす。あと、椎名シーナたち、もうちょっとあとになるって、あ!」

 男子が亜紀に目を留めて、目を丸くした。


(やっぱり、わたしって、ヒトだったんだ)


〈おとなしくって、何を考えているかわからない白井さん〉で、〈みんなの集まりは欠席する陰キャ〉だ。亜紀は肩をすくめた。

 でも、今日は〈みんなの集まりに参加する陰キャ〉には進化できたはずだ。


「すいません。わたし、15時で帰ります」

 亜紀は帰る予定を幹事の男子に伝えた。

 母は、亜紀が出かけることに不機嫌だった。最後は渋々、「暗くなるまでに帰って来るなら、いいわ」と、お許しが出た。


 それで、頃合いを見て、亜紀が曲の合間に帰ろうと立ち上がると、「白井さんも歌って~」と久米さんに袖を引っ張られた。

 それで歌った。

 夏休み、なつめ先生が次から次に歌ってくれた、そのときの一曲。およそナツメロ(懐かしのメロディ)を。

 歌い終わったら、宗田さんと久米さんには挨拶して部屋を抜けた。


 外は寒そうだ。

 チェックの長いマフラーを、顔半分隠れるくらいぐるぐる巻きにする。

 出口に向かうとき、待合にたむろってる女子が見えた。おぼろげに、亜紀は彼女たちを覚えていた。


「シーナ、そろそろ行こうよ」

「待って。今、クメちゃんからメールが来て。『白井、キタ』って」

「白井さんが! へ~」

「白井の歌、はじめて聞いたって。いつの時代? って歌を直立不動で歌ってたってさ」

「うわ。見逃し配信してほしい」

「白井、夏はクラス会、来なかったから、私立行った方は、うちらとはお話しもできないんだと思ってたけど~」

「あっちの学校でも、いてるんじゃない?」

 きゃはは、と女子たちは笑った。


 亜紀は自動販売機のドリンクを選んでいるふりをして、彼女らに背を向けた。元クラスメイトたちは、亜紀のうしろを通り過ぎて行った。


黒歴史クロレキシ

 突き刺すような寒さの中、バスを待ちながら亜紀は落ち込んだ。

 昔、人間関係に向かい合ってこなかったツケが、今、回って来たのだと思った。


 何もできない。のろい。話せない。ちょっと絵が描けるからって、いい気になるな。母の言っていたことは全部、本当だ。


 でも、だからって?


 心にたずさえている〈お守り〉が、そう言ってくれた気がした。

 情けないのも自分だ。自分からは逃げられない。


(わたしは、わたしと付き合って行かないと)





 ところで、母の東京行はどうなったんだろう。

「お母さん、東京に引っ越すの? いつ?」

 年が明けて亜紀が、そう聞いてしまったのがだった。


「何? 嫌味?」

 母が、おせちに伸ばしていた箸を、ぴくっと止めた。

 それっきり無言だ。不機嫌だ。新年なのに。

(思いっきり、赤信号)


 父は何も言わない。

 こういうとき、何か言ってほしいんだけど、言葉が思いつかないって感じなのかな。

 ひたすら、母の不機嫌の嵐が過ぎるのを待ってるのか。

(私もそうだ)


 どうにもならない。

 低く、たれさがった雪雲。

 このお天気のように、どうにもならない。





 家の空気がどんよりしているので、帰寮する日まで亜紀は、ひたすら駅前の市立図書館に通った。

 そこで、自己啓発本を手当たり次第に呼んだ。

 こういう本を読んでいることを母に知られたら、また、チクリと言われそうだ。


 最終日には偶然、久米さんに遭遇した。

 図書館の入り口の隅に移動して、立ち話した。


「また、カラオケ行こうよ。椎名しいなさんが白井さんに会えなかったって残念がってたよ」


「シイナさん」

 遅れて来た女子だ。

「そうですね。時間が合えば」

 亜紀は胸が、どきどきした。


「やっぱり、学校が忙しい?」

「寮だから、こっちに、あまり帰ってなくて」

 久米さんは笑ってる。中学のときも、よく笑ってた。

「それに、わたし、カラオケ苦手だし」

「え~、堂々、歌ってたじゃん」


(直立不動で懐メロを?)

 椎名シイナさんの口から聞いた久米さんのメール内容は、椎名シイナさんのフィルターを通したから、なんだかトゲがあったんだろうか。


「あれから、いろいろ思い出しました。椎名シイナさん、中学のとき、なんだか、わたしに風当たり強かったなって」

 今日の冬の天気のように。


「あれは、白井さんに嫉妬してたんだよ。なつめ先生が白井さんのこと、ひいきにするから」

「ひいき」

「そうだよ。なつめ先生ってお気に入りの女子だけに、やたら相談にのるって評判だったよ。別名が〈なつめ百合ユリ〉だよ」

「そうなんだ」

 ナツメ先生の評判まで聞くことになろうとは。


「椎名さんも反省してるよ~」


「——わたしも反省してるよ」

 亜紀は視線は落としていたが、久米さんに、まっすぐ体を向けた。

「空気読めなくて。カラオケは今どきの歌を覚えてから、今度、行くね」


 久米さんが不思議なモノを見るような目をした。

「白井さん、高校行って、なんか感じ、変わった?」

「そうかな? 自分ではわかんないや」

 バイバイと手を振って、亜紀は図書館の自動ドアを開けた。ぴゅんと、冷たい風が入って来た。


 バイバイ。亜紀は中学の時の自分にサヨナラした。

 誰のおもちゃにもなりたくない。





 バスが来るまでに時間があった。

 亜紀はスマホをタップして、気になることを検索することにした。

 指なしの手袋の、ちょっとかじかんだ指先で亜紀は探し当てた。

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