23  お守り返しの冬休み

 明日から冬休みだ。授業納めの、いちばん最後の土曜日は授業はなく、午前中にホームルームと掃除だけ。

 オーロラ寮生は今日か明日、ほとんどが帰宅する。

 奥山部長は、今日の新幹線で東京まで移動し、帰国した両親と合流。父親の実家からの温泉宿に行き、そこから母親の実家という冬休みだそうだ。


「温泉、武田信玄の隠れ湯だって。早智子さちこに信玄グッズ、頼まれた」

 武田派の井上副部長が、その好機を見逃すはずはない。


「さもありなん」

「白井はどうするの」

いちお一応、家は、まだあるので、明日、帰ります」


「では、来年」

「では」

 奥山は呼んだタクシーに、寮生何人かと乗り込んでいった。

 そのタクシーを見えなくなるまで見送っていると、入れ替わりに坂道を登ってくる人が見えた。


 小日向こひなただった。 

  

「まだ、いたね」

 肩から下げたジッパー付きのトートバックを、小日向は開けた。

「画集だよ」

 トートバックから出してきた本は、いつぞや、亜紀が小日向の伯父さんの家で見ていた本だった。

白亜紀はくあきさんに、あげる」


「え、悪い」

 亜紀は、びっくりした。

 高価な本、それも小日向の母親の遺品だ。ありがと、ともらえる品じゃない。


「そろそろ整理したいと思っていたから」

「学校に寄贈とか。わたしが見るより」


「……」

 小日向は、かるく、亜紀をにらんだ。

白亜紀はくあきに持っていてほしい。そのことに価値があると、ぼくが言ってるんだけど?」


「お、怒ってます?」

 亜紀はたじろいだ。

「そうじゃなくて」

 ぷいと小日向は横を向いた。

 駄々っ子のようだ。それに小日向も気がついたのか、さっと神妙になる。

「迷惑じゃなかったら、もらってほしい」 


「あああありがとう」

 亜紀は目の前の小日向の耳のラインに見惚れて、感極まった。


「よかった。いつ家に帰るの?」

 小日向が正面向きになる。それも、うつくしい。

「明日です」

「帰寮は?」

「新学期がはじまる前の日かな」

「それで」

 小日向がいやそうに。

、まだ魔よけにしてるの?」


 あれ、とは、あれだ。あれ。小日向画伯の。


「お守り、ね。持ってます」

 亜紀は、ちゃんとリングノートの透明ポケットに、パウチしたをはさんでいる。

「ふぅん」

 小日向は不満げだった。

白亜紀はくあきだけ、お守りを持っているのは不公平だ。交換条件。ぼくにも、お守りを描いてほしい」

「え」

「高美展入選の白亜紀はくあきさんには朝飯前だろ。おめでとう」

 ここで、お祝いをぶっこんでくるのか。

「えー」


「これに描いて」

 小日向はブレザーの胸ポケットから、生徒手帳と耐水性3色ボールペンを出してきた。


「あ、わたしも持ってる。そのボールペン」

 同じペンを使っているとわかって、あきらかにうれしい。

「書きやすいよね、これ」

 ベストなインク出の調整のために、自分の右手甲に試し書きする。



「うーん」

 それから考えた。

(何を描いたらいいんだろう)


 小日向がよろこぶもの。好きなもの。見るたびに慰めとなるもの。


 寮の玄関前のひさしの下のベンチに、亜紀は移動した。膝に生徒手帳を置いてかがみ込む。

「んー」


 亜紀の脳裏にゆっくりと、草原と小さな王子さまが見えてきた。

 王子さまは花を摘んで、つたない手つきで花束を作っている。その花束をあげたいのは誰だろう。

(きっと)


 生徒手帳の表紙の裏、白い面。一筆書きのようにさらっと亜紀が描いたのは、花束をもらった聖母だった。


 小日向の口元に、ほほえみが浮かんだ。

「やっぱり、うまいや」


「まだ閉じないで。インク、色映りしないと思うけど、念のため」

「じゃ、坂道を降りるまでは開いとく」

 小日向は左手でサヨナラをして、坂道を下りはじめた。


 亜紀は、その背中を見送った。

(裏門のところを過ぎるまで)


 夏に、あのあたりで小日向が胸を押さえた。

 少し、心配になっていた。


 すると、裏門を過ぎたところで、小日向がふり向いた。

 まだ、亜紀は坂の上に立っていた。

 直立不動だ。男子に手を振るとか思いつかない。


 小日向も振り向いたものの、また背中を向けた。

 下りきったところで、ゆっくり振り向くと、まだ亜紀はいた。

 

 急に、小日向は泣きたいのか、笑いたいのかわからなくなった。 

 生徒手帳をブレザーの胸ポケットにしまうと、一息深く息を吐いて左手に曲がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る