22  聖夜礼拝

 12月に入ると、高3と高2のおねえさまたちは、聖夜礼拝のための聖歌の練習に余念がなかった。

 聖夜礼拝ミサこそ、あかつきほし学院の1年を締めくくる行事だ。


 オルガンの音色が静かに聖堂に響く。

 ♪ 天のいと高きところ、神に栄光あれグローリア・イン・エクセルシス・デオ


 歌に導かれて、高2、高3の女子はLEDキャンドルを手に、一歩一歩、聖堂に入場してきた。


(タイムスリップして、女学校時代に戻ったよう)

 アグネス先生は聖堂の担当で、感慨深く胸のロザリオ十字架に手を添えた。


(共学になってあかつきほしの女子教育的宗教色は薄れたけど、創立者のシスター・マリア・エフゲニーヴナ・ヴォロノワは、元々親日派でしたもの。今の暁の星を案外、気に入るかもしれませんね)


 聖堂に入りきらない高1と、中等部の生徒は講堂にいた。 

 亜紀にとっては、はじめての聖夜礼拝ミサだ。手のひらに乗るLEDキャンドルを、胸にかかげた。

  

 講堂のスクリーンが設置された壇上は、キャンドルで縁取られ、ヒイラギと杉だろうか、常緑の枝で飾られていた。

 ここでは、吹奏楽部の演奏と、中等部による無言劇ページェントに奉唱がおこなわれる。

 聖堂ではシスターのお話、聖書の朗読、音楽専攻の高3生徒による奉唱が続く。 


 聖堂と講堂それぞれに、アドベントクランツが台の上に置かれていた。

 常緑のヒイラギや杉で作ったリースに、4本のキャンドルをあしらったものが、アドベントクランツだ。

 その他に、聖堂と講堂には、シンプルな長い丈の銀色の燭台に白いキャンドル5本を並べたものもある。

 今、壇上のキャンドルには、生徒代表の手で火がともされた。





「クランツとは、ドイツ語で〈冠〉の意味ね」

 アグネス先生が寮生活の合間に、亜紀に教えてくれた。

 なにせ、あかつきほし学院の中等部で学ぶことが、亜紀には欠落しているのだから。

「色や形に意味があるの。緑の輪は永遠。紫は、悔い改めと待望を、赤はキリストの血を表します」

 その講義は、たいてい、寮の談話室で行われた。

「1本めのキャンドルが表しているのは、約束。2本めは、預言者。3本めは、バプテスマのヨハネ。4本めはマリア。クリスマス当日にはイエスのキャンドルを立てるの」


 サンタさんが子供にプレゼントをくれる日だという、今までの亜紀の認識から離れた宗教世界が、そこにあった。

(たしか、うちはジョードシンシュウ)

 暁の星ここにいる間、足先をキリスト教に浸すだけではあろう。

(でも、助けになるなら、どのカミサマでも、わたしはいいな)


 これからも、亜紀はクリスマスにはクリスマスを祝い、正月には初詣に行き、父の実家に行けば仏壇を拝むのだろう。



 


 しんとした静寂の聖堂でシスターの、お話がはじまった。

 そのあとに、ルカによる福音書ふくいんしょの朗読。同時に、講堂の無言劇が進行した。

 聖歌を吹奏楽部が奏で、この日のために編成された合唱団が奉唱する。

 聖堂と講堂が一体となって、聖夜礼拝ミサは紡がれていく。 


 無言劇ページェントの脚本は、信者である数学の田辺たなべ先生が書いているということだった。アグネス先生が亜紀に教えてくれた。 

「毎年、登場人物の内の誰かを主役にする、目線を変えた脚本で、それがおもしろくて飽きないって好評なの。――そこまで凝らなくてもいいとも、私は思うんだけど。ひまなのかしら」

 ぽろっと、厳格な見た目とちがう言葉が、こぼれる。それが、亜紀にはツボだった。


「この無言劇の練習を通して、クリスマスの意味を知って行くから、礼拝を守ることは大切なんですよ」

 すぐに、シスターらしい発言に戻るけども。




 朗読は、ルカの福音書ふくいんしょ、1章の38番を終えた。受胎告知の場面だ。

 音楽専攻の高3女子が、ふくよかな声で歌いあげる。


 ♪ わが心は あまつ神かみをとおとみ

   わが魂 救い主を

   ほめまつりて よろこぶ


 無言劇ページェントの最後の場面は、全員の『ハレルヤ』の奉唱で締めくくられた。


「……なんだか、ハレルヤが年々、男子生徒の声で野太くなっていく」

 思わず、アグネス先生は、つぶやいてしまった。

 それも、今の暁の星だ。





「あぁ、これで、本当に終わったねぇ」

「お疲れさま~」

 高3のおねえさまの幾人かが安心と寂しさの混じった気持ちで、オープンスペースに集まっていた。聖夜礼拝で重要な役を担っていた女子たちだ。おおよそ、各部の部長であったり、生徒会役員であったりした者たちだ。

「男子は講堂って、わたしたち、最後まで隔離されてなかった?」

 ねー、と女子たちは笑いあって、ささやかな、お疲れさま会をはじめた。

 

「飲み物、お持ちしました」

 茶道部の仲村なかむらが、ペットボトルのドリンクの入った段ボール箱をたずさえてきた。

 各部の部長も高3の先輩の前では、一介の使いっぱしりだ。


「ありがとう。最後の女子たち」

 高3生のひとりが、おどけた調子でねぎらった。

「あなたたちも、在校中に彼氏なんか作るんじゃないよ」


 仲村は、かるく笑い返しただけだ。

「先輩の志望校、1番から5番まで全部、共学でしたね」

 高3女子は、前茶道部の部長だった。

「うん。だって、もう、やだもん。女子だけなんて」

「特に、下級生に共学の充実を見せつけられながらってのはキツかったね」

 別の女子が共感する。


「よっしゃー。行くぞ! 共学!」

「えー、わたしは女子校、好きだけどなぁ」

 少数意見者が口をとがらす。

「行けばよい。行け。推薦で女子校へ」

 早くも、推薦試験で進路を決めた女子もいるのだろう。


「失礼しまーす」

 そこへ美術部の奥山おくやまが、段ボール箱をたずさえてきた。

「オーロラ寮から差し入れです。シスター・マリア・エフゲフゲフ何とかさんの直伝クッキー」

 奥山は、学院創始者の名前を覚える気もなかったらしい。


「わぁ。これが楽しみだったんだー」

 何枚かずつ個包装されたクッキーに、高3生は群がる。

「桐野先生が手ずから焼かれたのかしらー」

 桐野先生は高等部女子にとっても、憧れの対象だ。

「厨房のおばちゃんじゃない?」

「夢、ねーわね、おまえさま」



「——来年は、わたしたちの番ですね」

 仲村は奥山に、ぽつんと言った。


 自分たちが卒業して行くなんて、まだ自覚のない冬だった。

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