18  仕上げの山場

 高美展こうびてんと呼ばれる、秋の高等学校美術展が近かった。

 開催時期が文化祭であるあかつきほし祭と、そうちがわない。そのため、奥山部長、井上副部長、亜紀の3人は、両方の展覧会用の作品に取り組んできた。

 この9月の連休が、仕上げの山場だ。


「白井は何、描くつもり?」

 入部したばかりの頃に、亜紀は奥山に聞かれた。


「自画像ですね」

 はじめての大きな絵になるので、初心に帰って。

 誠実に描き込んでいきたい。

 光を意識して。


「アクリル?」

「はい」


 亜紀は、不透明のアクリルガッシュに透明の水彩絵の具を併用している。

 両方とも中学の美術の授業でも、部活でも使ってきた。

 アクリル絵の具は乾くと耐水性になる。重ね塗りがやりやすい。水で溶かせるから、油絵具をゆるめるテレピン油は必要ないし、その揮発性の油の独特の匂いもしない。

 そのテレピン油の香りこそ、美術室の香りなのだが。





 井上副部長は、油絵の具を使っている。

「白井。髪、青を入れると、黒がきれいに見えるよ」

 時々、アドバイスをもらいながら、亜紀は井上と美術実習室で、ずっと作品に取り組んでいた。

 

 井上の描いているのは、城下町の風景だ。 

「……で、さぁ、白井」

 昼休憩で井上が筆をおいた。


「奥山部長の『母子像』、仕上がりましたかね」

 亜紀も筆をおく。

「この週、追い込んでいたからの」


 奥山はオーロラ寮の空き部屋にイーゼルを持ち込んで、仕上げにかかっていた。あの分だとイーゼルの前で寝起きしている。



「できてるよ~」

 毎度~な感じで奥野がふらふらしながら、えんじ色のジャージで現れた。キャンバスを1枚、抱えている。

「灰になったぜ。サチコ、見て」


「振り切ったのぅ。入江氏も、よくGOゴー出したの」

 井上は目を細めた。


「これが、私の『母子像』です!」

 奥山はキャンバスを空いているイーゼルに置いて、両手を空に広げた。完全に疲れている。


 最初の構想から、どうしてこうなったのだろう。

 奥山の母子像は商店街の入り口に、子供の手をひいた眼鏡メガネのおばちゃんが買い物かごをさげて立っているものだった。おばちゃんは、井上副部長に生き写しだ。

 あのとき、クロッキーしていた母子像は、どこへ行ったんだろう。

「コサチ、いないし」


「いるいる。ほら」

 奥山が道行く人のモブ(群衆)を指さした。歩いている子クマがいた。


「ディスられてませんか」

 亜紀は、ちらりと井上の顔色をうかがった。


「100万円と笑いが落ちていたら、笑いを取りに行く御仁だからして。奥山は」

 まさに井上から、おんの後光が放射していた。


「ふたつ、同時進行で描いていたら、一方、はっちゃけたくなっちゃってー。関西の血のせいかしらー」

 だぁっと、奥山は絶対きれいじゃない教室の床に突っ伏した。


「奥山部長って、関西出身なんですか」

 亜紀は足元に質問する。


「関西人とのクォーターよんぶんのいちなの」

 奥山は仰向けになった。

「なるほど」


「白井、納得してるんじゃない。それ、ジョークだから」

 井上も、すでに疲れたのか、武士もののふの生霊が、はずれかけていた。


「あ~~」

 奥山はイモムシの歩行のように、両足を伸ばして縮めて伸ばして縮めて、背中で床を移動しはじめたから、ついに井上は奥山を名前のほうで呼んだ。


「はるはる! 寮に戻って仮眠とれ!」

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