17  休み明けのウワサ 2

 教室の窓から差し込む光の角度が、夏休み前とは変わった。

 放課後の教室で亜紀は早速、デッサンにとりかかっていた。


 亜紀の集中っぷりは、ほぼ、クラスの皆が知るところとなり、〈集中している白井さんは、そっとしておく同盟〉まで、山崎由良やまさきゆらによって起ち上げられていた。


 今日は珍しく、声をかけてくる一団がある。


「白井さん」

「白井さーん」

「ほんとに、このヒト、集中しちゃうとんじゃうんだ」


 亜紀が、やっと顔を上げた。

「佐久間さん?」


 亜紀の視界に佐久間涼子さくまりょうこがいた。古田智景ふるたちかげも。もう一人は知らない女子だ。


 佐久間が笑顔だった。

「白井さんに聞きたいことあって」

 でも、笑っていない。

「夏休み、小日向こひなた君と白井さんが、ふたりで歩いているのを見たって言う人がいるんだけど」


「白井さん、小日向こひなた君に告白とかしちゃった? それだと、ルール違反なんだよー」

 古田の言い方は、いくぶん、かるめだ。


「えーと?」

 亜紀は言葉に詰まって、女子たちを見た。


「すごくウワサになってるの。誤解だったら解いた方がいいんじゃない?」

 佐久間は、皆の気持ちを代弁するかのようだ。 


 夏休み。

 小日向君と。

(それ) 

 小日向が具合を悪くして、家まで亜紀がついていった日のことだ。

 それが、亜紀の顔色に出たのだろう。

「やっぱり?」

 古田が突いてきた。

「白井さん、編入生だから、内部生には、わかってる決まり事、わかんなかったんだよね。告白したこと、謝ってくれたら、それでいいよ、ね」

 佐久間の方を見た。


「そうね。それで、みんな納得すると思う。私が、とりなしておくし」



(何、このシチュエーション)

 亜紀の頭の中で、ぐるぐる思いが巡った。


(中学の時も、こんな場面があった)

(その時の私は、どうしたっけ?)

曖昧あいまいに笑って何も言えなかった?)

(たぶん、そう)


(それで解決した?)

 

いいえ


 ——黙ってたら、わかってもらえない。

 何か言って悪く取られたら。

 何も言わなくても、悪く取る人は取る。


 ——叫ぶことは、恥ずかしいことじゃない。みっともないことじゃない。


 かーん。

 人生ではじめて、亜紀の中でゴングが鳴った気がする。



(あれだ。早朝ランニングして、生卵飲むやつ)

 父といっしょに観た映画のテーマ曲が、亜紀の脳内に流れてきた。

 たらら~ん、た、らら~ん。


「――佐久間さん、古田さん、それから知らないけど、あなた!」

 あなた! と亜紀に名指しされた女子が、ひくついた。

「わたし、告白なんてしてません!」


「夏休み、終わってから、裏門の所で小日向君を呼び止めたって!」

 佐久間の声が大きくなった。


、終わって、わたしも帰るとこ。小日向君、いっしょに帰ろって誘ったって! 寮生なのに!」

  古田が。

「帰り道、真反対じゃん! 小日向君の鞄、ずうずうしく奪って、いっしょに下校するしかできなくしたって!」


 ものすごい伝達ゲームの終点を、亜紀は聞かされた。

(事実無根じゃん!)


、言うなぁぁ!」  

 亜紀が絶叫。女子3人が固まった、その時。


 バン!

 教室の後ろの扉をぶち開けて、小日向が駆け込んできた。

「白、井さんっ!」


「ひっ」佐久間が青ざめた。

「……」「うわ」

 女子3人、逃げ出した。


 はぁ、はぁ、はぁ。

 小日向は息があがって、しゃべれない。


「あ~、外履きのまま、あがってきちゃ、ダメじゃん」

 亜紀が小日向の足元を見た。


「誰の、せいで」

 まだ、小日向は、ぜぇぜぇ言ってる。

 後輩は、ていねいに教えてくれたのだ。放課後、女子の先輩たちは教室にいる白井亜紀のところへ向かったと。


「走って大丈夫? 具合、よくなった?」

「う……。あれは、治った」

 

「女子、集まると、コワいねー」

 他人事のようにつぶやいて、亜紀は椅子に座り直した。デッサンに戻る。


「……言い、負かしてた? まさ、かの」

 ようやく、小日向は落ち着いてきた。


「おとなしくしていたら、なめられるだけってわかったから」 

「はぁぁ」

 小日向は床に腰を下ろしまま、天を仰いだ。

「あ、そのポーズ」

「え」

「そのままで」


「おまえら、何やってんの」

 小日向の学校鞄を抱えた青木がCクラスに着いたとき、小日向はポーズを取らされていた。



 

「——おまえが来てくれなかったら、まだモデルやらされるところだった」

 バス通りへ続く坂道を、青木と小日向は下っていた。


「おまえ、部活リレーより本気出して走ったな」

 青木は呆れた。

「佐久間たち、バカだな。かえって、白亜紀はくあきとおまえをくっつける仕事シゴトして」

から」

 小日向は苦笑する。


「先輩女子が、白亜紀はくあきのところへ談判に行ったって中等部から、ご注進受けて、全速力で駆けつけてるじゃん。鞄、グラウンドに放り出したろ。オレも含めて、けっこうなギャラリーが、それ、見てる」


「恥ずかしいから、言うな」

 小日向が顔を赤らめた。


「――白亜紀はくあきのこと、好きだろ」

 青木は真顔で、たしかめようとしている。


「そんなんじゃない。白亜紀はくあきを見ていると、死んだ母も、こんなふうに絵を描いていたのだろうかと、面影を重ねてしまっただけだ」


「……そっちのほうが、重症じゃん。て、ゆるキャラSえすの母親なんて、オレは、やだ」

美馬みまの母上は本当に、すてきな方だからな。いつも参観日が楽しみだった」


「小日向、おまえ、恋愛対象のハバ広過ぎ」




   

 次の日、小日向と亜紀の一件は、末端の美術部部員にまで知れ渡っていた。


「すてき、すてきです。白井先輩」

 森夕貴もりゆうきは、くるくると回って興奮をかくせない。どうやらバレエの素養があるようだ。


「白井、おめでとう。結婚式には呼んで」 

 亜紀は奥山部長に、うしろから抱きしめられた。 

  

「もうっ。白井先輩を助けるために、グラウンド、ダッシュで茶道部王子が駆けて行ったって、もうっ」

 森が、もう、もう、牛になってる。


恋愛下剋上レンアイゲコクジョウ感無量カンムリョウ

 井上副部長は夏休みの間に作ったのだろうか、手作りの軍配うちわを出して仰いでいた。


「小日向氏が私を見る目、ペットを見る目ですよ。おまんじゅうくれたり、カプセルトイくれたり、そういうのですよ」

 恋愛感情じゃない。亜紀は否定した。


「それが、愛、ですよぉ」

 森が、ぴたりと、たぶんバレエの決めポーズを取った。


「白井は? 男に対して熱情を感じたことがないのか?」

 井上副部長の手つきと言い方が、おじさんもどきだ。

「うーんと。ダビデ像のコカンを見たとき?」

「彫像は、男に入れない」


 やりとりのうしろで、びっちゃーんと派手な音がした。

 福田敏子ふくだとしこが古タオルを持って立ち上がる。

「すいませーん。堺が筆洗い、ひっくり返しましたー」


やつよのう」

 軍配うちわの陰で、井上副部長がほくそ笑んだ。


 この人、絶対、前世、悪代官とかだ。

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