14  裂かれたお守り

「終わったぁ!」

 補習の最終日。

 亜紀は山崎由良やまさきゆらと、ようやく、はじまる夏休みをよろこびあった。

 少しの気がかりを残しつつ。


 補習の期間、学校で小日向の姿を見かけなかった。彼の体調不良の、その後が気になった。

由良ゆらさん、Aクラスの小日向こひなた君て、学校に来てた?」

 由良は耳ざとい。何か聞いているかもしれない。

「そ言えば、見かけなかったかもねー」

 結局、わからなかった。

(こういうとき、青木君がいたら、すぐわかるんだろうなー)

 しかし、残念、青木は、そこそこできる生徒で補習対象ではなかった。



 オーロラ寮に帰ったら、玄関そばの下駄箱ロッカーで佐久間涼子さくまりょうこといっしょになった。

 亜紀は思い出した。佐久間はAクラスだ。今、ここにいるということは、小日向と同じ授業を受けているのかもしれない。

「こんにちは。あの、小日向君、〈基礎対策〉に来てましたか」

 聞くだけ聞いてみようと思った。


「——」

 佐久間の靴を収めようとしていた手が止まった。

「後半、欠席してたけど。——なぜ?」

 あなたが聞くの? という目だった。


「あの、そ、の、具合が……」

 亜紀は手短に説明できなくて、言葉に詰まった。


「欠席理由までは知らないけど」

 佐久間は、靴を収めてロッカーを閉めた。

「何か?」


「いえ、と、特に」

 亜紀は、しどろもどろになってしまった。

 佐久間のやさしかった印象が、ふっとんで、うろたえた。さらに。

「……国語で1回、トップ取ったくらいで、いい気にならないほうがいいよ。彼、誰とも付き合わないから」

 抑えめのトーンだったが、佐久間は言い放った。


「ただいま帰りましたー」

 何人かの寮生が帰ってきた声がして、ふいっと、亜紀を残して佐久間は行ってしまった。





 そして、亜紀が家に帰ったのは、8月に入ってからだった。


 各駅停車の新幹線、自由席のふたり席の窓辺に座ると、亜紀は斜めがけショルダーバックの中から、手のひらサイズの空色のリングノートを取り出した。

 ノートは空色の表紙で中紙は方眼欄だ。ページの最後に透明なポケットがついていて、そこに、あの魔よけ、いや、お守りをしまった。


 あんなにステキ男子の手から生まれ出たとは思えない、壊滅的な画力だった。

 何べん見ても笑ってしまう。


 小日向のことは、気になったままだ。

 あれから学校を休んだのが、わかっただけ。


 佐久間のことも思い出して、ひんやりした。

 あれは亜紀の何かが、カンにさわったにちがいなかった。

(中学の時も、こんな感じで、ぎくしゃくしはじめた)


 同じてつは踏みたくない。

 

 ごぅん。ごぅん。ごぅん。

 耳に響く音を立てて、新幹線の車両がトンネルの中を走行していく。

 暗くなった窓に、亜紀が映っている。

 向こうの亜紀も、ちょっと困り顔の亜紀だ。




 昼過ぎに新幹線を降りて、亜紀は家まで歩いた。亜紀の家は、駅近のマンションだ。

 8年間、この街に住んでいるけど、まだ知らないことだらけだ。ずっと、よそから来た人の感覚でいたのかもしれない。

 母も、よく言っていた。

「お父さんの転勤で、ついて来ただけだもの」

 

 それでも、登下校に使った道は懐かしい。

 マンションのエントランスの日陰に入ると、ほっとした。

 オートロックの自動扉の振動音まで、懐かしい。


 亜紀は家の鍵を渡されていない。

「失くされたら大変じゃない」と、母に却下された。「わたし、家にいるし。それに最悪、管理人さんに言えばエントランスに入れてもらえるし」


 たしかに。

 何度か、買い物に出た母と行きちがいになったときも、管理人さんが亜紀の顔を覚えているからエントランスまで入れてくれた。共有施設のワークルームで宿題をしたり、本を読んでいれば心配なかった。

 その管理人さんは、定年退職してしまったのか。

 亜紀があかつきほしに行っている間に、新しい管理人さんになっていた。


「おかえりなさい」

 母が玄関ドアを開けてくれた。  

「お父さん、明日から夏休みだって」

 久しぶりに会う母は機嫌がよかった。

 基本は、くよくよしない明るい人なのだ。

 

 父は、こっちへの出張も多く、1カ月のうち半々で単身寮と家を行き来しているそうだ。

「土曜日、アウトレットにでも行こっか」

 亜紀を誘ってきた。


「土曜日は——」

 亜紀は思い出した。

「何」

「中学のクラス会があって」

 中3のときに副担任だった、三原みはら先生からメールが来ていた。


「卒業して半年もたってないわよ? ヒマね」

三原みはら先生も行くから、来れたらおいでって」

「ふーん。三原先生もヒマね」

 

(お母さんが、と言うときは黄信号だ)


「だけど、アウトレットの方が楽しいよね」

 亜紀は言い直した。

「そう?」

 母が満足の笑みを浮かべる。


(青信号、正解)


 こんな風に、亜紀には母の求めている答えが透けて見える。それとも、これは母に誘導されているのだろうか。

 結局、帰ってきた父の「高速道路もアウトレットも尋常じんじょうじゃなく混むよ」の一言で、アウトレット行きはホテルのランチビッフェになった。



 そして、父の夏休みが終わる日。

 風呂上がりに自分の部屋へ戻った亜紀は、学校鞄がないのに気づいた。

 鞄に入れてきた物は机の上に出ている。

 誰かが部屋の物を触った。そういうことをするのは、ひとりしかいない。

 


 亜紀がリビングに行くと、母はダイニングにいて、父はソファを陣取って、テレビ画面の動画配信サービスで長い長い映画を観ていた。ホビット族の出る、あれだ。


「お母さん、私の学校鞄。どこかにやった?」

「ベランダに干してるわよ」

「……夜だよ」

「明日、天気だって言ってたから」


 閉じてある掃き出し窓のカーテンを少し開けてみたら、ベランダの物干しに、だらんと学校鞄が干してあった。

(なんか、言い返す気力ない……)


 とりあえず、亜紀は部屋に戻り、机の上を整理した。

 すると、空色のリングノートがあった。

(え? ショルダーバックから出した? わたし)

 気持ちがざわめき、ノートを手に取る。


 なくなっていた。

 透明ポケットに入っているはずの、が、ない。


 亜紀は荒くドアを開けて、リビングに戻った。

 テレビの映画は佳境に入っていた。


「お母さん、わたしのショルダーバックの中身、出した?」

「お小遣い、お財布に入れておいたから。ついでに整理もしたかな?」

「ノートの透明ポケットにハガキの大きさの紙、入れてあったよね」


「ノートぉ?」

 面倒くさそうに、母は聞き返してきた。


「空色の!」


「あ? 落書き? だったら、亜紀の部屋のゴミ箱に捨てたかも」


 亜紀は速攻で部屋に戻った。

 机の陰にゴミ箱がある。ひっくり返すと、あった。あったけれど。

 亜紀はリビングに駆け戻った。


「お母さん、どうして、この絵、

 引き裂かれたハガキ箋の紙を、亜紀は紀子の目の前に突き出した。


「落書きじゃないの」

「ら、落書き、じゃないから!」


「なぁに?」

 母の口元がゆがむ。


「これ、友だちが描いてくれたの! ゴミじゃないから!」


「え~。友だちですって」

 母は、にやにや笑いだした。

「亜紀、友だち、できたんだ」


「透明ポケットに入っていたでしょ。ゴミじゃないよ」

「捨てた覚えないんだけどぉ。落ちちゃったのかしら」

 母の言っていることが、変わった。


「お母さんて」

 しぼり出すように亜紀は声を出した。

「昔から私の絵、捨てるよね」


「どの絵のこと? 亜紀、子供の頃から紙があれば描いてたじゃない。いちいち取っておいたら大変よ?」

「捨てたよね」

「下手くそだし。ゴミでしょ」


「下手かもしれないけどっ」

 大きな声を出した亜紀に、それまでテレビ画面を見ていた父がソファから振り向いた。

「亜紀、どうした? 亜紀らしくない」


「びっくりした~。こんな紙切れでそんなに怒るんだ。亜紀、もしかして生理?」


 ぱし。

 亜紀は、自分の脳天に火花が散るのを感じた。

 テレビ画面には、明々と火山口が映し出されていた。亜紀の脳内にもマグマがあふれ出していた。


「もう、いい!」

 亜紀は吐き出した。

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