三人の生徒たち

増田朋美

三人の生徒たち

風が吹いて寒い日だった。もう冬が近づいているのだなとわかる風の強さであった。流石に着流しの着物では居られない気候になってきた。もう男性でも女性でも、着物を着る場合は羽織が必需品だ。洋服の人であっても、なにか上着が無いとだめだと思われる季節である。

その日、静岡で用事を済ませて、新金谷駅で弁蔵さんは電車を待っていた。と言っても平日だったので、他に電車に乗りたいと言ってくるお客は居なかった。まあ、過疎地域を走っている電車なので、それも仕方ないかと思いながら、弁蔵さんは、電車を待っていた。

それにしても、電車は、一時間に一本か二本しか走っていないので、弁蔵さんは、40分以上待たなければならなかった。それにしても新金谷駅は、寂しいものであって、人がいないというのは、こんなに寂しいものなのかと思われるくらいがっかりする駅になってしまった。休日になればまた人が来るかもしれないが、たしかに電車に乗ろうという人は少なくなっている。多分みんな電車よりも車で行ってしまうのだろう。そうはいっても、足が悪くて車を運転できない弁蔵さんには、電車は必須のものであった。そういうわけで電車が無いと困るのであるが、多分、鉄道関係の人は、そう言う人の声は信じてくれないだろうなと思われた。そういう人の話は殆ど聞いてくれないからである。

「あのすみません。本日はどちらまでご乗車されますか?」

制服姿の駅員が、弁蔵さんに声をかけてきた。

「はい、とりあえず千頭駅まで行きまして、あとは接岨峡温泉駅まで。」

と、返すと、

「さようですか。本日は、のぞみ高等学校の生徒さん3名と、先生が3名の合計6人のみなさんがご乗車されますがよろしいですか?みなさんも、井川駅までご乗車されます。」

と駅員は言った。

「のぞみ高等学校?聞いたことのない学校ですね。何かわけがあるんですか?」

弁蔵さんが聞くと、

「はい。なんでも井川湖まで行くのだそうで、修学旅行だそうです。」

駅員はそういうのだった。3人の生徒だけで修学旅行ということは、ちょっと特殊なわけがある学校なのかなと弁蔵さんは思った。しかし、当日になって、電車に乗ることが決定されるとは、大井川鉄道も田舎電車だなと思う。まあ、人に迷惑をかけるわけでは無いので、それならと思った弁蔵さんは、

「わかりました。大丈夫ですよ。」

とにこやかな顔で言った。そう言うと駅員はありがとうございますと言って、すぐに駅事務室へ戻っていった。そして数分後、制服を着た男性が一人と女性が二人、新金谷駅のホームにやってきた。しかし、一人の女性は、40代くらいの中年の女性で、ちょっと制服は似合わなかった。もう一人の女性は、高校生と思われる年齢なのであるが、ちょっと落ち着きがないようなところがあって、電車の時刻表を見て、早くこないかと早口で言っていた。そして男性は20代くらいの男性で、車椅子に乗っていた。それと同時に、女性教師一名と男性教師二名がホームにやってきた。皆中年の教師であり、一人は校長先生なのかなと思われる顔をしていた。

「はい、のぞみ高校の皆さん、もうすぐ電車が来ますから、こちらでお待ち下さいね、あと電車に乗るときは、」

と駅員が説明をしている間に、

「あと何分したら電車が来るんですか?」

と、落ち着かない女性が言った。すぐに男性教師が、

「陽子さん、駅員さんが話すのを全部聞いてから発言しましょうね。」

と言っているけれど、彼女は聞かない様子だった。

「はいはい。10時10分に来ますので、あと、15分で参りますよ。もう少しお待ち下さいね。」

駅員も障害者に慣れているのかなと弁蔵さんは思った。

「駅には、一般の人もいますから、あんまり喋りすぎないようにしてくださいね、陽子さん。」

「と言っても、一人だけじゃないの。」

すぐ反発するのも、彼女の特性かもしれない。

「でも、他の駅で乗ってくるかもしれないでしょ。」

と、車椅子の男子生徒が言ったので、陽子さんと呼ばれた女性はハイと言った。返事はちゃんとするようであるが、それでも落ち着きがないのは確かなようで、彼女は、時刻表を何回も見てまだかなまだかなと言っている。そして何度も隣りにいる男性教師や他の生徒に、まだ来ないのまだ来ないのと尋ねる。これも彼女の生まれ持った特徴といえばそれまでなのかもしれないが、かなり迷惑をかける存在でもあるだろうなと弁蔵さんは思った。

「まもなく、二番線に、千頭行が到着いたします。危ないですから黄色の点字ブロックの内側まで下がってお待ち下さい。」

新金谷駅は、アナウンスがなかったので、駅員がそう言ってくれた。それと同時に、千頭行と書かれた古臭い感じの電車がやってきて、弁蔵さんたちの前で止まった。

「まあ、古臭い電車。こんな電車は見たこと無いわ。どうやら恐ろしく古臭い交通手段だわ。」

陽子さんがそう言うと、

「古くてもちゃんと乗せてくれるんだから、それを言ってはいけないよ。」

教師の一人が言った。その間に駅員が、電車とホームの隙間に車いす用のわたり坂を作ってくれた。そして、若い男性教師に車椅子を押してもらって、男子生徒は電車に乗り込んだ。陽子さんが我先に乗り込もうとしなかったのが良かったと弁蔵さんは思った。電車は一両しか無いので、勉三さんは、のぞみ高校の修学旅行生が乗り終わってから電車に乗った。電車に他の乗客はおらず、弁蔵さんと、のぞみ高校の修学旅行生しかいなかった。弁蔵さんが、適当に座席に座ると、電車はガッタン!という音を立てて、けたたましい音を立てながら動き出したのであった。

ちなみに大井川鉄道は、運行本数は極めて少ないが、その割に快速とか、特急とか種類が多いのである。ときには、電車ではなくて蒸気機関車が運転されるときもあるので、そうなっていると思われるが、弁蔵さんたちが乗ったのは、快速急行と呼ばれる種別の電車であって、停まる駅が限られていた。ほとんどのお客は千頭駅まで行ってしまうので、別に途中駅で止まらなくてもいいと言う人が多いのであるが、彼女は、駅を飛ばして走って行くのが不安になってしまうらしい。車椅子の男子生徒に、丸野くん、ここで降りる?と停車するたびに聞いていた。丸野くんと言われた男子生徒は、その度にいちいちいちいち千頭駅で降りるんだと嫌そうな顔もしないで答えていた。

電車は家山駅を出ると、いよいよ山道を走るようになった。周辺に民家も少なくなり、風景は森ばかりになってきた。まだ紅葉はしていないようで、木の葉は緑である。陽子さんと言われた女子生徒は、田舎駅にはいっていくととてもうれしそうな顔になり、鉄橋を渡ったりすると興奮して写真をスマートフォンで撮っていた。これには弁蔵さんも驚いてしまった。こんなに田舎駅が好きだったとは。隣にいた中年おばさんの生徒さんが、陽子ちゃん、もうちょっと落ち着こうよと言っているが、それも効果なく、彼女は写真を撮っていたのだった。

「あの、すみません。今日はどちらからお見えになりましたか?」

いきなり陽子ちゃんと呼ばれた女子生徒から声をかけられて、弁蔵さんはびっくりする。

「ええ。僕は、接阻峡で旅館を経営しておりまして、今から自宅へ帰るところなんです。」

弁蔵さんが言うと、

「そうなんだ!じゃあ、ずっとここで暮らしているんですね。良いなあ。あたしが通っている学校なんて、ガーガーガーガーうるさいし、人は多いし、もうホント疲れちゃうんです。あたしは、島田から通っているんですけど、静岡駅に来るたびに、うるさいなっていう気持ちになるんですよ。」

陽子さんはそういった。確かにそうかも知れない。陽子さんのようなひとは、静岡市の市街地はうるさすぎてつらいと思う。いろんな音があるし、いろんな人が居るから。

「そうですね、たしかに静岡市はうるさいし、嫌だなと思うかもしれませんね。」

と弁蔵さんはそういった。

「普段は、オンライン授業でやってるから、家の中で勉強するんですけど、週に一度学校に行っているんです。その度にうるさいなっていう気持ちになります。だからこういうところに来ることができて嬉しいです。」

陽子さんが言うと、隣にいた中年の女性生徒が、

「陽子さんがディズニーランドとかそういう場所が嫌いだから、修学旅行は井川湖になったんですよ。」

と呟いた。

「あら、怜香ちゃん、それは言わない約束だったんじゃないの?」

陽子さんがそう言うと、

「今となっては、言わないと行けないと思ったのよ。」

と、怜香ちゃんと呼ばれた中年女性はそういったのだった。

「そうなんですか。でも良いじゃないですか。こういうところに修学旅行で来れるなんて。奥大井は、便利なものは何もありませんが、何よりも、緑が美しく、豊かな自然が目の前にあります。それを堪能して行ってください。」

弁蔵さんが言うと、丸野くんという車椅子の男子生徒が、

「でも足の悪い僕にはちょっと、、、。」

と言ったのであった。すかさず陽子さんが、

「何言ってるの。そういうところであっても、手伝いがあれば行けるでしょ。私達は、どうせハンディがあって誰かに手伝ってもらわないと行けないんだし、それを気にしていたら、どこへもいけなくなっちゃうわよ。校長先生が、行っては行けないという権限は無いって言ってたじゃないの。それは、頭の中に叩き込んでおいたほうが良いわ。」

とにこやかに言った。

「そうですよ。」

と、弁蔵さんは言う。

「それで良いじゃないですか。誰でも、旅行に行って良いのですよ。歩けない人が、どこかに行っては行けないという時代は、もうとうの昔に過ぎ去りました。誰でも出かけて良いのです。それを忘れてはなりませんよ。」

「ありがとうございます。そんな事を言ってくれるなんて、うちの生徒のことを理解してくれて嬉しいです。うちの生徒は、本人はそう思っているのかわかりませんが、人に迷惑をかけてばかりいますからな。そこをなかなかわかってくれる人は、いないのでね。」

校長先生らしい中年の男性が言った。

「あら、校長先生。そんな事言ってはだめじゃないの。」

別の教師がそう言うと、校長先生はそうでしたなと言って、禿頭をかじった。

「まもなく、千頭駅に到着いたします。お降りのお客様は、お支度をお願い致します。」

と、車掌がアナウンスした。生徒たちは、もう千頭駅についたのかという顔をする。

「快速急行ですからね。家山駅程度しか停車駅が無いんですよ。」

と弁蔵さんが説明すると、生徒たちはなるほどという顔をした。生徒たちは、先生が合図をする前にもう降りる支度を始めていた。ある意味では用意周到だ。そういうところは、健康な生徒よりしっかりしているのかもしれなかった。

そうこうしているうちに、電車は千頭駅に停車した。

「確か、アプト式とかいう電車に乗って、井川駅まで向かうんですよね?」

丸野くんという生徒がそう言うと、

「はい、そうですよ。すぐに乗ってくださいね。乗り換え時間が短くなってますから。」

と、怜香ちゃんと言われた女性生徒が言った。弁蔵さんにしてみれば20分もあるじゃないかと言いたかったが、彼女には短く感じられるのかもしれなかった。

「井川駅についたあと何をするんですか?」

と、弁蔵さんが言うと、

「ええ、井川湖を遊覧船で一周する予定です。」

と校長先生が言った。

「そうなんですか。それはいいですね。それではお泊りは、井川駅近くにお泊まりかな?井川は静かだし、自然がたくさんあっていいところですよ。ちなみに僕も井川線で接阻峡温泉まで行くのですが、井川駅はもう少し先ですね。」

弁蔵さんはにこやかな顔でいった。その間に、駅員が車椅子わたり坂を用意してくれて、丸野くんは駅員や他の生徒に手伝ってもらいながら電車を降りた。積極的に、怜香さんや、陽子さんが丸野くんに手を出しているのが健康な生徒さんの学校には無い風景かもしれなかった。先生は一応三人いるが、先生方は介助しなくてもいいくらい、二人の女性生徒は、丸野くんを積極的に手伝っていた。

「はい、井川線のりばはこっちですよ。急いで乗らないと発車時刻になっちゃうわ。」

と、怜香さんが車椅子を押してあげて、全員井川線のりばに行った。すでに電車が待っていた。かわいい赤い電車で、どこか外国の山道を走る田舎電車という感じの電車だった。また駅員が車椅子わたり坂を出すと、彼女たちは丸野くんを、電車に乗せてあげた。

「とても親切で優しそうな女性たちですね。積極的に障害のある生徒さんの世話をするのは、偉いと思います。それを報酬を求めるとか、そういう態度でしないのがいい。それはきっと、学校の先生の教育がいいからでしょうか?」

と弁蔵さんは、先生に言ってみた。

「いいえ、あたしたちが良い教育をしているわけじゃありません。彼女たちは、差別を経験している子達ですし、障害が原因でいじめられていた事もあったくらいです。だから、人に優しいのではありませんか。」

先生は、弁蔵さんの質問に答えてくれた。

「彼女たちは、医学的に言ったら、いわゆる発達障害というものに当たるのかもしれません。もしかしたら今流行りのADHDとかそういうものかもしれない。でも、それだからこそああして丸野くんを助けようとする、優しい気持ちがあるのだと思います。それを今の日本の社会は殺そうとしている。彼女たちがここを卒業して、大人の醜悪な感情を身に着けてしまわないことを願っているのですが、それは、無理な話でしょうかね。」

校長先生が、にこやかに言った。

「いえ、きっと彼女たちは優しいままでいてくれるのではないかと思います。それくらい、彼女たちは傷ついて居るでしょうから。そうだ、ここから先に、奥大井湖上駅という駅があるんですけどね。湖の上にある小さな駅ですが、それを彼女たちが見たら感動するんじゃないかな。その感動を、つまみ出してしまわないように、気をつけて上げたいものですよね。」

弁蔵さんはそう言って、彼女たちが乗った車両とは別の車両に乗った。そうしてあげたほうが、三人の生徒さんの感動は大きくなると思ったのだ。



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三人の生徒たち 増田朋美 @masubuchi4996

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