後編
短い休憩をはさんだのちに開始されたテストは、先ほどよりもおかしなものだった。
壁に広げられたスクリーンには、いつのものだか分からない白黒の古い映像が映されている。黒点やノイズが走る映像はとてもではないが、見れたものではない。辛うじて画面の端に映る白壁の様子から、この旅館の塀の向こうを撮った映像だろうと言うことしかわからない。映像の古さを考えて、霧生亭がまだ旅館になる前のものだろう。
畳に置かれた年代物のスピーカーからは話し声が聞こえるが、音質の悪さとひび割れのため、ほとんど何を言っているのか分からない。
退屈なテストに欠伸を噛み殺しながら、見えたものや聞こえたものをメモに書く。五分が一時間に思えるような拷問の果てに、やっと映像と音声が終わったときは、思わず「やっと終わった!」と呟いてしまっていた。
「これでテストは終了です。後程お声をかけに参りますので、おくつろぎください」
時刻はすでに夕方に差し掛かっており、広縁から見える空はオレンジ色に染まりつつあった。
何のテストだったのかは分からなかったが、おそらくこのまま家に帰れるだろう。
広縁の椅子に座ってお菓子を食べて待つがなかなか声はかからない。空が紫色に沈み、真っ白な三日月が薄く浮かんできた頃、やっと女性が帰ってきた。
「お待たせいたしました。お夕食の準備が整いましたので、食堂までご案内いたします」
「あの、今日は私……」
「今後のことは、柴咲先生からお聞きください」
何を聞いても無駄な雰囲気を感じ、私は素直に女性の後をついていくことにした。不安になるほど静まり返った館内に、廊下を歩く足音だけがペタペタと響く。前を歩く女性の足元は真っ白な足袋で、擦るように歩くため足音はない。スリッパを履いた私の足音だけが、やけに響いている。
ペタペタ。ペタペタ。ペタペタペタ。ペタペタ。
同じリズムで歩いていたはずなのに、自分のものではない足音が聞こえた気がした。誰かが一歩だけ、足音を混ぜた。私と女性しかいない、この廊下で。
ゾワリと全身の産毛が逆立ったとき、食堂の前で待っていた柴咲先生の姿が見えた。その隣には、小麦色の肌の少女と色白の少女が仲良く肩を寄せ合っていた。
「佳也子と紗良!」
「これで全員ね。さあ、夕食をいただきましょう」
三人で抱き合う少女たちを横目で見て、柴咲先生が食堂の中へと消えていく。先ほどまで私を案内してくれた女性は、綺麗な一礼を残して踵を返して行ってしまった。
「これで全員って、中に何人いるの?」
「いないのよ! 私たちだけ。いつの間にか他の子は帰ってたみたいなの。先生に聞いても、夕飯後に話すって言うだけで……」
佳也子と紗良が、気味が悪そうに顔を引きつらせている。
「とりあえず入ろうよ。食後に話すって言うなら、それまで何を聞いても無駄だろうし、せっかくの霧生亭のご飯を楽しもう?」
それもそうだと、三人で寄り添いながら食堂に入る。整然とテーブルが並ぶ食堂は広く、大きな窓からは中庭を一望できる。ライトアップされた日本庭園は美しかったが、どこか妖しい雰囲気があった。
柴咲先生の座るテーブルとは別のテーブルに、三人分の食事が用意されていた。天ぷらにステーキ、鮎の塩焼きにお刺身、小鉢には煮物や漬物が少量ずつ盛られている。いつもなら歓声を上げるのだが、食欲がわかない。隣を見れば、紗良も浮かない顔をしていた。
佳也子だけは嬉しそうに顔を輝かせると、誰よりも早く椅子に座って食べ始めた。
「それにしても、あのテスト、本当に謎だったよな」
ガツガツとお行儀悪く食べていた佳也子が、炊き込みご飯で片頬を膨らませながらそう呟く。すでに彼女の前の食事は粗方食べられていて、紗良からもらったステーキとアユの塩焼きもペロリと平らげた後だった。
「そうね。最初のテストはまだ良かったけれど、次のは全然分からなかった」
「そうか? 最初のはよくわかんなかったけど、次のは普通だったじゃん」
二人の間に沈黙が下りる。私は、どちらも意味が分からないものだった。
「……最初のは、絵を見て答えるだけだったじゃない。でも次は、お経みたいな音が流れるノイズだらけの映像だったわ」
「は? 最初のは意味わかんない絵だったけど、次のは女の子たちが楽しく会話してるだけの映像だっただろ」
二人に同時に見られ、私は自分が受けたテスト内容を説明した。どうやら三人とも違うテストを受けていたらしく、柴咲先生に説明を求めるべく目を向ける。
すでに先生は食べ終えており、お茶を一口すするとナプキンで口元を拭った。
「残念だけど、テストは全員同じ内容だったわ。私には、真っ白な紙と真っ白な画面にホワイトノイズしか聞き取れなかった。……あれが見えたり聞こえたりするのは、特別な能力がある子だけなの」
先生が淡々と話している声に混じって、どこからかか細い声が聞こえてくる。声はどうやら中庭の向こう、塀の外から聞こえてきているようだった。
「もともと霧生家は巫女の家系で、村自体も霧生家の力で繫栄していたの。最初の巫女はかなり強い力を持っていたのだけれど、血が薄まることによって能力の弱い子供しか生まれなくなったの」
霧生家の昔話も気になるが、次第に大きくなっていく塀の向こうの声も気になる。
真剣に柴咲先生の話を聞き入っている紗良の隣では、佳也子が私と同じように中庭を見つめているのに気付いた。
「佳也子。あの声、聞こえてる?」
「うん。汐里も聞こえてるのか?」
視線を塀からそらさずに、佳也子が心ここにあらずと言った口調で答える。よく見るとその視線は、塀の上の鳥よけを順番に見ているようだった。
等間隔に並んだ鳥よけは、昼間見たときよりも丸みを帯びているように見えた。あんなに鋭く尖っていた先端も、なぜか曲線を描いている。もっとよく見ようと立ち上がり、窓辺に近づく。
ライトアップされた日本庭園の先、白壁の上に並んだ黒い丸。目を凝らしてじっくりと見た瞬間、黒い丸と一斉に目が合った。
眉の上で真っすぐに着られた前髪に、どこを見ているのか分からない切れ長の目。大きく開いた口からは、向こうの景色が見えている。ガクガクと唇が動き、何かを言っているのだと言うのはわかるのだが、発せられる声は言葉になっていない。
「なあ汐里、あの子たち、パンケーキのあるお店に連れて行ってくれるって!」
佳也子が隣で嬉しそうにそんなことを言う。
「何を言ってるの?」
「ほら、おいでって言ってる。今行けば、限定のフレーバーがあるらしいぞ」
「佳也子?」
「パンケーキ、食べてみたかったんだよな。修学旅行の時に行こうと思ってお店を調べてたんだが、まさかこの村でも食べられるとは思わなかった。汐里も前に、食べたいって言ってただろ、行こうぜ」
佳也子の声をかき消すほど大きな声が、塀の向こうから聞こえる。相変わらず塀の上では無数の顔がガクガクと顎を揺らしており、いくつかの頭が日本庭園に落ちてきていた。
「ほら、おいでよ」
佳也子の口から、彼女のものではないひび割れた声が聞こえる。
掴まれた手首が痛い。ギリギリと締められ、指先の感覚がなくなっていく。
脳裏に、鹿倉の言っていた言葉が蘇る。
『見えたんなら呼ばれるな』
彼は確かに、そう言っていた。
「行けないよ!」
手を思い切り払いのけたとき、なぜか佳也子は嬉しそうな顔をしていた。
「……霧生家の血を守るためにも、村人の中で霊力の高い人が生贄として選ばれて、白壁の向こう側に生きたまま埋められたそうなのよ。今ではもう、霧生家もこの村にはいないし、巫女のための生贄も必要ないのだけれど、今まで生贄にされた人たちは、時代が変わったから終了って言うのに納得がいかないんでしょうね」
柴咲先生の声は優しく、ボンヤリとしていた頭が徐々にはっきりとしていく。ついさっきまで、何か恐ろしいものを見ていた気がするが、よく覚えていない。
「汐里、大丈夫? 顔色悪いよ?」
紗良の言葉に周囲を見渡せば、テーブルの上には食べかけの食事が三人分残っていた。中庭の池には鯉でもいるのか、波紋がいくつも広がっている。
「……紺野さん、ちょっとこの写真を見てくれる?」
柴咲先生が傍らに置いた鞄から、一枚の古ぼけた写真を取り出す。セピア色の写真には、見慣れた白壁が映っており、全く同じ顔の人々が虚無の眼差しでこちらを睨みつけている。
ひっと喉の奥で息を呑みこんだとき、無数の顔の中に一つだけ、他とは違うものがあった。小麦色の肌に、勝気な顔立ち。見たことのあるこの顔は――。
「かや……」
何かを言おうとして、言葉が霧散してしまう。何とか思い出そうと写真を見れば、先ほどまでの顔はどこにもなく、ただの白壁が写っているだけだった。
「この村にはね、遠くに行ってはいけない子がいるらしいの。もしかしたら、今も誰かが連れて行かれたのかもしれないわね」
柴咲先生の言葉が、鋭く胸に突き刺さる。
確かにこの場には、私と紗良のほかに誰か一人、いたはずなのだ。
冷めてしまった誰のか分からない食事を見つめながら、心にポッカリと開いた隙間を埋めるように、私はブツブツと呟き続けていた。
「見てしまったとしても、行かなければ良い。行かなければ良い、行かなければ良い、行かなければ良い、行かなければ……」
塀の外 佐倉有栖 @Iris_diana
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