第5話 薄氷の希望に伸ばした手

 夏休み中の帰省。それは、小学生の頃からのルーティーンだった。夏は母方、冬は父方と、毎年新幹線を予約しては会いに行っているため、地元の行事に参加した試しがない。


「じゃあやっぱり、今年も花火大会には行かないの?」


 鍵盤から手を離し、こちらに向き直る奏。このまま暫く話し込むつもりなのだろうか。場の空気は、すっかり雑談ムードと化していた。


 ならばこちらも応えようと、背伸びをして緊張をほぐす。


「行かないな。暑い、人がごった返している、その上屋台はアホみたいに高い。むざむざ蚊に血をやるのも御免だ」

「でもでも、おっきな花火だって上がるんだよ? 毎年家で花火してるくらいなんだし、一回は行ってみたら?」

「人を寂しいやつみたいに言うな」


 「それより、どうして知っているんだ」とツッコミが喉まで来たところで、昔一緒に花火で遊んだことを思い出す。



 あれは二人が小学生の頃。毎年夏になると、どちらからともなく声をかけ、俺の家の庭に集合していた。それで、「どっちが長く火をつけていられるか」とか、「どうやったら花火の残像が綺麗に写真に残るか」とか言い合いながら、何時間もぶっ通しでバケツに燃えカスを突っ込んでいたのだ。


「どうしたの? 急にニヤニヤして……ハッ! もしかして拓斗、罵られて喜ぶタイプ?」

「断じて違う」


 無意識のうちに、目を細めていたらしい。軽く咳払いをし、体裁を取り繕う。


「手持ち花火にしかない風情があるんだよ。そういう奏は、今年も海外旅行なのか?」

「……ううん、私はお留守番。行きたくないって断っちゃった」

「断った?」


 物珍しさに復唱する。奏が家族旅行を拒否したケースは、これまでに一度も無かったからだ。――親と喧嘩でもしたのだろうか。そんな感想が顔に滲んでいたのか、奏は空笑いを貼り付ける。


「うん、ケンカ……なのかな。今年は家で過ごしたいって言ったら、“だったらあなただけ残りなさい”ってお母さん怒っちゃって」

「――」

「まあ、気が楽といえば楽なんだけどね〜。私、あんまり親のこと好きじゃないから……」


 奏の両親は。芸術家という職業柄のせいか、はたまた本人の気質のせいか。早い話、夫婦揃って子供に意見を許さないタイプだった。


『……相変わらずの毒親っぷりだ』


 吐き捨てる場も無く、こみ上げる怒りを胸中に溜め込む。――彼女の家は裕福で、両親も外面が良い。故にそのに辿り着ける者はおらず、俺達だけで秘密爆弾を共有していた。


「期間はいつも通り、一週間か?」

「うん」


 彼女の親に直談判することも、教師に打ち明けることも叶わず。結果として奏は、独り檻の中戦っている。波風立てず、じっと息を潜めながら。


『とはいえ、流石に心細いだろうな……。だが、俺に何が出来る? 奏の家に泊まるなんてもってのほかだ』


 せめてもの救いになればと、家に招き入れていた幼少期を思い返す。


『あの時の奏は、楽しそうにしていたな。……だからといって、この年で家に上げる訳にもいかないが』


 けれど、我が身可愛さに見捨てるなんて出来ないし、やりたくもない。――だったら答えは一つじゃないか。彼女の親に叱責されるのを承知で、手を差し伸べるのだ。


「なら、今年は俺も趣向を変えてみるかな。灰色の高校生活なんて寂しいし」

「じゃあ……!」

「ああ。二人で花火大会に顔出してみるか」

「やったあ! ……でも、いいの?」


 目を見て頷く。すると奏の表情は一転し、花が咲いたように綻んだ。


「んっふふ〜、さっすが幼馴染みおさなな分かってるぅ!」

「今回だけだからな」

「はーい! この恩は100倍にして返すから、忘れずメモっといてね!」


 他人事のように手を振る奏。その態度は、自由奔放な女王の如く堂々としている。


『とすれば俺も、外見を繕う必要があるな』


 散髪はともかく、浴衣は持っていないので買うしかない。果たして貯金は幾らだったかと、腕を組み思い起こす。


「……った」

「悪い、何か言ったか?」


 まだ会話は続いていたのか。急ぎ顔を上げるも、奏は首を横に振る。


「ううん、何でもない! ピアノ弾くのを忘れちゃうとこだったって」

「確かに、話が脱線していたな。許可を得ているとはいえ、あまり長居すれば、次回以降貸し渋りされるかもしれない」

「だよねえ……。じゃあ、今から早速お披露目しちゃいます!」


 すっかり調子を取り戻した奏はピアノに向き直り、ノートを開く。そして深呼吸を一つし、おもむろに鍵盤に触れた。

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