第4話 滴る汗と滲む紙
それから時は数ヶ月経ち。気が付けば、入道雲や蝉が現れるようになった。
『……帰りたい』
絵に描いたような夏の風物詩が、透けるカーテン越しにアピールしている。だが今俺は、人目をはばからず机に突っ伏していた。ジリジリと火傷しそうな日差しが窓から届き、生ぬるい風が天井の扇風機から送られてくるからだ。
『誰だか知らんが、制汗剤がキツすぎる……。匂いで誤魔化そうとするな、むしろ悪化してるぞ』
今日の外気温は37℃。また、湿度は60%を超える地獄の蒸し風呂状態。教室には一応エアコンがあるものの、国からの節電要請により、ギリギリ死人が出ない程度に抑えられている。
『くそ……いっそオンライン授業にしてくれ』
頭が回らない中、得られるものなど有りはしない。しかしクラスメイトは平気で祭りだ水着だと色めき立っているし、隣の奏は机に齧りつき、ノートとにらめっこしている。もしかすると、暑さに堪えられないのは俺だけなのだろうか。
『あと一コマで昼休みか……』
飲みかけのペットボトルに口をつける。さほど時間は経っていないはずなのに、自販機で買った水は既にぬるい。
『弁当食い終わったら捨てに行くか』
机の脇に提げたビニール袋は、
「えっ、拓斗ってばもうそんなに飲んだの?」
直後、隣から驚きの声が聞こえる。汗を拭い顔を上げると、はつらつとした奏が俺を見ていた。
「良いだろ別に。そういうお前は、しっかり水分摂ってるのか?」
「うん、大丈夫! それより――じゃーん! なんと、早くも六曲目が出来ました!」
「ほう。こんな短期間で仕上げるのは珍しいな」
奏の手には、前回とは別のノートがあった。今度はタイトルを既に決めているらしく、“Kiseki”とマジックペンでスタイリッシュに書かれている。奇跡や軌跡といった、複数の意味を籠めているのだろうか。
ノートを見つめていると、奏は得意げに人差し指をクルクルと回す。
「ふふん。今回はあっという間に
「類稀なる
「えへへ、面と向かって言われると照れますなあ」
「まだ自称だけどな。それで、今回も披露してくれるのか?」
「もちもち! 今日とかどうかな? 多分空いてるよね?」
何故人のスケジュールを憶測で語るのか。悲しいかな、実際特に予定は無いが、手帳を開き意地悪を言ってみる。
「――あ、悪い。今日バイトあるわ」
「ふぇ!? そ、そんなあ……。じ、じゃあ明日は空いてる?」
俺が断るとは思っていなかったのか、奏はあからさまに眉尻を下げた。すると、どこからか視線が突き刺さる。――「調子に乗るな」。前を一瞥すると、クラスメイトがそう言いたげに眉を顰めていた。
気まずさに、自ずと謝罪の言葉がこぼれる。
「いや、嘘だ。今日は空いてる。……騙して悪かった」
「むー。あんまりウソ言うと、オオカミ少年になっちゃうよ?」
「それは嫌だな」
「でしょ?」
だが、“嘘も方便”ということわざもある。「次嘘をつくとしたら、必要に迫られたときにしよう」と密かに心に決めていると、奏は席を立つ。
「とりあえず、お詫びとして自販機でジュース奢ってもらおっかな」
「昼休みで良いか?」
「ううん、今」
黒板の上の時計を見やる。始業まで、残り5分しかない。「いや、無理だろ」と視線で訴えかけるも、奏はドアに駆け寄る。
「いけるいける! ほら、ダッシュ!」
「あ、おい――!」
有無を言わせないつもりだ。しかし自分が蒔いた種である以上、大人しく財布を持ち後を追う。
『……楽しい』
俺の言葉に一喜一憂するさまが、無性に心をざわつかせる。喜びとほんの少しの加虐心が混ざりあった、卑しくも人間らしい感情。いわゆる「好きな子をからかう小学生男子」の気持ちを、階段を駆け下りながら実感した。
◇◇◇
時は放課後の15時。大抵の生徒が帰宅する中、俺達はまたも職員室で鍵を借り、音楽室に来ていた。
『涼しい。まるで避暑地だ』
エアコンの恩恵を存分に受けながら、揃って支度をする。
期末テストも終わりということもあってか、準備を済ませた
「ねえ、拓斗。拓斗は今年の夏休み、どう過ごすの?」
「そうだな……前半は、全課題を終わらせるのに充てる。後半は、祖父母の家に帰って過ごすつもりだ」
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