第3話 甘い誘惑に身を委ねる

 時間と金銭面に多少のゆとりがあった為、揃って寄り道をすることにした。学校から約20分離れた場所。家路の途中に位置する、俺達にとって好立地の行きつけカフェだ。


「ここも随分立派になったな」

「ね〜。オープンした時から知ってるけど、まさかこんなに人気になるなんて思わなかったよ。いやあ、すっかり立派になっちゃって……」


 “平屋だが敷地は広く、価格はお手頃。だがドリンクやフードは一線を画すほど美味しい”という評判が入ってからだろうか。結果として俺達の憩いの場は、客足が絶えない人気店に成長していた。


「ほら、さっさと入るぞ」

「うわっ、せめてツッコんで!」


 腕を組んで古参アピールする奏を引き連れ、ドアを押す。直後、頭上のベルがカラコロと鳴り、芳しいコーヒーの香りが出迎えてくれた。


『結構混んでるな……席は空いているだろうか』


 ざっと周囲を観察していると、若いウェイターがやって来る。まだ採用されて間もないのか、ぎこちない笑顔が貼り付いていた。


「いらっしゃいませ、何名さまですか?」

「二人です」

「かしこまりました! ではご案内します!」


◇◇◇


 通されたのは、道路が見える窓際の席だった。既に帰宅ラッシュが始まっているのか、視界の端では絶えず車が通り過ぎる。


『……眩しい。もっと目に優しいハイビームは開発されないのか』


 気が散るなと思いながらもメニューを開く。真っ先に主張してきたのは、限定フードの数々だった。季節が春のためか、全てが桜色に染まっている。


「へえ、昨日から限定メニューが始まってたのか」

「えっ!? ほんと!?」


 奏はメニュー表を開くや否や、目を見開く。


「うわっ、美味しそう! でも……」

「太るって?」

「うん……」

「調べてみるか。えー……桜のモンブランが250kcal、桜ラテが280kcal――」

「やめてやめて! 聞きたくない!」

「なら、頼むの止めるか?」


 あからさまに葛藤する奏。限定メニューを制覇しがちな彼女には、一層魅力的に映っているのかもしれない。――ならば、俺が背中を押してやろう。


「――ここは俺が出すと言ったら?」

「! ……いいの?」

「ああ。二言はない」


 するとどうだろう。さっきまであんなにも眉間にシワを寄せていた奏は、瞳を輝かせた。そして壁掛け時計を一瞥し、両頬を軽く叩く。


「……よしっ!」


 何やら意気込んだ奏は、満面の笑みでベルを鳴らした。


◇◇◇


『これは……正直想定外だ』


 テーブルには、およそ夕食前とは思えぬ量のスイーツが並べられた。モンブランやショートケーキ、プリンにブッセ。ドリンクには生クリームが浮かんでおり、見ているだけで胸焼けしそうになる。


 だが、それも彼女にとってはご馳走の山。奏はスマホで写真を撮ると、両手を合わせる。


「それじゃ、いただきまーす!」

「ん」


 コーヒーで視界を休ませながら返事をする。今の俺達を客観視するならば、フードファイターと審判かもしれない。


『よく太らないな……』


 この食べ盛りはいつまで続くのだろう。半ば呆れながらコーヒーを飲んでいると、奏は顔を上げる。


「それにしても、なんだかんだ今日もおごってくれるんだね。なにか良いことあったの?」

「いや、特には。あくまでこれは、さっきの対価だ」

「……ふ〜ん? つまり、“あの曲にはお金を払う価値があった”って思ってくれたんだ?」


 変なところで鋭い。スプーン片手に笑う奏は、「どう? 当たり?」と言わんばかりだ。このままでは負けそうなので、目を伏せ話題を切り替える。


「ものは捉えようだな。その発想力が、授業中の間食隠しにも活かせてたら良かったんだが」

「えっ見てたの!? ……えっち」

「……見られたくなければ、教科書を立てて食べるなんていうベタな手段をとるんじゃない。かえって目立ってたぞ」


 全員の置き方を確認した訳では無いが、恐らく奏以外は平置きだったのではないだろうか。すると奏は、青ざめた表情で口もとを覆う。


「ね、ねえ……。もしかして、先生も見てた?」

「さあな。俺はノートまとめるのに必死だったから分からん」

「ちょっと! 絶対知ってるでしょ! 内申に響くから教えてってばー!」


 店内に響く訴えに、何人かがこちらのテーブルを振り返る。しかし俺は、素知らぬ顔でカップに口をつけた。

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