資料10ー第8話

「エリィイィイィック‼︎」


 レスターが銃口を向けると、ハルカの前に立っていた男はこちらを振り返った。


 そこには〝禍々しさ〟があった。皮膚には血管が浮き出て、黒目が大きくなっている。全身を覆う触手はウネウネと蠢き、ところどころに血痕が付着していた。


「あぁ、そうだ……」


 男は口を開いた。その声は清廉な若手社長とは思えないほどドスの効いた声だった。


「我の名前はエリック・ミケルド・フォン・マグラリング・シュミット。貴様らを蹂躙する者だ」


「クソッ!」


 エリックはレスターの発射した弾丸を鳥の羽が宙を舞うように避け、間合いを詰め、


 下から上へ拳を突き上げた。

 レスターは銃身で受け止めるも、吹き飛ばされて木の幹に背中を打ちつける。


「グアッ!」


 途端に彼は腹部を押さえる。迷彩色の防弾チョッキから赤い血が滲み出ていた。

 エリックは間髪入れずに正拳突きをする。レスターは間一髪銃身で受け止めた。


「どうしてだ……。どうして、こんなことをする!」

「どうして? 愚問だなぁ! 我こそが、我々こそが、真の人類だからだ! 劣等種の貴様らは蹂躙され、死滅する運命にあるのだ。お前みたいにな」


 血管が浮き出た顔がニヤリと笑う。エリックの腕から生えた六つの触手がレスターに狙いを定める。


「あぶな——ッ」


 声を上げたときにはドリルはレスターに向かっていた。

 彼の体が貫かれる直前——




 一陣の風がエリックを突き飛ばした。




 一秒前までエリックがいた場所には黒い体をした人がいた。……いや、人外か?


「サ、ヤ、カ、を……」


 黒い人外の腹部には穴が空いていた。人の腕が通るくらいの太さで、血が垂れているが、穴は徐々に小さくなっていった。


 黒い人外の顔が見える。


 えっ……ハルカ? 


 顔に血管が浮き出ているが、目鼻顔立ちはハルカで間違いない。


「サヤカを……オレは、守るんだァ!」


 ハルカはエリックの元へ一足で跳び、腕に巻かれた大きなドリル状の触手で突きを繰り出した。エリックは触手を使って攻撃を防ぐ。


 まるで剣豪の試合を見ているかのような攻防が続いた。実力は互角に思われたが、ハルカの腹部に空いた穴からは絶えず出血が続いている。少しずつ押され始めてきた。


「ハルカ……いま、援護を……」


 レスターは銃を構えようとしたが、腹部を押さえて銃口を下す。


「グゥアァッ!」


 エリックから伸びた触手がハルカの肩を貫いた。赤黒い血がほとばしり、体勢を崩す。


「イアン……」


 イ・ソヒがオレの袖を強く引っ張る。彼女はわかっている。オレもわかっている。状況は火を見るよりも明らかだ。


「て、撤退しましょう! このままだと、全員が死んでしまう!」


 オレの提案にレスターは今まで見たことないくらい悲しそうな表情をした。でもすぐに目をキリッとさせた。


「みんな、撤退だ! 撤退する!」


 彼の声を合図にオレたちは来た道を戻り始めた。エリックもオレたちの行動に気付き、追おうとするが、ハルカによって阻まれてしまう。


「ハルカ! ハルカァ!」


 サヤカだけはハルカの元へ向かおうとしていたので、シャオユウが引っ張る。


「大丈夫。ハルカくんは、きっと大丈夫だから……」


 その声は濡れていた。




     ***




 トマス・ハウスに戻った一行の雰囲気は〝最悪〟だった。


 到着するなりレスターは倒れ込み、意識を失った。原因は明らかだった。すぐにアレックスが治療に取り掛かる。残りの人はリビングに自分のテリトリーを築き、沈黙していた。


「あ、あたし、なにか作ってくるね。みんなもお腹すいてるでしょう?」


 シャオユウの問いかけに誰も応じない。彼女は笑みを引きつらせたままキッチンへ向かい、一時間くらいしてパンプキンパイを持ってきた。味は絶品で、外はサクサク中はしっとり。カボチャの風味が口全体に広がる。


「クソッ……。いい匂いが、するな……」


 ソファに寝かされていたレスターがうめいた。


「大丈夫ですか、レスターさん。パンプキンパイ、食べます?」

「あぁ、一つもらおうか」


 彼はシャオユウからパンプキンパイを一口もらうと、よく噛みもせずに飲み込んだ。


「イアン、ちょっと来てくれ」


 彼の元へ行くと、ちょうどアレックスが治療セットを片付けて立ち退いたところだった。オレはアレックスがいた場所に座る。


「ありがとう。焦りで最適な判断ができなくなっていた。この場を借りて礼を言わせてくれ」


「い、いえ……。お、おれは、いや俺氏はただ、自分の思ったことを言ったまでで……」


「集団行動では、個の意見を殺しがちだ。決して悪い行いではない。むしろ誇っていい」


 オレは口をつぐんだ。撤退を提言できたのはオレだけの力ではない。イ・ソヒがいたからだ。


「それで、エリックがいた雑木林だが、何か気づかなかったか?」

「き、気づいたこと、ですか? いや、とくに……」


「そうか」と言うと、彼はズボンのポケットから端末を取り出した。


「オレの右目にはコンタクトレンズ・カメラが装着されていて、さっきの出来事をすべて記録してある。だから、ここに映っているはずなんだが……」


 彼が端末を軽く操作すると、画面に映像が表示された。ティアーナの遺体とエリックの形相、人外化したハルカが十倍速で過ぎ去っていく。


「あぁ、ここだ。これを見てくれ」


 彼が再生を止めた箇所は撤退する途中だった。一時停止された画面には木々と雑草が映っているだけで、それ以外に特筆すべきものはない。


「この地面に注目してくれ」


 レスターが画面をピンチアウトする。一見すればなんの変哲もない地面だが……


「あれ?」


 オレは首を傾げた。確かに、周辺は土の地面なのに、ここだけアスファルトかコンクリートで舗装されている。


「これが奥へ続いていたんだ」


 フリックした先には確かに舗装された地面が、まるで通路のように続いていた。


「もしかして、これって……」


 レスターは顔を歪めると、再びソファに横になってこちらを見た。


「あぁ、『トマス・プランテーション』だ。あれとコンクリートで舗装された道、二つは何か関係があるんじゃないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る