資料9ー第3話
翌朝、ワシはトマス・プランテーションの海岸にいた。
砂浜の上にビーチチェアを敷き、パラソルの日陰に入りながら、シェフが作ってくれた特製のパインジュースを啜る。
目の前では若者四人がビーチバレーをしていた。ボールを追いかける姿を見ると、「ワシも昔は……」なんて台詞が出てきそうだ。まして、彼ら四人のうち二人は昨晩襲撃を行い、一部失敗に終わっている。にも関わらずああも快活に遊ぶ姿を見せられると、気が滅入るものだ。
「
隣で観戦していたティアーナが声をかけてきた。
「其方に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、何なりと」
「其方はメスなど殺傷器具をいくつ所持しておりますか?」
「どういうことです?」
眉を顰めて彼女の顔を見る。中折れ帽とサングラスを身につけた中年女性は、サングラスをずらして裸眼を見せた。
「其方を我々の戦力と考えているのですよ」
「戦力……。それは衛生兵としての、ではなさそうですね」
「はい。一兵卒としての戦力です。
「ほう」
「端的に申し上げますと、普通の人間で彼らに勝つことはできません。ですので、少しでも殺傷能力のある武器を持った人間が必要なのです。医者である其方であれば、さぞ有用な〝武器〟をお持ちでしょう」
「ワシはただの医者です。人体について学んできただけで、戦闘訓練は受けておりません。それにこの老体。戦力になるどころか、足手まといになるかと」
「であれば、殺傷能力のある治療具だけでもご提供願いたい。もちろん、其方が必要なときには返却いたします。いかがでしょう」
「そうですね……」
答えに窮していると、トマス・ハウスに続く階段から少年が現れた。たしか双子の弟、ハルカだったか。少年はワシのことを見つけると駆け寄ってきた。
「あ、あの……サヤカが……」
***
ハルカに連れられて三号室へ行くと、床で少女が息苦しそうに倒れていた。周囲には嘔吐した痕跡があった。
「これはいけない。すぐにベッドへ運んで安静にさせないと」
ハルカと二人で彼女をベッドへ運び、口元についた吐瀉物を拭う。その後、自室から診療セットを持ってくると、体温を測る、心音を聞くなど初期診察を行った。
初期診察から心拍数が速いこと、体温が高いこと、舌にひどい炎症があることがわかった。原因は不明だが、ひとまず鎮静剤を打とう。〝正しい医者〟であるワシは考える。
だが、鎮静剤を投与しようとしたとき、ワシの脳裏にかつての出来事が蘇る。
少年の身体。
開胸された奥に覗く小さな心臓。
心臓に向かうメスの鋒。
心の枝に、新たな〝至高の果実〟が実った。
ワシは「あぁ、これは違う」と言うと、診療セットから抗不整脈薬を取り出した。
新しい注射器で薬瓶の中身を抽出する。全部抽出したら、針の先端から薬品を少しだけ出して、少女の細い腕に狙いを定める。白い肌の上からは黒い静脈がよく見えた。
息を吸い、針を刺す。
針は見事に少女の皮膚を貫き、奥まで挿入された。
高鳴る鼓動を抑えながら、ゆっくりと薬品を注入していく。この量であればすぐに心臓が止まることはない。心拍が弱まるだけだ。しかし同じ量を数時間おきに注射していけば、心拍はどんどん弱まり、最終的に心臓は停止してしまう。
「この注射を定期的に打とう。そうすれば、きっと良くなるでしょう」
「よかった……。ありがとう」
礼を言うハルカをよそに、ワシは診療セットを片付け始めた。
「あ、あの……。実は……」
ふと、彼は口を開いた。ワシは彼の方を見る。
「実はその、嘘だと思うかもしれないけど、サヤカは他の人の髪の毛や爪を口に入れると人外かどうか区別できるんだ。それで、イレーネの髪の毛を食べたら急に嘔吐して倒れてしまって……。だから、イレーネは人外だと思う。嘘だと思うかもしれないけど、本当なんだ。信じてほしい!」
面白い話が出てきたな。人外といい、〈神の御使〉といい、昨日までに信じられない光景は十分に見てきた。今更驚きはしない。
ワシは少年の肩に手を置いた。
「あぁ、信じるとも。それで、このことを他の人には言ったかい?」
「まだ言ってない。でも、レスターとシャオユウは昨日の夜〝占い〟で人間だって判明してる。もちろん、あなたも。だから、二人にはこのあと言うつもり」
「そうか。では、ワシから彼らに伝えてもいいかい。その方が彼らも信じてくれるだろう」
ワシは微笑み、少年は頷いた。
おまけ
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イアン、人知れず、涙を流す
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