資料7ー第11話
「マ……ユ……カ……」
掠れた声を最後に黒い影は絶命した。その目から涙をこぼして。
双子の弟、ハルカがどうして〝同胞〟と同じ姿になったのか。判然とした解は持っていないし、興味もない。
「何を見てるのかしら」
視線の先には一人の老人がいた。闇夜を照らすライトの下、ポツンと立つ老人はニヤリと笑った。
「とても美しいと思いまして」
私は自分の体を見つめた。全身から出た硬質角はまるで鎧のように体を覆っている。鎧には数多の血痕がついていた。レスター、シャオユウ、サヤカ、そしてハルカの血。
「美しい……それは嫌味? それとも妬み?」
老人は澄んだ瞳で答えた。
「いいえ、賛美です。それにしても、ハルカ様も人外だったとは、ワシでも気づくことができませんでした。良かったのですか、もしくは仲間にできたかも」
「私を襲ってきた時点で仲間ではないわ。それに、私は自由に生きたいの。殺したいから殺した。それだけのことよ」
「それは素晴らしいことでございます」
鋭い視線を彼に向ける。老医師は私の視線に動じず、「そういえば」と話題を変える。
「例の地下室の扉を開けることに成功しました」
「どうだった、中は?」
「ええ、大変
アレックスは憂うような目で私を見た。
「あなた様にとっては、つまらないものかと」
私は彼に背を向けると、リビングの窓に向かった。壁一面に広がるテラス窓からはピセムの夜と暗黒の海原が見える。外に出たら満天の星を見ることができそうだ。
窓を開けようとした、そのとき、
ガタッと二階から物音がした。私は自分の誤りに気づいた。トマス・プランテーションには私とアレックスだけではない。
もう一人いた。
***
二階の曲がり角の奥の部屋。ちょうどエリックの隣の部屋に彼女はいた。
黒のパーカーを身につけ、マスクと眼帯で顔の半分を覆っている。足は抱き抱えられ、手には端末が握りしめられていた。
「影が薄くてすっかり忘れていたわ」
私が一歩進むたびに、部屋の隅にいるイ・ソヒは震えた。その様子がおかしくて、つい歩幅を縮めてしまう。彼の気持ちが少しわかった気がした。
けれどもあっという間に彼女は目前に迫った。
「じゃあね」
私は背中の硬質角を彼女の頭蓋に勢いよく突き刺しッ————
眩い光が放たれた。
突然の光に私は目を瞑り、後退りする。
瞼を痙攣させながら目を開くと、彼女には傷ひとつついていなかった。
私はもう一度、硬質角を突き立てる。
眩い光。
何度やっても、眩い光が彼女を脅威から守った。
私は彼女の首を掴んだ。首を掴むことはできる。壁に押し当てると、パーカーが脱げ、白のショートボブが現れた。
ふと、彼女の眼帯から碧い光が漏れていることに気づいた。剥がしてみると、異質な恐怖を覚えた。まるで心が真空になってしまったかのような、そんな恐怖。
彼女の眼は碧く光っていた。
「誰……」
空っぽの心を満たすように口を開ける。
「誰なの、あなたは!」
***
どれくらいの時が過ぎただろう。
どれくらいの攻撃を仕掛けただろう。
ウエサワを殺した時よりも、彼を殺した時よりも、多くの斬撃を与えたはずだ。
なのに、どうして彼女は無傷なんだ!
私は諦観から首を離した。イ・ソヒは苦しそうに倒れ込み、這いつくばりながら逃亡を図った。ボロボロの服を引きずる彼女の逃げ足はナメクジのような遅さだったが、私には止める気力がなかった。
彼女が廊下に出て数秒後、ボウッと何かが燃える音がした。無気力なまま廊下へ出てみると、彼女の体から金色の炎が上がっている。見たことのない色の炎だった。
「う……あっ……」
炎に包まれる彼女は何か言おうとしたが、轟々と燃える炎の音にかき消されてしまい、聞き取ることができない。
炎は延焼することなく彼女の体だけを焼いた。私は彼女の隣に立つ老医を見た。
「なにをしたの?」
「特別なことはなにも。部屋から出てきた彼女の腕を掴んだら、炎が湧き上がったのです」
「ふうん、そう」
私は硬質角を彼のこめかみに突き刺した。
「あっ……おっ……」
言葉にならない声を捻り出し、彼は金色の炎の横で倒れた。
殺したことに深い意味はない。
殺したいから殺した。それだけだ。
***
窓から光が漏れてくる。日の出が近い。
これからのことは誰も教えてくれない。マリー・ブラントはいない。エリックもいない。地位も名誉も財産も全て無くなった。
私には何も残されていない。
それでも夜は明け、明日は訪れる。
進むしかない、前へ——前へ。
「でも、ちょっとは休んでもいいわよね」
事態が動くまであと四日ある。
頭を空っぽにして、束の間の休日を謳歌しようではないか。
私は笑みを浮かべると、ビーチに向かって歩き出した。
——————
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