資料7ー第10話

 なぜか、わからない。


 なぜ、生きているのかわからない。


 わかるのはこの体が軽いってこと。


 半径十メートル以内にある全ての〝もの〟が見えて、聞こえて、触れることができる。




   ————あぁ、なにもかも感じ取れる。




 飛んでくる銃弾を一つずつ確認して避けることができる。避けきれない弾は全身から生えた硬質角で弾くことができる。腕から、足から、背中から生えた触手は一本の通り道を作ることができる。


 三歩で砲手の元へ跳び、刃を交える。


 彼のサバイバルナイフと私の硬質角が擦れ合い、火花を散らす。彼のもう片方の手にある拳銃から放たれた弾を私は華麗に避け、背後に回り込み、切り付けようとする。だが、攻撃は浅く入り、防弾チョッキに阻まれた。


 彼は〝カプセル〟から回転式機関銃を取り出すと連射する。超音速の弾丸が二、三発命中する。痛みは感じなかった。




 体は軽かった。




 私は兎のように跳び、彼の頭上へ。

 重量のある回転式機関銃を彼は持ち上げることはできない。


 地面に捨て、〝カプセル〟からリボルバーを取り出す。

 引き金に指がかかる。




 まずい——間に合わない!




 そのとき……、

        彼の瞳孔が大きく開いた。




 引き金にかかった指が一瞬、剥がれる。

 彼の顔は、目前だった。




     ***




 頭蓋を貫通した硬質角を引き抜く。


 一分にも満たない攻防だったが、彼は強かった。全身から硬質角を出した私であっても死んでいたかもしれない。


 時計を見る。時刻は午前〇時を回っていた。

 もう一度、彼の顔を見る。その目は開かれ、とても悲しそうな表情をしていた。


 彼を中心に広がっていく赤い紋様。

 あぁ、私はこの男を殺したんだ。




 ——こんばんは、いい夜ね。




 私の部屋から声がする。


 マリー・ブラントは窓枠に腰掛けていた。膝が見えるほど短いタイトワンピースを着ているから、視点を変えれば下着が見えてしまいそうだった。


 ——ハァイ、あなたのお名前は?


の……名前は……」


 自分でも驚くほど低い声が出た。まるでこの世の闇を内包したかのような声。


の……名前は……」


 …………そうか。私は私じゃなかったんだ。




   「私はイレーネ。ただのイレーネよ」




 マリー・ブラントは笑みを浮かべた。今までの作り笑いとは違い、本心から笑っているようだった。


 彼女は質問を続ける。


 ——イレーネ。素敵な名前ね。あなたは今、なにをしていたの?


「人を、殺していたわ」


 ——あらすごいじゃない。どうだった? 人を殺した気分は?


「とても……とても心が軽くなったわ。ウエサワを殺した時も、エリックを殺した時も、ティアーナを殺した時も、そして彼を殺した時も。まるで見えない鎖を引き千切っているようで、私の体が解放されていく。そんな気がしたわ」


 ——自分の感情を素直に吐き出せる。とても素晴らしいことね。

 ——じゃあ、最期の質問。




   あなたはこれから、どうしたい?




「生きるわ。自由に、何者にも縛られない世界で」


 マリー・ブラントは笑みを浮かべると、腰を動かして後ろに移動した。窓は開いており、彼女の背中を支えるものは何もない。


 ——おめでとう、イレーネ。あなたは自由の身よ。


 彼女は窓から落ちた。

 悲鳴も、地面に落ちた音も聞こえなかった。


 私は追いかけようとも止めようともせず、彼女が落ちる姿を見送り、

 やがて一階に向かって歩き出した。





おまけ

————

 シャオユウは耳がいい。階段を降りてきた足音で全てを悟った。


 何も言わずにマユカを抱きしめる力を強める。マユカが顔を上げると、彼女の頬に水滴がポツリ、ポツリ、と落ちた。


 隣でハルカが立ち上がり二人の前に立つ。


 ——まだだ。まだ、諦めちゃダメだよ。


 彼の小さい背中はそう語っているようで、震えていた。

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