資料5ー第4話

「ギィ……!」


 舌に激痛が走る。激痛は細菌のように増殖して舌全体に広がっていきました。


「グゥ……ウゥ……」


 激痛を緩和させようと精一杯にえずきます。しかし出てくるのは唾だけで痛みは一向に引きません。


 やがて痛みは舌の奥まで到達し、脳へ向かっていきました。そのとき、サヤカの脳内には〝声〟が聞こえました。ヤスリで削られた怨嗟と初めて絶頂を知った叫喚……




   〝黒い繊維〟




 ノイズが吹き荒れる中、〝黒い繊維〟だけが不気味に蠢きながら漂っていました。でもその不気味さが、どこか懐かしく感じるのです。


 あれに触れれば何か変わるかもしれない。何かわかるかもしれない。サヤカが〝黒い繊維〟へ手を伸ばしたとき……


「サヤカ!」


 サヤカは我に返りました。ハルカが真剣な眼差しで見つめています。


「ハル……カ……」


 口から出た言葉は思ったよりも弱々しかったです。


「いい、しゃべるな。ひとまず横になろう」


 その場に寝転ぶと、少しマシになりました。


「ね、念のため確認するけど、イレーネは人外だったんだな」


 小さく頷きます。ハルカは何か言おうとしましたが、唾を飲み込んで料理人さんのことを見ました。


「レスターとティアーナが白でイレーネが黒だった。これって、残りの人外がエリックってことにならない?」

「そう、かも……しれない」


 料理人さんの顔は戸惑っていました。


「——でも証拠は? どうやって他の人に二人が犯人であることを説明するの?」

「だからシャオユウから説明して欲しいんだ」


「あたしから?」

「二人に信頼のあるアンタの話なら、きっと信じてくれるはずだ」


「……わ、わかった。あたし、二人のところに行ってくるよ」


 料理人さんは部屋を出ていきました。


「サヤカ、大丈夫か?」

「う、うん」


 ハルカに支えられながら起き上がると、床に置いてあったコップの水を一口飲みます。口の中はまだ痺れるように痛く、水の冷たさによって余計ひどくなった気がしましたが、それでも水はサヤカの喉を潤してくれました。


「ありがとう、だいぶ良くなった」


 ハルカも何か言おうとしたとき、下から料理人さんの悲鳴が聞こえました。

 サヤカは立ちあがろうとしてよろめきました。


「無理しなくていいぞ。オレだけ様子を見てくるから」

「ううん、大丈夫。それより、サヤカも一緒に行きたいの」




     ***




 下へ向かうと、軍人さんと手品師さんが一緒でした。彼らとリビングに向かうと……


 血だらけの学生さんと、彼女に駆け寄る料理人さんがいました。学生さんはひび割れた壁に寄りかかっており、衣服は破けてボロボロになっていました。破けた衣服からは無数の刺し傷が見えて、そこから血がドックドックと溢れています。


「あぁ……ひどい……」


 料理人さんが学生さんに触れた瞬間、触れた場所から金色の炎が現れました。


「きゃっ!」


 料理人さんは思わず手を引っ込めますが、金色の炎はみるみる学生さんの体を包み始めます。


 サヤカも含め、その場にいた全員が固まりました。誰も声を出さない中で漏れる吐息。それは学生さんのものでした。


「あぁ……ここまで、か。けっこう、がんばったんだけど、なぁ…………」


 学生さんは燃える手を料理人さんに伸ばしました。けれども、料理人さんは一歩退きます。燃える手は悲しそうに空を掴み、空中に浮いている画面を指差しました。画面にはパスワードのようなものを入力する枠が表示されていました。


「おねがい……あの、パソコンに……」


 そこまで言ったところで金色の炎は学生さんの顔を覆い尽くしました。そのまま彼女の体を燃やし尽くします。


 焼け跡には何も残っていませんでした。


「なにが起きたのですか!」


 慌てた様子で社長さんとお金持ちさんがリビングに入っていきました。方向からして外から戻ってきたのでしょう。


 その言動はとても嘘っぽく見えました。




     ***




 ふと、学生さんが焼失した場所から悍ましい——いえ、悍ましいという言葉ですら内包できない負のオーラを感じました。


 よく目を凝らすと、壁にできたひび割れから〝黒い繊維〟がまるで虫のように這い出てきたのです。


 息を呑む間もなく滲み出てきた〝黒い繊維〟は束となり膨れ上がり、巨大な〝繭〟を形成しました。それは何度も見てきた〝黒い繭〟とは違いました。サヤカの二倍以上の高さがあり、手が生え、まるで意思があるかのように辺りを見回していました。


 サヤカは〝黒い繭〟に向かって手を伸ばしました。するとどうでしょう。サヤカの動きに合わせて、〝黒い繭〟もサヤカに手を伸ばしてきたのです。


 ヤメロ! これ以上はダメだ!


 心が叫んでいるのは知っていました。でも、それでもやらなきゃいけない気がして……。


 〝黒い繭〟はサヤカの身長ほどある手でサヤカの体をギュッと握り締めました。サヤカは息苦しさを覚えます。けれども、誰もサヤカの異変に気づきません。誰も〝黒い繭〟を見ることができないからです。


 呼吸が困難になりながらもサヤカは〝黒い繭〟に向かって手を伸ばしました。腕をピンと伸ばしても〝黒い繭〟に触れることはできません。サヤカと〝黒い繭〟の間にはちょうど指の第一関節分くらいの隙間がありました。


 あと少しだけ、あと少しだけ……。


 サヤカはありったけの力をこめて腕を伸ばしました。肩の関節が外れるんじゃないかと思うくらいグンと腕を伸ばしたとき、


 指先が黒い繊維に触れて————




    《ようこそ、ハバラノカミ》




 針で全身を刺されたような感覚がしました。それが〝恐怖〟だと気づくまで少し時間がかかりました。


 気づけば、〝黒い繭〟が口を開けていました。口には白い歯がびっしり並んでいます。


 あぁ、サヤカは少々みくびっていました。これまで対峙していてきた人外とは違う。


 彼らは〝純血〟の人外だ。




 〝黒い繭〟がしゃべりました。



《よく来たねぇ〜。それじゃあ、始めようか》



 そして、その大きな口でサヤカの上半身を喰い千切りました。

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