CASE.3 榊秀香 2
この案件、どうにも気味が悪くていけ好かねぇ。
こんなに気乗りしねぇ仕事はいつぶりだ?
しかも真昼間だってのに薄暗く、何もかもが灰色掛かって見えやがる。運転する社用車の窓を冷たい雨が叩きつけた。
『フランケンシュタインの怪物』
理想の人間を作り上げたマッドサイエンティストとその怪物の物語。なぜだかそんな昔観た映画を想起していた。
あたしらが向かっているのは、
しかもこいつが担当の案件と来た。きな臭い匂いしかしねぇ。
眉間に深い谷を作っていると、隣の助手席に座る趣味の悪い縦ストライプスーツ野郎が呑気に言う。
「
『秀香』…。狐島は産まれ直しプランで転生した娘の名前を出しその誕生を祝った。だがあたしはそんな気にはなれず、間違いを訂正する。
「もう『秀香』じゃねぇよ。新しい名前は確か…『
記憶を消されて転生したんだ。そいつはもう全くの別人と言っていいだろう。
そんなあたしの小言に対し、狐島はわざとらしく煽てた。
「さすがは
その言葉に思わず舌打ちが出た。面倒くせぇ。なんであたしがこんな奴と。
転生後の経過観察。それがあたしらが
転生先が現代の場合、可能な限り経過を見て異常が無いか確認するのもあたしらの仕事。今回は特殊なケースというのもあって2人での訪問となる。
…件の子供が産まれたらしい。1億円以上つぎ込まれて転生した『非の打ちどころの無い完璧な娘』とやらが。
さて、いったいどんな子供が産まれたんだろうね…。
「ようこそいらっしゃいました。」
派手なドレスを着た夫人が出迎えた。もりもりの縦巻き髪に、胸元や手首に目がくらむような宝石を目一杯携えて。高い天井に吊るされたシャンデリアに負けず劣らずの輝きを放つこの女が、母親の榊
まさに富豪。玄関に至るまで何分か歩かされたし、途中にはプールもあった。一度でいいからこんな家に住んでみたいもんだ。…だが、大げさに言えば秀香はこの親に殺されたようなもんなんだ。こんな華麗なる一族に産まれて幸せになれないなんてことがあるんだと思うと、考えさせられるものがある。
「その後体調のほどいかがでしょうか。」
子供部屋へと向かう長い廊下の途中、狐島が腰低めに尋ねる。恵麗奈夫人はそれに対し穏やかな笑みで答えた。
「もうすっかり良くなりましたわ。36歳という子供を産むには決して若くない年齢ですので大変でしたが、苦労とお金をかけた意味は大いにありましたわ。わたくしにふさわしい完璧な娘が産まれたのですから。」
けっ、ご満悦そうにしやがって。子供が元気に産まれたかどうかより大事なのはそれかよ。心の中で悪態をついていると、狐島が馬鹿をやらかす。
「秀香様も元気に退院されたということで。」
「天嶺、ですわ。」
「あんな出来損ないと間違えるな」と言わんばかりにすかさず夫人がピシャリと訂正した。明らかに不機嫌になった夫人と謝罪する狐島を横目に、あたしはバレないようにため息をつく。こいつら…狐島も含め何もかもがいけ好かねぇ。あー、早く帰りてぇ。
そうこうしているうちに目的地へと到着した。子供部屋…というには広すぎるようにも思えるその真ん中にベッドは置かれていた。
それはそれはたいそう豪華なベビーベッドだった。
あからさまにあたしが使っているベッドより高価だ。立ち並ぶ柵には細かな装飾が施されており、布団の生地はツヤツヤのシルク。
その中で横になり「あぶあぶ」と言葉にならない言語を発しているのが例の子供か…。
パッと見普通の赤ん坊だった。転生は問題なく成功したものと思われる。母子ともに健康ということで、仏田転生店としての仕事は全うされたと判断しその旨を夫人に伝える。
「問題ありませんね。もし今後何かありましたらすぐにご連絡ください。」
はい、仕事終わり。そもそも経過観察なんて形式的なものでしかねぇからな。
そして夫人はまるで「良い買い物が出来た」と言わんばかりの満足そうな表情で言った。
「この度はありがとうございました。これでわたくしの今世は満足いくものになりそうです。いずれわたくし自身も転生するつもりですので、その際はまたそちらにお願いしようと思いますわ。」
そりゃどーも。会社としちゃあこの上ねぇ上客だよあんたは。そんなやりとりをしていると、背後から狐島の声が聞こえてきた。
「秀香様、すくすくと元気に大きくなってくださいね。」
狐島は柵から身を乗り出し、赤ん坊に目を合わせながら話しかけている。
おい、馬鹿。てめぇは同じ間違いを何度すりゃ気が済むんだよ。上客が逃げちまうだろうが。夫人がキレる前に一喝を入れるため、あたしは赤ん坊のそばにいる狐島に近づいた。
その時、それは目に入った。
…あ?
さっきまでは普通の赤ん坊だったじゃねぇか。どうして、こんな…。
そのあまりの不気味さに、気付くと全身に鳥肌が立っていた。
位置的に夫人には見えていない。とっさにあたしは「バレてはいけない」と直感した。
「申し訳ありません。うちの者が何度もご無礼を働いてしまって。よく言って聞かせますので、どうかご容赦を。」
体の奥から冷や汗がじんわりと湧いてくるのを感じながら頭を下げる。
すると夫人はやれやれと呆れた感じで、ため息交じりに答えた。
「気を付けてくださいね。」
その場を誤魔化すことに成功し、あたしたちは駐車場に戻ったのだった。
社用車に入ると、あたしはすぐさまファイルを漁った。
あのえもいわれぬ気持ち悪さの正体を確かめるために。
転生者概要…『榊秀香』の転生プランについて細かく記された書類を取り出し隅々まで見渡した。
「細かな間違いを見つけるのが得意な竜崎さんでも、さすがに気付きませんでしたか。」
狐島は助手席に座りなぜか少し楽しそうにしている。こいつ…初めから何もかも分かっていやがったのか。
書類の中をどれだけ探しても『記憶消去オプション』の記載が無かった。
気付かなかった…。いや、書いてないから気付けなかったんだ。
「てめぇ…どういうつもりだ…?」
全てを見透かしたような腹の立つ顔で笑う狐島を睨みつけ問い詰める。
さっきのあいつの眼。あれは赤ん坊の無垢な眼差しなんかじゃない。どこまでも黒く、暗く、恨みつらみを募らせ意思を持った眼だった。
それが幼い赤ん坊の顔についていやがる違和感と気持ち悪さ…。狐島は名前を間違えていたわけじゃなかったんだ。
あいつはまだ、『秀香』なんだ。
――私は思い出していた。
あの日、仏田転生店で交わした狐島さんとの秘密の会話を。
「秀香様、本当に記憶を消してしまってよろしいのですか?」
一通り転生プランが完成した後、お母様がトイレに立った一瞬のタイミング。私が一人になったそんな隙を見て、ここぞとばかりに狐島さんがそう持ち掛けたのだった。
状況が分からず「え?」とだけ返すと、狐島さんは説得するような口調で私に語り掛ける。
「『全てのお客様に、理想の転生を』それが我が社のモットーです。この転生プランはあなたのためのものでなければなりません。ですが私には秀香様が望んだプランになっているようにはどうしても思えないのです。」
…確かにそうだ。私はこんな転生望んでなんかない。けれど子供の私にはどうすることも出来ないんだ。
俯いて黙っていると、狐島さんがさらに続けた。
「そうですね、どうしようもないのですよね。正直いち店員でしかない私としても、この転生を止めることは出来そうにありません。」
そして狐島さんはテーブルから身を乗り出し、訴えかけるように言った。
「それならばせめて『秀香様にとっての理想の転生』となるようにお助けしたいのです。いち店員として。どんな転生がしたいのか、後悔の無いよういくらでもわがままをおっしゃってください。」
「…良いんですか?」
その甘美な提案に思わず言葉が零れ落ちた。けれど今までお母様に逆らうような真似は許されなかったのに、本当に良いのだろうか。
「良いに決まっています。この転生プランは秀香様のためのものなのですから。」
狐島さんはにっこりと笑っていた――。
赤ん坊の体ってこんなにも不便なんだなぁ。
私は頭の中で独りつぶやく。産まれてからこうしてひたすら思考を巡らせることしかしていない。というか、寝返りすら打てないこの未熟な体ではそれくらいしかすることがないのだから仕方ない。
私が下したお母様に対する密かな反抗はバレずにあっけなく通った。金額がいくらになろうと気にしないような人が、多少プランに変化があっても気付けるはずない。
さっき狐島さんとアイコンタクトが取れた。たぶん私に記憶が残っていることを確認したかったのだと思う。あの時狐島さんの提案がなければ、私はもうこの世にいなかったんだろうな。
鼻歌を歌いながらお母様がベビーベッドへと近づいてくる。そして笑みを浮かべながら私の小さな体を抱き上げた。
「天嶺…わたくしの愛しい娘。すべての才覚を宿して産まれたあなたは、これから完璧な人間へと成るの。そしてわたくしの人生を彩ってちょうだい。」
…私は『天嶺』なんかじゃない。そしてあなたのアクセサリーでもない。
私の真価を知っているのは、この世で狐島さんだけしかいないんだ。
「私はお客様のお望みを叶えただけにすぎませんよ。」
薄暗い車の中、狐島は何も悪びれることなくいつもの笑みで言った。それはあたしが今まで見た奴の表情で、最も不気味な笑みだ。
「気持ちわりぃ…。」
思わず本音を吐き捨ててしまった。
…だが、まあいい。あたしもあの母親は気に食わなかったし、客の希望が反映されるべきだというのには同意する。
狐島は相変わらず隣でニヤニヤと笑っていた。
…待てよ。
本当にこれだけか?
所詮はただ記憶を残したまま転生したってだけだ。それだけでここまで勝ち誇ったみたいに笑えるか?
嫌な予感が拭いきれねぇ。あたしは慌ててもう一度くまなく書類を確認する。
一枚目、転生者概要には『記憶消去オプション』が無いこと以外の違和感はない。
別紙の二枚目には『才能習得オプション』で付けられた72個もの才能がずらりと並んでいる。勉学の才能・運動能力の才能・絶対音感…読んでいるだけで頭が痛くなりそうな大量のその文字列。
その中に紛れるようにしてそれはあった。
『暗殺術』
本来ならファンタジー系の危険な世界へ転生する際に付けられるようなスキルだ。こんなものがどうして紛れ込んでいる?
「これも…客の希望だってのか…?」
狐島を問い詰めると、いたずらがバレた子供のように少し楽し気な反応で言った。
「やっぱり竜崎さんの目は誤魔化しきれませんか。当然、秀香様のご希望ですよ。私が記憶の引継ぎを提案した際に「このスキルも付けたい」と。」
「ふざけんな…!どうして止めなかった…!?」
「『全てのお客様に、理想の転生を』それが我が社のモットーですからねぇ。」
それがニヤけ面と赤ん坊がした暗い眼の真意か。水面下で蠢く闇に気付き、鳥肌と冷や汗が止まらなかった。
この事態はどうする事が正しいんだ…?そう思案していると、狐島が釘を刺すように言った。
「いいですか竜崎さん。秀香様はただ『暗殺術』を習得して転生しただけにすぎないのです。ですから当然何の罪もございません。そして転生の手続きに関しても不正や書類の改ざん等は一切なかった。転生者ご本人の希望が最優先され、そして出資者たる恵麗奈様が変更点に気付かなかった。ただそれだけのことなのです。」
確かにそうだ。だからってこれが正しいのか…?
会社に言っても動いてくれるとは思えねぇし、母親に伝えれば『秀香』は幸せになれるんだろうか?あたしには…分からない。
頭の中でごちゃごちゃと考えていると、狐島が一方的に締めくくるように言った。
「我々の仕事はお客様の転生をサポートすることであり、それ以上でも以下でもない。これからどう生きるかは秀香様自身が決める事なのですよ。」
…クソが。
分かってんだよそんなこと。あたしらに出来んのは所詮その程度。経過観察とは言え、過度に干渉しすぎるのは違う。
ただ何事も起こらないことを願うだけしか出来ねぇのか…?
特大の舌打ちをし、頭をぐしゃぐしゃと搔きむしる。クソッ。だから嫌だったんだよ。こいつと関わるといつも面倒ごとに巻き込まれるんだ。
あたしにはどうすることも出来ねぇ。そう強引に割り切り、諦めの視線を榊邸へと向ける。
激しい雨だけじゃなく雷まで降ってきやがった。
これじゃあマジでフランケンシュタイン博士の館じゃねぇか。
あの母親が狐島たちの思惑に気付く日がやって来るとしたら、それはすでに取り返しのつかない状況になってからなのだろうか。
あんたが『檻』の中で大事に育ててんのは、人間によく似た化け物だよ。
雷光に一瞬照らされた狐島の横顔からは、いつの間にか笑みが消えていた――。
転生売買-テンセイバイバイ- わをん @wawon_wwn
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