後編

 ノックの音に目を開ける。見慣れた天井では、女神と天使が今日も無表情でこちらを見下ろしていた。シャンデリアの蝋燭は相変わらず溶けかけており、いつ滴り落ちてもおかしくなかったが、思い返してみれば火が灯っているところを見たことが無かった。

 もぞもぞと起き上がれば、ちょうど扉が開くところだった。


「おはようございますお嬢様、昨晩は眠れましたか?」


 今日も一分の隙もない完ぺきな身なりをした紳士が入ってくる。革靴の踵は、メトロノームのように正確に床を鳴らしている。


「えぇ、よく眠れたわ」


 次の紳士のセリフを思い出し、それに合うような言葉を考える。


「それは良かった。昨晩飲んだハーブティーのおかげですね。キャシーの郷里で古くから伝わるレシピだそうですよ」

「とても美味しかったわ」

「実はほんの少しだけ赤ワインが入っていたのです。キャシーに言わせれば、それがよく眠れる秘訣だそうですよ。数的程度ですし、ハーブに負けて味なんてほとんどしなかったとは思いますが、お嬢様は気づかれましたか?」


 紳士と初めて目が合う。優しい笑顔にこちらまで頬が緩み、自然と笑みが浮かんだ。

 恭しくベッドサイドに跪く彼の前に足を出す。ピンク色のリボンがついた靴が、ピタリと足にはまった。


「なんとなく、口に残る葡萄の味を感じたわ」

「さすがはお嬢様です。赤ワイン独特の渋みを感じられたのですね。それでは、問題です。朝食は何だと思いますか? ヒントは十月です」


 これは何度も見てきたため、簡単に正解することができた。


「プレッツェルね」

「素晴らしい! さぁ、焼き立ての美味しさが失われないうちに参りましょう」


 彼のエスコートを受けて立ち上がる。

 紳士の腕に触れても、振り払われることはなかった。優しく握られた手に導かれるまま、部屋を後にする。


 この屋敷で過ごす人々の目にこの世界がどう映っているのかは分からないが、こうして無理にでも会話を合わせれば、同じ世界を共有できているような安心感があった。

 彼らのルールに合わせて動けば、彼らは私を拒絶しない。

 だからこそ、世界から孤立しないように、毎日同じことを間違えずに繰り返すのだ。

 きっと、彼らも同じだから。

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世界は透明なルールで回っている 佐倉有栖 @Iris_diana

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