エピローグ,東京

 それから彼女は、「もう帰ろう」とだけ言って、二人で東京を後にした。

 結局彼女のお父さんは見つからなかった。私の両親は私の捜索願を出していたらしく、地元の駅に着くなり私達は警察に補導された。母は「もう帰って来ないと思った」と涙ながらに私を抱きしめた。父は「お母さんを心配させるな」と私を怒鳴りつけた。警察署で事情聴取を受けた時に、初めて彼女の本名を知った。

 ──中村沙也加。

 彼女のお母さんは亡くなっていなかった。彼女が家を飛び出した時に訪ねてきた男性がすぐに救急車を呼んだおかげで一命を取り留めたらしい。つまり彼女は、人殺しなんかじゃなかった。犯罪者なんかにならなかった。

 宗教狂いの母親を殺しかけて失踪した三年生と、それについていくように行方不明になった一年生の私たちの存在は、しばらく学校で噂になった。以前にも増して学校での居心地は悪くなったけれど、あの日のちょうど半年後に関東を中心に起こった震災のせいで全部有耶無耶になって、いつしか私達の噂は次第に忘れ去られてしまったし、いつの間にか彼女も学校を卒業してしまった。

 あれから彼女が彼女のお母さんとうまくやっていけたのか、私は知らない。

 一方で私は彼女みたいに自由に生きてみようと思って、東京の大学に進学することにした。両親に上京すると伝えた時には「なんで東京なのか理解に苦しむ」「地元じゃ駄目な理由が分からない」と猛反対を食らった。それでも私は自分の意志を貫き通して、逃げるようにあの家を、あの街をふたたび飛び出した。

「すみません、うちの店長がご迷惑をおかけして」

 空いたカップを下げながら、店員の女性は申し訳なさそうに言った。

「いえ、いいんですよ。昔からの知り合いなので」

 スマホを取り出して画面を見ると、待受にはあの時の記念写真が表示されている。時刻は彼女が出て行ってから既に二十分は経とうとしていた。

 不意に入り口の扉が開いた。私のいるテーブルに走り寄った沙也加は、申し訳無さそうに謝りながら向かいの席に座った。

「ごめんごめん。待たせちゃったね」

「ううん、大丈夫」彼女の方にメニューを向ける。「オレンジジュースでいい?」

「また子ども扱いして! 身長伸びたからって生意気!」

 嬉しそうに怒る彼女の顔を見て、無事に合流出来た事が分かった。

「店長は無事見つかったんだね」

「うん。なぜか駅の反対口にいたんだよね」

 その時、スタッフ専用口から金髪の女性が元気よく飛び出して来た。

「二人ともマジでごめん! アタシが方向音痴なばっかりに!」

 あの時と同じ調子で謝るヤマダさんは、あの日掛川で別れてから私たちよりも先に東京に着いた後、三年かけて本当に自分の店を持つという夢を実現させた。そして今日、その二号店のオープン初日に沙也加と二人でお祝いに駆けつけたのだけれど、ヤマダさんは駅で迷子になっていたのだった。

「二人は今日の夜、なんか用事あんの? 店終わったら改めてお祝いしようよ。あんたたちの上京祝いも兼ねて」

 ヤマダさんの提案に私と沙也加は顔を見合わせた。

 先週引っ越したばかりの私達の部屋にはまだ家具が揃っていないどころか、ダンボールの片付けすら済んでいなくて、ほったらかして外に遊びに行ってもいいような状態では無かった。

「家具を見に行く予定なんだけど、それが終わった後なら大丈夫」

「じゃあ用事が済んだら連絡してよ! 住所送ってくれたら最寄り駅に行くから」

 昼過ぎにヤマダさんのカフェを出た私たちは、新居の最寄りにある駅前のマルイに向かった。沙也加はキッチンの収納棚が真っ先に欲しいと言ったけれど、寸法を測ってこなかったせいで購入には至らず、結局百円ショップで掃除道具一通りを買っただけで用事が済んでしまった。時間があるからとウィンドウショッピングをしているうちに、外はどっぷりと日が暮れていた。

「だいぶ暗くなっちゃったね」

 家に向かう途中の歩道橋で足を止めた沙也加が、空を見上げながら言った。重い買い物袋を持ち直して私も見上げた。濃い青の空は、街の明かりで綺麗なグラデーションを作っている。満天の星空は無く、頭上には輝きの強い一等星だけが瞬いている。彼女は続ける。

「東京は星が見えないけど、街の明かりが眩しくて寂しくないね」

 その言葉に何故か寂しさを感じた私は、沙也加の手を握った。

「ちょっと〜。可織がいなくても寂しくないって意味じゃないよ〜」

 握った手を引いて、沙也加は嬉しそうに歩き始めた。駅前の喧騒が遠くなるにつれて、住宅地の方からは夕飯を作る懐かしい匂いが漂ってくる。

 歩道橋の階段を降り切るなり「家まで競争!」と突然言い出した沙也加の背中を慌てて追いかけながら、私たちは帰るべき場所へと走り出した。 

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紙の月と、銀河の中心 志村タカサキ @hayak_neru

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