神様からの贈り物

桔梗 浬

私の幸せはどこにある?

 『雲がゆっくりと動いている』


 少し厚い雲が青空の下をふわりふわりと泳いでいる。


 父が亡くなってからどのくらい経つのだろう? この街もだいぶ景色が変わったのに、空とシンボルの銀杏木は少しも変わらずに、私たちを出迎えてくれた。


「無理して来なくても良かったのに」


 母が申し訳なさそうにそう言う。その姿はだいぶ小さくなって、以前の刺々しい雰囲気がなくなった気がする。


「無理はしてないよ」


 来なければ来ないで文句を言う母に、「来なくても」などと言われると、少しイラッとくる。

 

 それでも大人になった私は、そんな感情を顔に出すこともなく、結婚する報告のために何十年かぶりに父の墓参りに同席したのだ。


 父とも母とも折り合いが悪かった私は、社会人一年目にして半ば家出同然で家を出た。

 父のことを快く思っていない母、愛情表現が苦手で家庭内ではコミュニケーションをほとんどとらなかった父。そんな二人の間で育った私は結婚なんて地獄だと思っていたし家族なんて偽りの集団だと思っていたから、墓参りも子どもの頃は嫌々付き合わされる行事の一つに過ぎなかった。


「この辺もだいぶ変わったでしょ」

「そうだね」


 ぽつりぽつりとお世辞にも会話とは言えない言葉を交わしながら私たちは歩く。


 子どもの頃は住職さんがお墓参りを終えると、お菓子を包んで持たせてくれた。私はそれだけが楽しみだったことを思い出していた。


 久しぶりに見るお寺は薄汚れ、今にも崩れるのではないかと思うほど古びたものになっていた。周りにあるお寺とは全く違い、おいてかれた時代の産物のようだった。


 私はお線香を準備してもらっている間、変わらずそこにある水汲み場を眺めていた。

 そうだった。私はここで彼に初めて会ったんだった。その映像が心に浮かび、胸がちくっとする。


 彼はここで手伝いをしていた。あまりにも素敵な笑顔で、お線香を受け取ったあの時の私は一瞬で心を奪われた。


『ねぇ、お母さん。見かけない子だったね』

『あら、前もいたわよ。だいぶ大人になって。お手伝いしているなんて偉いわよね』

『同い年位かな?』

『そうだと思うわよ』


 その時母はそんなことを言っていたと思う。高校生だった私は大人っぽい笑顔を見せるその子に、きゅんとしていた。見た目だけじゃなく、地味なお寺の仕事の手伝いを楽しそうにしていることに感動したのだ。


 そんな初恋とも言える感情を抱え、私は大人になった。


 すっかり忘れていたそんなある日、私たちは偶然に出会ってしまった。

 青いシャツに暖色系のネクタイ、黒地のスーツ。その時も、彼は遠くから見てもすぐわかるくらい素敵に輝いていた。


 私はあの時のお寺の子だってすぐにわかった。街中で会えるなんて運命以外の何物でもない! なんて、すごく浮かれていたのを思い出す。


「加奈ちゃん、お花準備してくれる?」

「あ、ごめん」


 いろいろな気持ちが、この場所に来たことで溢れてくる。さっきから蓋をしたはずの心がざわついてうるさい。



『君の気持ちに、どう応えていいかわからない』


 彼の最後の言葉だった。

 父に愛された記憶や、抱き締められた記憶がない私に、彼は私が望むことをさりげなく叶えてくれた。手を繋ぎ、ハグをして…腕枕で朝を迎えてくれた。全てが私にとって初めての経験だった。


 本当に大好きだった。寝顔だっていつまでも眺めていられた。


 それが…あの日。


『加奈、君は物事をいつも悪い方に解釈するんだね。いいかい? 全てのことは、良い意味にも悪い意味にも受け取ることが出きるんだよ。だったら、良い方に考えて行かないと、人生楽しくないでしょ?』


 ある日の彼の言葉。私が会社の愚痴をプンプンして話すと、少し寂しそうな顔で私をそうやって諭してくれた。


 あの時、既に彼のなかで私たちの終わりが見えていたのかもしれない。私は母と同じ、ただただ愚痴をこぼしていただけだったから。


 あの時こうすれば良かった、ああすれば良かったと思う毎日が続く。考えてもなにも変わらないのに……。

 次の恋を始めるまで8年もかかってしまうくらい、本当に別れは辛かった。こんなにも好きだった人は、人生のなかで彼しかいない。



「そういえば、正樹さんは元気なの?」

「えっ、あ…うん。元気にしてる。今日は来れなくてごめんねって謝ってた」

「良いのよ。忙しいんでしょ」


 母に心の中を見透かされたような気がして罰が悪くなってしまった。まーくんのことを一時でも忘れていたから。でもこの場所が私を過去の私へ導いてしまう。もう忘れたはずなのに。


 ごめんね、まーくん。



「パパ、加奈ちゃんがね。結婚することになったのよ。もう安心ね」


 あんなに父のことを悪く言っていた母が、愛おしそうに墓を磨き語りかけている。あまりにも愚痴を聞かされるものだから、「そんなに言うんだったら別れたら?」と何度言ったことかわからない。

 母の愚痴を聞きたくなくて、父とも話すことがなくて、そんな家が大っキライだった。


 ふっ。お墓の前で思い出すことでもないよね。


 私は手を合わせる。

 お父さん、私結婚します。お父さんとお母さんとは違う家族を作っていきたいと思っています。私に興味なんてないと思うけど、安心してね。


 お墓に手を合わせ、私は心の中でそう呟いた。

 名字が変わり籍を抜くことで、子どもの頃から感じていた家族というものへの違和感、縛られていた何かがほどかれていく気がする。



 もう空は秋だ。さっきの雲は形を変え、遠くに流れて行ってしまった。こんな風に思いも形を変えて前に進む。きっとそうなのだ。



 お寺を出ると、小さな子どもをつれた家族とすれ違った。


「あ…」


 私の心がとくんっと波打つ。


 とても可愛らしい奥さんと、小さな男の子、そしてベビーカー。幸せそうな家族の姿がそこにあった。


 ……まさか、武内くん!?


 すごく幸せそうに、隣の女性と話をしている。間違いない。彼は…。


「ねぇ、さっきからあの人あなたのことを見てるわよ。知り合いじゃないの?」

「うん?」


 武内くんと目が合う。私は、私は…。

 

 まるでスローモーションの様にゆっくりとすれ違う。あんなに会いたかった人なのに、今またここで会うなんて、神様の嫌がらせとしか思えなかった。


「パパ~早く行こぉ!」


 子どもの声で我にかえる。振り返ることもしない。しちゃいけない。


 私は大きく深呼吸して、一歩を踏み出す。振り向くことはしない。


「京介! よく来たな」


 遠くで住職さんが彼らを呼ぶ声がする。


「武内くん…」


 彼にも家族があって、すごく幸せそうだ。あの頃のように穏やかでさわやかで。


 この出会いは神様の嫌がらせなんかじゃない。これは、神様からのエールだ。これからは、まーくんと幸せを築きなさい、という。



『物事はね…』


 あの頃の武内くの声がリピートされる。

 そう、これは新しい一歩に贈られたご褒美。彼の事をきちんと過去にして、前を向いて歩いていくための贈り物。


 また諭された気分になる。


 さっきとは違った清々しい気持ちで、私は空を見上げた。

 雲はまた形を変えて、空を泳いでいく。




「おーい、加奈!」

「まーくん? どうしたの?」


 遠くから、まーくんが手をふっている。「仕事片付いたから」なんてニコニコしてるけど、本当は会食をブッチして来たに違いない。


「お義父さんに挨拶しなくちゃって、もう、済んじゃった?」

「うん。また今度でいいよ。戻るのも面倒だし」

「そうか?」


 きっとまーくんは急いで来たのだろう。この秋の空、汗をかいているもの。

 私は嬉しくて、まーくんの汗ばんだ手をぎゅっと握る。


「どうした?」

「ううん? 何でもない」


 まーくん大好きだよ。



 雲はゆっくりと形を変え、穏やかに私たちの頭上を動いていく。


 「恋」はいつしか「愛」にかわり、穏やかに私を包み込む。

 そう…私の幸せは、ここにあるのだ。

 



END

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神様からの贈り物 桔梗 浬 @hareruya0126

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