晩秋の風に散り落ちて
石の上にも残念
晩秋の風に散り落ちて
気が付けば日の短くなった道を歩く。
草臥れた鞄に、擦れた靴。
新しい物を、と思いながらなかなかに買いに行くには腰が重く、ついぞ変わらず。
一日を終えて皺の増えたズボンの裾が目に入る。夜を追うように付いてきた寒さに背が丸まっているらしい。少し気にして背を伸ばせば、肩周りに鈍い痛みが走った。
首元に吹き込んだ風の寒さに、ふるりと体が震えた。
着任から半年、良いところは近い所。前は電車に揺られて小一時間。朝は早く、夜は遅かった。
随分と楽である。
歩いて通えるのは良い。運動にもなる。しかし、これから冬が迫れば少々辛いやも知れず。
寒さが身に沁みる年になったかと、不図しみじみ思う。若い頃は態に時間を作って雪山へと登った程だったのに。
しかし、記憶に思いを馳せるまでもなく、住み慣れたアパートが見える。薄汚れた灰色の箱。
階段の手摺はペンキが剥げ、亀裂から草が覗いている。
もう10年は経つ。
年だけ取った。
いや、つまらなさに磨きが掛かり、偏屈は更に染み付いた気はする。
しかし、昨日と変わらぬ今日。春と変わらぬ秋。去年も一昨年も区別は付かず。
鍵に触れるとパチリと弾かれた。声すら出さず手を擦る。
溜息をついてドアを開けた。
☆☆☆
朝。昨日より寒さの和らいだ曇天にもめげず活況である。
名前と場所こそ変われど中身は殆ど変わらない。平々凡々な県立高校。
生徒はあれやこれやと騒いでいる。何が楽しいのか分からない話題が、ちらりほらりと漏れ聞こえて来る。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
追い越す生徒に挨拶を返す。
しかし、声が届く頃にはもはや友達と談笑に興じている。
職員室に入れば、同僚が盛り上がっていた。
野球の話である。日本一を決める大一番。
一進一退の攻防に若い教師と、同年代の教師が昨日の一戦を振り返っていた。
「森田先生!」
同年代の方がこっちを向いた。
「見ましたか?」
「ニュースで少し」
テレビを付ければ話題は入る。野球など随分と時代遅れとなったように思えて、しかしまだ、古びてはいないのだ。
私のいつもの無愛想にも負けず、この同僚は昨日の試合を振り返る。
相手チームを応援している若い教師がそうではないと反論し、それに野次を飛ばす者もいる。
「このまま頂きますよ!」
そう言って快活に笑った。
私が密かに応援する、故郷にホームを持つチームは今年、惨憺たる結果だった。羨ましくもあり、会話に誘われたことが有り難くもあった。
楽しい時間は足早に駆け、始業となった。
☆☆☆
その日、何故その話をしたのか私自身もよく分からない。
私にしては珍しく予め用意してあった計画から外れ、余談をした。
学生時代の話だ。昔の話だ。大学の頃、仲間に誘われた私は大型バイクの免許を取った。免許を取ればバイクが欲しくなる。バイトをし、金を貯めてバイクを買った。中古で買ったそのバイクは外れで故障が多く、度々私を泣かせた。それは結局卒業前に手放した。そしてそれ以来、バイクは持っていない。しかし、免許だけは更新している。そんな話をした。
思いの外熱が籠もってしまったその話は随分と時間を使っていた。
大半の生徒は眠っているか、隠れてスマホを触っていた。教師としては怒るべきなのだろうが、私は怒らなかった。私も余談をしていたのだから。誰も聞いてないであろう昔語りはしかし、楽しかったのだ。授業の予定は狂ったがそんな時間もいいかと思えた程に。
その放課後。校内のどこからでも聞こえる笑い声を聞きながら、中庭で落ちた枯れ葉を掃き集めていた。曇天はなんとか曇天のまま、雨にならず持ち堪えていた。雨が降る前に片付けたいと、箒を動かす手を早めた。
「センセ、バイク乗るんやって?」
背を丸める私の後ろから高い声が聞こえた。
振り向くと、そこには2年の生徒がいた。名前は山下。肩までの髪を少し茶色くした活発な女子生徒である。茶色い瞳の大きな目が好奇心に光っている。
「いや、今は乗ってないんだ」
今日の話を聞いた生徒から聞いたのだろう。話を聞いていた生徒がいたことが少し嬉しかった。
「なんで? めっちゃおもろいやん!」
山下は楽しそうに笑った。今の私がバイクに跨る姿を想像しているのだろう、クツクツと笑いを堪えている。らしくないのは私も同感だった。
「まがっちょがバイクはヤバいよ!」
「まがっちょ?」
聞き慣れない単語に耳が止まる。
「え?知らんの?まがっちょ。センセのことやん」
「私の?」
私の名前は
「知らんかったんや。いらんこと言っちゃった」
ヘヘッとバツが悪そう笑った。
「センセ、いっつもネクタイ曲がってんの。やから、まがっちょ!」
そう言うと、無造作に手を伸ばし、私のネクタイを触った。
「これでこそまがっちょ!」
首元を見下ろすと、ネクタイが右に曲がっていた。
「今度、乗せてな!」
そう言うと、山下は走り去って行った。
その先には3人の女子生徒が焦ったような、笑いを堪えているような難しい顔で山下を迎えている。
目が合うと、困ったような愛想笑いを浮かべて、ペコリと顎を下げ、笑いながら走り去って行った。
私は、曲がったネクタイを直そうとして、なんとなく直すのを止めてそのままにした。
☆☆☆
その夜。
妻と別れて十年。随分と慣れた一人暮らしで、食事は有り合わせの食材で適当に済ました。皿を洗うのも手馴れた。
十年前、たったこれだけのことができれば、案外、今は違ったのかも知れない。
いや、つまらなさが変わらない以上、大きな違いはなかっただろう。
寒気の染み込む安普請で私はパソコンを立ち上げた。
『バイク』と検索。新しい車種のことは全く分からなくなっている。何が良いのか悪いのか、まるで分からないが、値段を見れば、買うには困らない。
初めて買った忘れていない型番を入れた。しかし、その車種はもう出回っていなかった。色、形。初めてバイクを選んだときの興奮を思い出した。カチカチとクリックの進む音と秒針の進む音。
「いや、馬鹿馬鹿しい」
不図、我に返ってパソコンを消した。
私には今日と変わらない明日が来るのだ。
晩秋の風に散り落ちて 石の上にも残念 @asarinosakamushi
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