第11話〈1〉送り火の夜

 いったん優里ゆりとクロは天使あまつか家に戻り、玉藻と土蜘蛛に経緯を説明して、上杉雪子を見つける手伝いをしてほしいと協力を要請してみた。


「物の怪使いが荒いやん、まぁええけど」

「この前に河原で肉を焼く催しの時に居た、眼鏡の女子おなごを探せばよいのだね。しかし困った、その上杉さんとやらは結界を破るとか言っていたんだろう? 万が一何らかで強い悪霊がこっちに流れ込んできちゃったら、僕たちものんびりできなくなっちゃうよね」

「せやで、ワシらのシマを荒らされたらバツ悪いしな、しゃーなしや協力したるわ」

「二人ともありがとう!」


 なるべく迷惑をかけたくないと思っていたけれど、雪子の顔を知っているオカルト研究部の皆にも、もし彼女を見かけたら連絡くださいとお願いをしておいた。





 その後、皆総出で色々探し回ってみたものの、結局手がかりもないまま十六日当日の午後七時になってしまった。

 それまでに上杉雪子が何をするつもりなのかわからないけれど、二十一時前になったら鬼籍帳に書いてある通り、あの大空広場に行けばクロの前に現れるだろう。


 普通の人間には見えていないだろうけれど、今日は朝から黒い霧のようなものが街中に充満し、濃く纏わりついている。嫌な湿り気を帯びた空気を伴い、妙に気分が悪い。例年の如く、送り火の日だから騒がしいだけだろうか。

 とにかくどうしようもないので、再度駅の烏丸中央玄関口に集合する事となった。

 上杉雪子が行方不明なのは気になると、わざわざオカルト研究部の皆も朝から探してくれていたようで、感謝しかない。

 

「天使さん結局何も役に立てなくてすまんね。事情はよくわからないけれど、悪霊退治とかに関係ある事かな?」


 大谷部長が申し訳なさそうに項垂れた。


「いえ、こちらこそ突然すみません。わけわかんない事に巻き込んでしまって……」


 協力してくれている君たちには特別に説明しておくよ、と羽柴は送り火の時間は空がこの世と冥界が繋がるくだりを、かいつまんで部の皆に説明すると、一同はキラキラと目を輝かせた。


「うっわぁぁマジか! 羽柴さんも何か胡散臭い公務員だなぁと思ってましたけど! おまけに霊障案件を扱う部署にいるとかめっちゃカッケェすね、俺たちオカルト研究部らしくなってきたぞ!」

「他言無用、オフレコにしておいてくださいよ、君たちは協力してくれたから特別に話したんですからね。って誰が胡散臭いねん」


 羽柴は、シーと口に人差し指を当てた。

 冷静に話を聞いていた毛利加奈が、ボソリと呟く。


「ねぇちょっと、上杉さんは結界を破るって言ってたんでしょ? 爆弾みたいなものを持って失踪、それって物理的に結界を張ってる大元の部分を壊す気なんじゃ……」


 一斉に眼前にそびえ立つタワーの頂上部分を見上げた。

 その時、ちょうど土蜘蛛が戻ってきた。


「昨夜、そのタワーで役所の職員の女性を見かけたって受付の人間から情報がありましたよ」


 よし、と加奈が腕まくりをした。


「私らちょっと見に行ってくるわね、天使さんはとりあえずここにいて! 行くよ皆! 緑さんも!」

「え? 僕? 積極的だなぁ君は、フフ」

「もし毛利さんに何かあったら危ないよ!」

「大丈夫、防弾シールド用意してきたから」


 おもむろに、加奈が後ろから謎素材で出来た大きな銀色の盾を取り出す。


「そんなんどこで手に入れたのな方が気になるし!」

「ネットは魔境だから」


 部の皆と土蜘蛛はタワーの方に向かっていった。とにかくもうじきに送り火が点火される二十時になる。

 優里と羽柴は、再び京都駅ビルの大階段最上階屋上の大空広場へと急ぐ。一足先にクロと石田翔太は、一般人には見えないよう姿を消し空から向かった。

 ここから送り火を見ようと待機する観光客で混雑している薄暗い中、屋根のないエスカレーターを上がり、人混みを掻き分けて上へと急いだ。

 屋上に近づくにつれ、ますます濃くて黒い霧がテラス一体を覆っているのを感じる。やっとの事で辿り着いたものの、人が多すぎてどうしたらいいのかわからない。



「私を探しているみたいですね」


 優里は徐に肩を掴まれて素早く振り返ると、浮かない表情をした上杉雪子が立っていた。


「市内で送り火全部が一望できる場所は、建物規制のせいで意外と少ないのよね」

「上杉さん……!」

「死神さんも来たわね、もうすぐ私を殺す時間よ。わざわざ帳を降ろさなくてもいいわ。でもその前に鬼籍帳を見てみなさいよ」


 クロは帳面を急ぎ開く。

 驚いた表情を浮かべ、優里の方に視線を向けた。


「二十時二十分、同時刻に優里ちゃんの名前が追加で掲載されてんだけども、一体どうなってんだ……」

「わ、わた、私?!」


 何も取り憑かれてなんかないし、心当たりもない。

 どういう事だろう?

 突然私が契約者に?


 雪子は嘲笑を浮かべ、徐々に距離を詰めながら語り始めた。


「物の怪や怨念なんて、元々は人間の孤独や怒り、恐怖、憎悪を募らせた負の感情の黒闇から膨らんで生まれた存在じゃない。またこの人間界に戻して放つだけ。自業自得よ。人間は信じない。裏切る。どうなろうと知らない。死神さん、きっとあなただってきっと昔、絶望して死を選んだんでしょ?」

「だからって無益な殺生はよろしくないぜ」 


 その時、ワァー! と周りから歓声が上がった。

 二十時、点火時刻だ。

 ここから見渡して北西の山、如意ケ嶽に点火された〈大〉の字がうっすらと現れ始めた。

 街全体の空一面、お迎えしてこちらに来ていて冥界へと帰ろうとする数多の霊が、ざわざわと集まり出しているだろう。


 次の瞬間、向かいのタワーから、ドン! と爆発音が響く。

 騒がしかった周りの人々が、冷水を差したように一瞬静かになった。


「まさか……」


 急いで下を覗き見た。キャー、と悲鳴のようなものも聞こえ、微かに焦げたような匂いが鼻についた。タワー下の商業ビルの出入口から出火しているのがここからでも見える。

 羽柴がすかさず役所と警察に連絡を入れ、大声で規制をし始める。


「とにかく霊障案件として処理します、僕は国家公務員特別課として避難させる権限があるのでね、皆誘導に従ってください! 観光で来られている方すみません! ちょっとここも危険なことになってきそうでして、いったん下に避難をお願いします!!」


 一つ目の〈大〉が点火したところだというのに何事かとざわつく中、人々は嫌な顔をしつつも、近くで起こった爆発に関係があるようだと気づくと、渋々階下に降り始めた。

 クロは、雪子に詰め寄った。


「……あんたがやったのか?」

「誰もタワーに入らないよう、景気付けにちょっとビルの入り口にあるカフェのテラス席を爆発させただけよ。これからもっと大きな爆発を起こすわ」

「ヤバい、あっちに皆が行ったのに……無関係の人だってこんなに……」

「最後の送り火が点く二十時二十分に爆弾のタイマーをセットした。タワーの展望室ごと壊して上の結界も壊す。そしたら悪霊やあやかしが人間界に入り込んできて、この街も終わりね。さながら百鬼夜行が始まるわ」


 あと十五分もない。

 どうしよう。

 後退りして後ろを向いた瞬間、雪子に強く腕を掴まれる。


「いなくなっちゃ駄目よ? あなた今からそこの死神くんに殺される運命なんだから」

「あ、あの、何でこうなってんのかさっぱりわからないんですけど……そもそも何故、雪子さんがここで……」

「私の中の闇が相当大きくなっている分、取り憑いている悪霊も強くなって、もう限界なのかも。そろそろ契約者に選ばれそうだなと予感はしてた。まぁ、最期に人の役に立って死ぬのもいいんじゃないのってね、もう覚悟はしてる」


 雪子は、いつの間にかもう片方の手で持っていた銃口をクロの方に向けた。

 これは恐らく対霊用の銃だ。羽柴しか持っていないはずではなかったのか。


「時間よ、早くこの子を殺したら? あ、次は私も頼むわね。ほら、鬼籍帳に書いてあるのは運命で絶対の冥界からの指示なんでしょ?」

「それは……」

「あ、でもさっき鬼籍帳にハッキングして、ここに来る前この子の名前を書き込んだのは私なんだけど」

「は? んな事して、あんたに何の徳があるんだ?」

「色々私の事について翔太に聞いて知っているのよね。まぁ失踪した友だちって男に復讐もしたし、最後は死神君の大事なものも奪って絶望させてやろうってね。やっぱり直接翔太に手をかけておいて、やっぱり君も絶対許せないわけ」

「おい……冗談だろ」

「わかる? 目の前で好きな人を殺されるところを見せられた絶望。あ、死神だからそういうのは理解できないかしら。私が殺してもいいんだけど、自分の手にかけて大切な存在を消す方がもっと絶望じゃない?」

「やめろ……」


 雪子は優里の手を乱暴に離した。


「あなたには何の恨みもないし可哀想だけど、死神くんのお気に入りの自分の不運を恨んでちょうだい」


 空気が重くて頭が痛い。

 雪子の目も虚ろだ。そして、背後には凄い数の怨念のようなものが黒く蠢き渦巻いているのがどんどん膨れ上がり、巨大になっていく。雪子の深い闇につけ込んで、悪霊に取り憑かれて体と意識を乗っ取られて喰らい尽くされているのは明らかだ。

 こんな状況だとしても、どうにか彼女を助けてあげられないだろうか。

 考えたとて、どうしたらいいかわからない。

 どうしよう、どうすればいい?

 優里は、ポケットにたくさん入れておいたおふだをぎゅっと握りしめた。何て役立たずなのだろう。



「あぁっ、僕の銃! いつの間にか無くなってる?!」


 観光客を誘導させて戻ってきた羽柴が、しまったと慌てて腰を探る。


「おいおい羽柴さんスられてんじゃねぇってばよ! この後に及んでドジっ子すぎねぇ?! 俺撃たれちゃったらマジで恨むっ!」

「すまん! 今言うなって!!」


 そうこうしている間に、五分間隔で松ヶ崎の西山に〈妙〉、東山に〈妙〉、西加茂の船山に〈船〉、嵯峨鳥居本の曼荼羅山に〈鳥居〉、といったぐあいに送り火が次々と点火され、煙が空へと登っていく。


「さぁ、冥界への入り口が開く時間だ」


 その煙に乗って、里帰りしていた霊たちは仄白い火球のようになって舞い、一斉にフワリフワリと夜空に上昇し帰っていくのが見えた。

 緊迫している状況だというのに、さながら天燈ランタン飛ばしのようでそれは幻想的で美しい光景だ。

 二十時二十分、もう駄目かもしれないと、優里は目を瞑った――

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天使ちゃんは憂鬱 〜京都あやかし日記帖〜 haru. @matchan0307

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