第12話 ぬらりひょんの孫娘、登場

 それから、俊介と床助の奇妙な共同生活が始まった。その間、深山は研究のためと称して、時々床助の話を聞きに来た。初めて床助と会った時、お礼をすると言っていたが、すっかり忘れているようだった。また、床助をテーマに論文を書いている様子も窺えなかった。

 俊介は、床助の身の上を知ってから、床助を不気味な存在だとは思わなくなった。むしろ、お陸様と彼との結びつきは、純愛ともいえるもので、好ましく感じた。ただ、以前この部屋に4年間いたという学生とは違って、陰間としての床助と遊びたいとは、まったく思わなかった。俊介は、早く「彼女」が欲しかったのだ。


 3年生後期のある日、俊介は部屋の賃貸借契約更改の件で、藤井不動産を訪れた。

 俊介は、あの社長と会うのは気が進まなかった。社長と対面していると、古ダヌキか、妖怪・と話しているような気がするのだ。

 もっとも、社長は痩せている。だから、俊介の中では近ごろ、古ダヌキというより、ぬらりひょんになっていた。深山の話を聞いてから、俊介も怪異に関心を持つようになり、一般向けの妖怪の本を買って読んでいたら、社長とよく似た妖怪を見つけた。それが、ぬらりひょんだ。「妖怪の総大将」などと呼ばれることもあるらしい。どうりで手強てごわいはずだと、俊介は妙に納得した。

 ところが社長は外出中で、社長の孫娘だという女性が店番をしていた。

「初めてお会いしますね。ときどき店番をするんですか?」

「いえ、祖父が出掛けて店を空ける時、普段は母が来るんです。でも今日は、あいにく母も都合が悪くて……。じつは私、店の仕事内容はよく分からないんですよ。ご用件をお伺いして、後で祖父に伝えるだけなんです」

「僕は、101号室の森田俊介です。北南大学の3年生です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。あの、私も北南大ですよ。2年生です。あ、申し遅れましたが、名前は藤井未来みくです。実は今、若竹荘のご入居者名簿を見ていて、同じ大学の学生さんがいるなー、と思ってたところなんです」

「そうですか! 僕は法学部ですが、未来さんは?」

「工学部の建築学コースです」

「そうなんですか。法学部と工学部はキャンパスが少し離れているから、大学で出会うことはあまりなさそうですね。僕はボクシング部なんですが、未来さんは同好会や部に入っていますか?」

「『城郭じょうかく研究会』という同好会です。お城が好きなんですよ」

「へー、面白そうだな」

「もしお城に興味があったら、是非入会して下さい。お城は今もブームです。女の子も何人かいますよ」

「そうですか。僕はお城については、あまり知識がないです。実家は福島県なんですが、鶴ヶ城つるがじょうには時々行きました」

「鶴ヶ城ですか! 私も行ったことがあります。残念ながら、鉄筋コンクリート造りの『外観復興天守』ですけど、街や山並みと調和して、とても美しいですよね。特に、赤瓦へのき替えが大震災のすぐ後にお披露目ひろめされたのは、素晴らしいことでしたね」

「さすがに、詳しいですね」

「いえ。あのー、私の顔に何か付いてます? さっきから、私の顔を穴のあくほど見つめてるようですけど」

「あ、すみません。 その……あの……。未来さんがあまり可愛いので、つい。ごめんなさい」

「え? 私、可愛くないですよ。でも、嬉しいな。あ、森田さん、赤くなってる」

 初対面だったが、同年代で同じ大学ということもあり、すぐに打ち解けられた。俊介は、ここで未来と出会えたので、藤井不動産に立ち寄って良かったと思った。

「暇なので、過去の『若竹荘ご入居者台帳』を見ていたところなんです。最近の台帳は、パソコンに入っていますが、古いものは、このように紙の台帳になっているんです。見ていて不思議なことに気が付いたんですよね。101号室だけ、なぜか出入りが激しいんです。森田さんはすでに、例外的に入居期間が長いご入居者になっています。若竹荘の他の部屋は、4年間いる人がほとんどです。建物は古いですが、周りのアパートに比べて、家賃が格段に安いですからね。しかも、101号室は道路から奥まっていて静かだし、他の部屋と比べて、条件的に悪いはずはないんですよね。それなのに……、どうも変だなー。森田さん、住んでいて何か心当たりはありませんか?」

「以前、社長さんも、同じようなことを言っていましたね。あの部屋自体は、何の問題もないです。もちろん、設備は古いし、あちこちガタが来ていますが、それは承知の上で借りたので……。でも、まったく問題がないかといえば、そうでもないんですよ」

「何ですか? ぜひ、教えてください! すごく興味があります」

「話しても、たぶん信じてもらえないと思います」

「やはり、出るんですか?」

「え! 知っているんですか?」

「何かが出るというようなことを、祖父から聞いたことがあります。でも、何が出るか、私は知りませんし、祖父も知らないようです。いったい、何が出るんですか?」

「話していいのかな……」

「いいですよ。というより、是非話して下さい!」

「分かりました。出るのは風変りな小人こびとです」

「風変りな小人! どんな小人?」

「そうだな。身長は50cmくらい。浅黒い顔をしていて、耳はアニメに出てくるエルフのように尖ってます。僕の知り合いに、北南大博士課程で民俗学を専攻している人がいます。その人は、小人は座敷童ざしきわらしだろうと言っています。でも、僕が調べたところだと、座敷童は岩手県を中心とした東北地方で言い伝えられてきた妖怪です。ただ、呼び名は違っていますが、座敷童に似た妖怪の言い伝えは、全国各地に分布しているみたいです。東京のど真ん中にも、いるのかな?」

「座敷童ですか。私も聞いたことがあります。是非会ってみたいです!」

「怖くないの?」

「いえ、全然。城郭研究会では、お城に住むと言い伝えられている武者の亡霊なんかも扱いますからね」

「武者の亡霊? 本当にいるんですか?」

「古いお城には、無念の死を遂げた侍や、罪もないのに殺された女中なんかの亡霊が住み付いている、というような言い伝えが多いんです。興味があるなら、今度お話ししてもいいですよ。でも、それより、その小人が気になるなー」

「じゃあ、これから会いに行きますか」

「やったー! でも、今、店を空けるわけにはいかないから、祖父が戻るまで待ってもらっていいですか? 午後3時には戻るって言ってたから、もうすぐです」

「はい。もちろん」

「有難うございます。あの、お茶とコーヒーとどっちがいいですか?」

「じゃ、コーヒーで。ブラックでお願いします」

 未来が出してくれたのは、紙ドリップ式のコーヒーだったが、深山が出すコーヒーよりずっと旨かった。


 午後3時過ぎに社長が戻ってきた。

 未来が101号室を見に行く話をすると、社長は渋い顔になった。

「女の子一人で、入居学生の部屋に入るのは、あまり良くないんじゃないか?」

「何言ってるのよ、おじいちゃん。あの部屋にいるのは小人だってさ。アパートの管理を預かる者としては、小人の正体を摑まなきゃいけないでしょ。」

「……分かった。森田さんが了解するなら、行っていいよ。しかし、その小人は幽霊か妖怪かもしれない。怖くなって泣いても知らないよ。大丈夫かな? 未来ちゃん」

<ぬらりひょんも、孫娘には弱いらしいな。それにしても、爺さん、俺にはとぼけていたが、小人のことは、うすうす知ってたんじゃないか>

「おじいちゃん。私、もう子供じゃないんだからね。全然怖くないよ。その小人、亡霊武者なんかより、ずっと可愛い奴らしいよ。それに、森田さんはボクシング部だから、いざとなったらぶっ飛ばしてくれるよ」

「その床助という名の小人は、いたって温厚な性格でして、危険性はまったくありません。僕の知人で民俗学専攻の大学院生の見立てでは、その小人は座敷童らしいです。座敷童は、その名の通り子供です。ですから、ちょっとした悪戯いたずらはするかもしれませんが、大それた悪事は働きません。未来さんの安全は私が保証しますよ」

「え! 森田さんは、小人のことを部外者に話したの? うーん。要らんことをしてくれたなぁ。ただでさえオンボロアパートなのに、化け物が出るなんて噂が広まったら、入り手がいなくなっちまうじゃないか――」

「まずかったですかね」

「森田さん。気にしなくていいよ。どうせボロアパートで、家賃の安さに惹かれて入る人ばかりなんだから。それより、早く行きましょうよ」

 二人は、不満顔の社長を残して、徒歩で若竹荘に向かった。道すがら、未来は俊介に、床助のことについて色々質問してきた。

 未来は、好奇心旺盛で、行動力もあるらしい。小柄で華奢だが、スタイルが良い。背中まで届く黒髪を、ポニーテールにしている。俊介は、そのような未来に、早くも惹かれるものを感じた。

 5分くらいで若竹荘に到着した。

「ここには、たまにしか来ないけど、来るたびに老朽化の進行が目に付くな」

「そのうち、建て替えるのかな?」

「どうでしょうかね。オーナーの考え次第ですね」

 部屋の鍵を開け、未来を通す。

「とっ散らかっていて、恥ずかしいな」

「私の部屋よりきれいですよ。あれ? 誰もいませんね」

「天井裏、床下、押し入れと、神出鬼没しんしゅつきぼつの奴なんです。今呼びます。床助さん、床助さん、おられましたら、部屋までお越し下さい!」

「プッ! そうやって呼ぶんですか。面白いな。床助さん、床助さん、おられましたら、部屋までお越し下さい!」

「はい、ここにおります」

 床下の方から、くぐもった声がする。

「森田様、押し入れの中の点検口に、何か物を置きましたね。蓋が持ち上がりません。早くどかして下さい」

「あ、そうか。すみません、今どかしますから」

 俊介は、押し入れにもぐりこんで、床下点検口の上に置いあった段ボール箱を、引っ張り出した。

「文句を言うわけではありませんが、何回もお願いしておりますよね。点検口の上に物を置かないようにって。すぐにお忘れになるんだから。そんなことでは将来、司法試験は厳しいかもしれませんぞ――」

 ぶつぶつ言いながら、押し入れから床助が這い出てきた。

「本当にいるんだ!」

 未来の素っ頓狂な声が、狭い部屋に響いた。

「出し抜けに、大きな声を出さないで下さいよ、お嬢さん。私、近ごろだいぶ心の臓が弱ってきているんですから」

「すみませんでした。私、驚くと思わず大きな声が出てしまうんです」

「驚いたのは、こちらの方です。それで、今日はどういうご用件で?」

「僕が床助さんのことを話したら、ぜひ見たい、いや、ぜひお会いしたい、というので、連れてきました。藤井不動産の社長のお孫さんで、藤井未来さんです」

「ほう、この私に会いたいですと? 妖怪ブームというのは、結構長続きしておるようですな」

 そう呟いて、床助は正面から、改めて未来の顔を見た。そのとたん、

「わぉーーー!」

と、さきほどの未来の声より、何倍も大きな床助の大音声だいおんじょうとどろいた。

 床助は、すぐに居住まいを正し、両手をついて、しっかりと未来の眼を見ながら語りかけた。

「何と、お陸様ではございませんか! 再びお目にかかれるとは、予想だにいたしませんでした。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、今まで生き永らえてきた甲斐がございました。くくく……」

 床助は、涙声になっている。俊介と未来は、訝し気に顔を見合せた。

「違いますよ、床助さん。こちらは未来さんです」

「ですから、陸様でしょ?」

「いや、ク。クではないですよ。それに、お陸様は地面のずっと下の方でしょ?」

「え。そうでございますか? リクではなくミク……。私としたことが、とんだ早合点をしでかしまして、大変失礼いたしました。ですが、あなた様は、お陸様に生き写しでございますな。本当によく似ておられる。恐れ入りますが、未来様。そこで立ち上がって下さいますか?」

「こうですか?」

 未来は、その場で立ち上がった。その姿を、床助が穴のあくほど見つめている。

「誠に恐れ入りますが、その場にて、ぐるりと一回りしていただけないでしょうか?」

 未来は、言われたとおり、その場に立ったまま一回りした。

「うーん。お陸様と寸分たがいませんな。背丈といい、肉付きといい。私には、お召し物の下まで、手に取るように分かります。何しろ、お陸様と私は……」

「床助さん! 駄目ですよ、初対面の未来さんの前でそんなこと言っちゃ」

「あ! これは、相済みませぬ。あまりにお陸様と似ておられるもので、つい。未来様、平にご容赦下さいませ」

「はい、大丈夫ですよ。あの、森田さん。床助さんがおっしゃっているお陸様というのは、どういう方なんですか?」

「江戸時代にいた、旗本の奥方です。非業の死を遂げた、とても気の毒な人なんですよ。僕は、床助さんの身の上話を全部聞きましたから、もし興味があるなら、今度お話ししますよ」

「ぜひお願いします。私、そのお陸様という人に、なぜだか分かりませんが、すごく興味が湧いてきました」

「床助さんの話だと、昔この辺りは旗本の屋敷でした。ちょうどこの部屋の下に古井戸があって、そこにお陸様の亡骸なきがらが埋まっているそうなんです」

「古井戸、亡骸……。あ、私、ネット配信で日本の古いホラー映画を観たことがあるんですけど、長い黒髪を顔に垂らした女の人が、古井戸から這い出して来るシーンがありましたね」

「それ、僕も観たことがある! 『スクウェア』だっけ? テレビの画面から出てきたこともあったな。あれ、怖いよね――」

「お話し中失礼いたしますが、未来様! 徳川様の御代みよに、あなた様のご先祖は御徒町辺りにおられましたか?」

「先祖代々、江戸、つまり東京だとは聞いています。でも、江戸のどこかまでは知りません。何なら今度、祖父に聞いてみますけど」

 しばらくして、未来は帰って行った。床助の存在について他言しないように頼んだ。


 藤井不動産で出会って以来、俊介と未来は時々大学の学生ラウンジで会ったり、昼食や夕食を共にしたりするようになった。俊介は、床助の身の上について、知っていることはすべて未来に話した。

 ある晩、二人で居酒屋に行って、飲みながら話した。

「床助は、いったい何者なんだろう。妖怪か、亡霊か。藤井は、そういうものが本当にいると思う?」

「うーん、どうだろう。色々な言い伝えは、ほとんど架空のお話しでしょ。まして、テレビや映画に出てくるのは、みな演出だと思う。でも、そういうものが全部絵空事だとも、言い切れないんじゃないかな。現に、私は幽霊に出会ったことがあるよ」

「亡霊武者?」

「残念ながら、私はまだ亡霊武者に出会ったことはないな。でも、お城は怪異が出やすい場所だと思う。というのは、お城は軍事施設であったと同時に、城主や家臣の住居でもあったことが多いの。昔そこで起きた残酷な出来事についての言い伝えが、結構たくさん残っている。例えば、築城に従事した者たちを、秘密保持のために、城の完成後皆殺しにしたとか。工事が難航するので人柱、つまり生贄を壁に塗り込めたとか。籠城戦で食料が尽き果てて人を食べたとか。城主が残忍で異常な性格で、妊娠している女中の腹を面白半分に裂いたとか。そうすると、恨みが強すぎて成仏できない犠牲者達が、死霊となってお城や城下町をさ迷うのよ」

「お城の天守は美しいけど、残酷で悲惨な話もあるんだね。それじゃあ、藤井が幽霊に出会った話を聞かせてよ」

「いいよ。でも、怖くなって一人じゃ眠れない、なんてことはないかな?」

「冗談止めてよ。それに、僕は一人じゃない。床助がいるからね」

 未来は、自分の体験を語り始めた。


《続く》

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