第6話 兄・福助、見世物小屋の人気者となる
床助の話に耳を傾けていた俊介は、床助がキャラメル・マキアートを飲み干している機会をとらえて、質問した。
「床助さんのお子さんは、私と同じ俊介という名前だったとおっしゃったように思いますが、本当ですか?」
「もちろん本当でございます。ですから、森田様の名前を知った時に、何か不思議な心持ちがいたしました。やはり、森田様とは何か前世における
「僕は、単なる偶然だと思いますよ。それより、床助さんはなぜ、幽霊となってこのぼろアパートに巣くっている、いえ、住んでいるのか。肝心なことが、なかなか出てきませんね」
「これは失礼いたしました! つい調子に乗って、ベラベラと下らない話をしてしまいましたね。でも、私がここにいるのは、色々な因縁が積み重なった結果なのでございます。ご迷惑とは存じますが、もう少しお付き合い下さいませ。それに、江戸時代のあれやこれやを、当時生きていた者から聴く機会なぞ、滅多にあるものではございませんよ」
*
お峰、俊介と暮らし始めて、一年ほど経ったころのことでございます。
福助は見世物で人気者になり、成功を収めました。一方、私も日本橋芳町で、ひっそりと人気者になっておりました。まずは、福助や見世物の話をいたしましょう。あとあと、私の境遇にも大きく関わってまいりますので。
そのころ、見世物はたいへん盛んで、大勢の人達が見にやってまいりました。ある演目がひとたび大当たりすると、評判が評判を呼び、押すな押すなの大盛況となったのでございます。
見世物といえば、庶民のものと思われるかもしれません。しかし実際には、
興行は江戸の各地で行われましたが、福助や私がもっぱら関わりましたのは、浅草寺裏の奥山でございました。
見世物の演目は、とても変化に富んでおりました。軽業や手品などの曲芸や演芸だけではございません。見上げるほど巨大な弁慶像など、
見世物には、人を引き付けワクワクさせる、ありとあらゆるものが詰まっていたのでございます。
ある時、両国橋の東にある
そして、両国に負けてはならじと、浅草・奥山でも様々な興行が行われ、大道芸人なども大勢集まっておりました。
兄・福助が出演するというので、私はお峰と俊介を連れて、奥山に見物に出掛けました。実は、私は一座を離れてから自分の仕事が忙しく、福助の芸を見たことはほとんどございませんでした。
奥山は、人で溢れかえっておりました。
「ひぇー! この
お峰が一言多いのは、相変わらずでございました。とはいえ、
「俺の心配はいいから、俊介を抱っこする手を放すんじゃねぇぞ」
お峰は俊介を抱っこし、私は大きな風呂敷包みを背負っておりました。
市之丞様の計らいで、お峰は福富座で使われている衣装や、布でできた小道具の
福富座の裏口で衣装を渡すと、そのまま中に入れてもらいました。この日はすでに満員札止めとなっていたからでございます。簡易な小屋掛けのため、観客席は平土間だけでしたが、すでに観客がひしめいております。私達は、何とか端っこの方に座ることが出来ました。
曲独楽や手品などの後、いよいよ福助の登場です。
舞台の
福助の姿を見て、観客は大騒ぎです。
「いよっ、待ってました!」
「福助さまー」
掛け声も、たくさん掛ります。
ちょこちょこと舞台を
「いつもご
福助の声が朗々と小屋に響くと、また大歓声が巻き起こりますが、福助が手で合図すると、ピタリと止みます。
「さて、本日皆々様にお目にかけまするは、世にも珍しい
今回福助が受け持つのは、
すると下手から、藤の花模様の振袖に、
そういえば、福富座の小屋に掛けられた大看板や、小屋前の
「皆々様の前に進み出でましたるは、ご当地に初めてお目見えいたします、正真正銘の鬼娘でございます」
福助の口上が始まると、場内は静まりました。もっとも、俊介だけは何やら口走っておりましたが。
「見るは一時の恥、見ないは末代の恥! 可哀そうなはこの娘にございまする。はるか西方、
すると、鬼娘は被っていた打掛を後に脱ぎ捨て、口を開けて立ち上がりました。
「うぉー」
場内を、割れんばかりの
福助は鬼娘に近付きますと、扇子で鬼娘の口の辺りを指し示して申します。
「もともと耳の付け根まで裂けておりました大きな口は、親の慈悲によりまして縫い縮めました。これがその
「うぉー」
「さて、奇怪な姿に生まれついた鬼娘。さらに哀れな境遇が待ち構えておりました。父は
母のお雪にとりましては、いくら奇怪な姿とはいえ、己が腹を痛めた
観客の声はますます高まり、銭が鬼娘に向かって投げられるので、場内はまるで大嵐のような騒ぎでございます。
「お前さん、もう出ようよ。俊介が怖がってる。今夜寝付けなくなったら困るよ」
お峰が袖を引っ張るので、私たちは福富座をあとにしました。
「見世物にされて不憫だね、鬼娘って子は。それに、あたしにはとても鬼には見えなかったがね」
お峰は、鬼娘に同情しきりでございました。
さてその後、私自身が見世物に出るよう頼まれるという珍事がございました。まったくの余談でして、また、いささか長くはなりますが、ことのついでに、お付き合下さいますようお願いいたします。
私達が住んでおりました馬喰町の裏長屋からほど近い宿屋に、目の不自由な
かくの如き
弥太郎さんから聞いた話によりますと、光悦は本名を
長ずるに及んで
ところが、五郎兵衛が家を空けていたある日、光悦の姿が
だいぶ経ったころ、五郎兵衛が栃木町を通りかかりますと、町はずれに見世物小屋がございました。五郎兵衛の視線は、小屋に掲げられた大看板に釘付けになりました。そこには、長大な一物を持った男の絵が、生々しく描かれていたのでございます。
折しも、その見世物小屋から三味線や太鼓の
五郎兵衛は胸騒ぎを覚えました。もしかして、看板の男は光悦ではないか? 木戸銭を払って、場内に入ってみました。
するとどうでしょう。五郎兵衛が睨んだとおり、舞台の上にいる男は光悦に間違いございません。光悦は下半身丸出しで、
立ったまま自分の一物を伸ばして、口に咥えます。少し前かがみになるだけで、余裕をもって咥えるので、観客は盛んに
光悦が一物の先端部を嘗め回すと、一物はみるみる太くなり、天に向かってそそり立ってまいります。すると、お囃子の調子がガラリと変わり、一段と小気味よい調子を刻み始めました。
光悦は、長く太くて堅そうな一物に手をかけて、ぐっと前に倒してじゅうぶんに
ボンボン、ボボン、ボンボン……
などと、調子よく「腹
口上の男が、口から泡を飛ばしながら叫びます。
「世にも珍奇なこの
こうした様子を見た五郎兵衛の顔は、みるみるうちに地獄の獄卒を勤める赤鬼と化しました。
座員に興行主の所在を問いますと、それは
「おい、これはいったいどういうことか! 見世物小屋で恥ずかしい真似をさせられているのは、甥の光悦に間違いねえ。お前が
「おいおい、妙な言い掛かりはよしてくれよ。ありゃぁ、栃木町の
「あるから来ておる。光悦を返さないと言うなら、代官所に訴え出るぞ」
「ああ、お前さんの好きにしてくれ。こっちにゃ、やましいことなど一つもないからなぁ」
五郎兵衛は、いったん引き下がるよりほか、ございませんでした。
翌日、五郎兵衛は代官所に訴え出ました。ところが、代官所はまったく取り合ってくれません。おそらく、銀次が先回りをして、カネの力で代官所を抱き込んだのに違いございません。
窮した五郎兵衛は、親族と相談いたしました。そして、親族中の長老格・
その後光悦は、もっぱら按摩を
さて、つい話が長くなりましたが、私が関わってまいりますのは、ここからでございます。
今申しあげた江戸っ子の落胆に目を付けた者がおりました。香具師の
そこで、今話題の大魔羅男で一発逆転を狙ったのでございましょう。芳町に私を訪ねてまいりました。
「床助さんよ、芳町じゃあ、ちょっとした人気者だそうでござんすね。だが、もっとしこたま儲けるやり方がありますぜ」
「ほう、何でございましょうか?」
私は会った瞬間、こいつは
「あんたは立派なモノをお持ちだと、もっぱらの評判ですぜ。今、江戸中の人々が、
「何だと思ったら、そんなことですか。いえいえ、私のモノなど、神棚に供える灯明の
「いや、芳町じゃ、あんたの巨根に魅せられてやって来る腰元や後家が、引きも切らないというじゃありませんか。ところで、あんたの芳町勤めについて、お内儀は承知で?」
「おやおや、今度は私を脅かそうというのかい? そりゃ、無駄だよ。さ、帰っておくんなさい」
源太は不満顔で帰っていきました。
私は、このいきさつを福富座の弥太郎さんに話しました。どう手をまわしたのか分かりませんが、源太は二度と私に近付きませんでした。
ところが、源太のしぶとさは、予想以上でございました。どこからか、長大な陰核を持つ、お
しかし、源太の栄華も長くは続きませんでした。
この見世物の評判が町奉行にまで達し、源太らは風紀
さて、話を福助に戻しましょう。福助が見世物小屋の人気者になったことは、先ほどお話ししたとおりでございます。
ところがさらに、福助を己の眼で直に見たり、福助の声を聞いたり、福助と話したりすると、必ず良いことが起こる、家に福が訪れる、商家ならば千客万来となる、といった評判まで立つようになったのでございます。福助の福々しい容貌や常に絶やさない笑顔、
そうした、福助の
そのため、見世物そのものよりも、福助を一目見ようと来る客も増えました。しまいには、福助人気にあやかろうと、「福助人形」なるものを考案・製造し、売り出す者まで現れたのでございます。
最初のうち、人形は素朴で稚拙なもので、あまり出来が良くございませんでした。しかし、徐々に工夫が進んで、
と同時に、色々な姿をした福助人形が出回るようになりました。一番多いのは、裃姿で正座し、両手をついているものでございます。しかし他に、両手を膝の上に載せているもの、頭を深く下げているので前からは髷しか見えないものなど、形も大きさも様々、といった具合でございました。
福助人形は飛ぶように売れ、店先に福助人形を飾る商家も普通に見られるようになったのでございます。
なお、またぞろ蛇足で恐縮でございますが、私・床助の人形も作られて売り出され、密かにもてはやされたことにつきましても、是非お話しさせていただきたいと存じます。
これは、正確に申しますと、人形ではなく、張形でございました。張形が何であるかにつきましては、もうお分かりでございましょう。新月村で私がお峰の僕となったお話の中に出てまいりましたね。
ある日、一人の小間物屋が
ちょうどお峰が不在にしておりましたので、私は快く引き受けました。二人の前で一物を出して撫でさすりますと、たちまち隆々たる雄姿を現しました。
「こ、これは驚きました! きっと、後家や奥女中が、随喜の涙を
二人は讃嘆するとともに、職人が素早く紙に書き写します。
後日、出来上がったものを見る機会がございました。一物はほぼ実物大でございましたが、私の頭や胴体は実物よりずっと小さく作られ、張形を使う際に
材質について申し上げますと、高級なものは鼈甲でございます。鼈甲と申しますのは、タイマイと呼ばれる海亀の甲羅から採れるもので、高級な
そのような最高級品を、一度だけ手に取ったことがございます。俗に申します「かり」や、
こうして、私の一物を模して作られた張形は、「床助もの」などと称されて好評を博し、大いに売れたのでございます。
また、あくまでも噂を聞いただけでございますが、床助ものが夫婦の不和に繋がったこともあったようでございます。
ただ、残念なことに、この種の品は、福助人形のように店先に飾られることはなく、
お話しがすっかり脇道に入ってしまい、大変失礼いたしました。あちら方面のこととなりますと、つい熱が入り饒舌となる悪い癖が出てしまいました。
さて、福助やその芸を見物するために福富座を訪れた大勢の中に、ある旗本のお殿様と若君様がおられました。このことが、その後福助と私の運命を大きく左右しようとは、その時は知るよしもございませんでした。
しかし、話をそちらに進める前に、私の芳町勤めについて、お話ししなければなりません。私が芳町で
《続く》
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