Episode6-3 夏の日暮れと浴衣ガール③


 花火が終わると、人々は三々五々に席を立つ。



 耳の奥に張り付いた花火の残響と、火薬の残り香。空にたなびく白煙が、会場の人々を余韻の中に留めていた。


「ん~! 綺麗でしたね!」


「良かったな。特にあのナイアガラ? が好きだった」


 おぼろげな記憶を頼りに言うと、六花は勢いづいたように続ける。


「ですよね! 私、あの最後のスターマインも好きでした!」


「すたーまいん」


 変換が追いつかず、聞こえた音をそのまま反復する。


「スターマインっていうのは、連続で打ちあがるアレです」


「あ、クライマックスの連続発射、そういう名前なんだ」


「ふふ、そうなんです! 雑誌に書いてありました!」


 意外にも、六花は花火やお祭りについては詳しかった。


 出会ったときは映画もドラマも知らない、世間に疎い子という印象だったが、玲は最近、その認識を改めつつある。


 玲が知らないような音楽も知ってるし、花火の名前も知っている。ただ、これまで世間一般の人が触れるようなコンテンツに、触れてこなかっただけ——本当にそれだけなのだ。


 ここ2ヶ月で、六花はもう立派な女子高生として胸を張れるくらいには、世間のことを知った。放課後の楽しみ方だって、とっくに心得ているのだ。


 だから、きっと、遠くないうちに——同じ学年の友達もできるだろう。


「ちょっと飲み物買って来る、天瀬さんは何か飲む?」


「あ、大丈夫です。ありがとうございます」


 はいよ、と答えてラムネの屋台に向かう。2本買って、1本はその場で開けてもらった。もし六花が飲みたいというならあげればいいし、余るようなら圭一に押し付ければいい。


 六花と合流しようと、屋台から離れると、


「あっ! 天瀬さんじゃん!」


 ちょうど六花と同じ年くらいの女の子が、六花に話しかけているところだった。薄桃色の浴衣を着こなした、の活発そうなポニーテールの女の子だ。


「あ……えっと、大橋さん?」


「おっ! 覚えててくれたんだ~! 天瀬さんはどうしたの? ……デート?」


 おそらくクラスメイトなのだろう。大橋と呼ばれた女の子は、からかうような表情を浮かべて六花に近づいた。


「ち、ちがっ……その、先輩と」


「ほう、先輩……あっ、あの人? いつも言ってる……えっと、はたみ? 先輩?」


 双海です……。


 と思ったら、六花が訂正してくれた。


「はたみじゃなくて、ふたみ先輩だけど……うん、そのひと」


「え、いいじゃん! 羨ましいなぁ」


 六花は大橋と話しながら、ぐるりと周囲を見回す。


「えっと……大橋さんは、友達と来たの?」


 言うと、大橋の表情はみるみるうちに曇り、目からハイライトが一瞬で消え去った。まるでぱっくりと口を開けた、夜の海のような不気味さを宿す。


「いや、彼氏と来たよ…………かつて彼氏だったモノと一緒にね……」


「ひっ」


 六花はドン引いた。


「ねぇ、天瀬さん」


「う、うん」


「……人間って、度し難いね……」


「う、うん?」


 大橋さんはブレーカーが落ちたかのようにがっくりと肩を落としたかと思うと、いきなり六花に縋りついた。


「頼むよぉ天瀬さん、後生……! 後生だよぉ! 死体埋めるのを手伝っておくれよぉ!」


「「し、死体っ⁉」」


 玲と六花の裏返った声が重なった。


「ぁ、先輩、おかえりなさい……」


「うん、ただいま……えっと」


「あ、ども。ご活躍は天瀬さんからかねがね、大橋です」


「あ、ご丁寧にどうも。2年の双海です。……ご活躍……?」


 どんな話をしてるんだと六花に視線で問うと、六花はぷいっと目を逸らした。仕方ないので嘆息して、大橋に向き直る。


「んで……えっと、死体ってのは」


「あ、比喩っス。元カレの。元カレっては死体みたいなものなんで」


「……さ、さようですか」


 どうやら元カレを思い出に変換する作業を、「埋める」というらしい。玲も六花も全く知らないフレーズだった。女子高生の世界観はよく分からない。


 話を聞くと、一緒に来た彼氏——元カレが、浮気をしていたのだという。


 そのまま回想パートに入りそうになったところで、玲は思いついたように言った。


「もしよかったら、二人で遊んで来たら?」


 それを聞いて驚いたような表情になる六花。


「えっ、でも、それじゃ先輩、」


「そうです! さすがに申し訳ないですよ、私の個人的な話の——」


 六花に続いた大橋の言葉を、玲は遮った。


 いい機会だ。これを機に、六花に同い年で仲のいい友達ができたなら。


「いや、ちょうど良かったんだ。実はこのあと、バイト先に行かないといけなくなってさ」


 もちろん出まかせだが、実は嘘ではない。帰り道にバイト先があるため、圭一にお土産を届ける予定だったのだ。そのタイミングが変わっただけ。


「そ、そうなんですか……?」


 申し訳なさそうをしながら、大橋と顔を見合わせる六花。流石に気負わせても申し訳ないので、玲は言葉を続けた。


「そ。もとから天瀬さんとは港で別れる予定だったし、これから先も放課後に遊べるし。せっかくだし、この機会に同級生と一緒に遊んだらどう?」


 言って、玲は笑ってみせる。


 その表情に納得してくれたのか、六花は大橋に頷いて。


「じゃあ、そうします——また月曜日、先輩」


「うん、またな。天瀬さん」


 きっと、これが六花のため。



 そう自分に言い聞かせて、玲は手を振って踵を返したのだった。



・・・



 祭りの会場は、いまだ興奮覚めやらぬといった様子だ。



 時刻は午後8時半。花火が終わってから20分以上が経ち、流石に帰り始める人が増えてきたが、それでもまだ、多くの人がこの夜に留まろうとしている。


 玲もその一人だった。


 六花と別れてから、すぐに帰る気にもなれずに、道路から浜へと続く階段に座り込んでいる。湿度の高い潮風はべったりと体にまとわりつくようで、玲に内省を促してくる。


 眼前には思い思いに祭りを楽しむ人たちの姿。蒸し暑い空気が壁になっているのか、祭りの喧騒は少しくぐもって聞こえた。



「…………ひとりって、こんなに静かだったっけ」



 ぽつりと呟いた声が聞こえる。


 その声が自分自身のひとりごとだと気づくまでに、やや間があった。


——速水さん、沢口、稲野先生に天瀬さん。


——意外と、人に恵まれてるんだよな、オレ。


 師匠が死んでから、他人に深入りするのはやめていたつもりだった。


 実際、去年はほぼ独りで過ごしていたのだ。


 去年の玲はあくまで義務的にクラスメイトと交流していた程度で、積極的に遊びに行ったり、話しかけたりはしなかった。



 人間の関係性なんて一過性のものだ。いつか別れると分かっているのに深入りして、相手を懐に招き入れて、挙句、離れた時に傷つくのは、いくらなんでも勝手だろう。


 だから、関係性がその時だけのものであることを前提に、その場その場のインスタントな関係を——義務的な関係を築き上げて、その場しのぎで生きていくのが、いちばん精神衛生にいい。……というのが玲のスタンスだった。



 喧騒を前に、屋上の景色を思い浮かべる。


 屋上もこんな感じだ。周りには放課後の音が溢れていて、けれど玲の周り(屋上)には、幾重にもフィルターをかけて濾過した、上澄みの音しか聞こえてこない。話の内容も楽器の種類も判然としない、統合済みのレイヤーのような音。



「そろそろ帰るか」


 感傷に浸っていても仕方ない、と立とうとして。



「あら、もう帰っちゃうの?」



 かき氷を2つ持った紗香に呼び止められた。


「来てたんですね、先生。まぁ、もう花火もないですし——」


 言うと、紗香が口をとがらせて言う。


「せっかく教師生命を賭してかき氷を買ってきてあげたのに」


「えぇ……。そんな大事なモン賭けられても……」


 確かに、特定の生徒におごったとなると、教師的には外聞が悪そうだ。


 紗香が差し出したかき氷を、玲はためらいがちに受け取る。熱気にあてられて火照った手のひらに、ひんやりとした感触。玲が階段に座り直すと、紗香はその隣に腰掛けた。


「知ってる? かき氷のシロップは、どの味も全部同じ味なのよ」


「へぇ、そうなんすか」



 もちろん知っている。有名な話だ。


 玲は手元のブルーハワイに目を落としてから、紗香の持つメロン味を見た。それとなく演技をしておいた方が、紗香も雑学を披露した甲斐を感じることだろう。



「……ふふ、実は知ってたでしょ?」


「なっ」


 口の端を緩めて言った紗香に、玲は虚を突かれて息を漏らした。


「な、なんで分かったんですか」


「女の勘♡」


「……こえぇ。オレにそんな勘ないっすよ」


 いつかできるわよ、と言って、紗香は柔らかい表情で続ける。


「最近どう? 学校たのしい?」


 玲は六花と初めて会った時の放課後のことを思い出して、小さく笑った。あの時の六花はまだ自信なさげで、紗香の問いにも不安そうな表情で答えていた。


「楽しいですよ、オレは」


「それはなにより」


 紗香は鷹揚に頷く。「花も恥じらう17歳、後悔のないようにね」


 その古臭い言い方に破顔して、玲はずっと気になったことを聞いてみた。


「……稲野先生は、」


「うん?」


「——稲野先生は、どうしてオレと六花を引き合わせたんですか?」


 疑問だったのだ。ブラザー・シスター制度の実験なんて嘘をついてまで、六花と引き合わせたことが。


 六花に他人と交流させたいのなら、部活動への参加を勧めるだけでも十分だろう。特定の個人に対して、わざわざ学年の違う相手と引き合わせるなんて、通常はしない気がする。


 身も蓋もないことを言ってしまえば、クラス内での孤立なんてよくあることだし、自己責任の範疇だ、と玲は思う。


 紗香はしばし宙を眺めて思案する。


「う~ん……気分?」


「気分」


「あと、タイミング」


「はは、さいですか」


 あっけらかんと言った紗香に、玲は思わず笑ってしまった。


「でも、人間の関係なんて気分とタイミングが全てじゃない? たまたまそこに相手がいて、たまたま関わりたい気分だった。ざっつ、おーる」


 今回の場合もそう、と紗香は続ける。


「私が天瀬さんを担任することになって、去年、私は双海さんを担任してて、天瀬さんが友達作れなくて困っている時に、ちょうど双海さんが暇そうにしてた。そして私がなんだか双海さんに丸投ゴホンゴホン、任せてみたくなった。それだけ」


「本音、本音まろび出てる」


「あと、天瀬さんと双海さんを合わせたら——いいコンビになりそうだな、って思ったのもあるわよ」


「良いコンビ?」


「そ。結果は……ふふ、私の見立て通りだったわね」


「そうっすか。……オレは、いい先輩やれてますかね」


 場の雰囲気に酔ったのかもしれない。いつになく頼りない声音で、玲は零した。まるで心臓の柔らかいところから剥離した言葉が、そのまま浮かび上がったように。



「オレ、天瀬さんが同級生の子たちと仲良くなるチャンスを……高1の1学期を奪っちゃったような気がするんすよ。だから、今は良くても、もっと長期的な目で見たら天瀬さんにとっては、良くない先輩なのかもしれなくて」


 息継ぎの為に顔を上げると、紗香の視線が頬に突き刺さった。隣を向くと、そこには、まるでエイリアン的な見た目の深海魚を見つめるような表情を浮かべる紗香の姿。


「し、湿度の無駄に高い元カレのようなセリフね……」


「えっ」


「私が元カレに言われたら、その瞬間にそいつ埋めるわ。ノータイムで、浜に」


「流行ってる? 元カレ埋めるの流行ってる?」


 玲のツッコミを無視して、紗香は芝居がかったジェスチャーで「はぁ~~~」と嘆息する。


「あのね……教師として言うけど、それはよ」


「っ、」


「双海さんは想像力のある子だから、もしかしたら、自分の考える範疇にない部分にまで責任を負おうとするクセが有るのかもしれない。だから、他人と深くかかわるのを避けている。感情移入しすぎてしまうから。責任を持とうとしてしまうから」


 話が重くなり過ぎないように気遣ったのか、紗香はしゃくしゃくとかき氷を食べ進める。人々が目の前の通路を横切るたびに、紗香の顔に落ちる光が瞬いた。


「もちろん他の子と関わらないのは、ご家族を亡くした経験もあるだろうけど——それ以上に、ご家族の死について責任を感じているから。違う?」


「……、」


 玲はしばらく考えた。話の流れに身を任せて、「そうかもしれない」なんて言うのは簡単だ。けれど、他人が出してくれた答えに安易に飛びつくようなことはしたくなかった。


「……それも、あると思います。間違いなく」


 玲の答えに、「うん」と紗香は表情を崩す。


 いつになく優しい表情だった。まるで、師匠が玲を諭すときのような。



「でもね、それは双海さんの考えるべきことじゃない——ううん、言い直し。


 なの。そこから先は、相手の責任。相手の考えも、決断も、行動も、相手に帰属すべきこと。相手が選んだことを自分の責任のように思うのは、やっぱり、思い上がりだと私は思うわ」




「————、」



 息が詰まる。


張り割けそうな肺とは裏腹に、肩の力が抜けていく。


 これまでの日々を思い返す。あかね、圭一、紗香、六花——他にも、クラスメイトやバイト先の人。沢山の人が関わろうとしてくれたのに、それでも玲は、どこか壁を作ろうとしていた。「努力して仲良くなるなんて無駄だ」と断じて。



 もちろん、それが必ずしも間違いだったとは思わない。


 けれど、それでも。


 もっと、仲良くなる努力をするべきだった——そう、思った。


 仲良くなれるかどうかは相手次第。六花とこうして関係を築いてきたように、他の人も積極的に心に迎え入れよう。六花と仲良くなろうとしなければ生まれなかった日々があるように、きっと、努力して交友関係を広げなければ生まれない日々が、確かにあるのだ。


「……先生、」


「うん?」


「稲野先生、教師にめちゃめちゃ向いてると思います」


「へっ⁉」


 ただの一生徒に対する観察眼。説教クサさ威厳(?)舐められ親しみやすさの絶妙なバランス。この人が教師でよかったな、と玲は思った。


「そ、そうかしら? へへ……じゃあ、いいこと教えてあげる。天瀬さんには内緒ね?」


 しーっ、と指を立てる紗香。いつも屋上で嗅いでいるタールの匂いが鼻腔をくすぐる。


「——天瀬さん、双海さんの話でクラスメイトと盛り上がって、最近、友達ができたみたいよ」



「っ……それは、なんというか、光栄なことで」



「そこでこの商機を逃すまいと、双海玲撮り下ろしアクスタと天瀬・双海ちびキャラアクスタとトレーディングチェキ風ブロマイド(ランダム全5種)とB3サイズタペストリーとオリジナルショッパーをセットで1000円で売ろうと思うんだけど、どう? 推しにならない?」


「却下で」


「ぐすん」



・・・


「あら? もう行くの?」


「はい——かき氷、ごちそうさまでした」


 言うと、紗香はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「出世したら、本物カクテルのブルーハワイご馳走してね」


「前向きに検討しときます」


 玲も笑って、手を振りながらその場を立ち去る。


 まだ会場に六花はいるだろうか。もしかしたら帰ってしまったかもしれない。


 知らず知らずのうちに歩調が速まる。もうすぐこの祭りも終わる。会場の熱気が、祭囃子の音が、夜空を埋めていた硝煙が、次第に拡散して、もとの日常へと希釈されていく。



 喧騒が鎮まるにつれ、波の音が浮き上がる。波が砕け、寄せ、帰っていく。ごうごうと遠雷のようにも聞こえる波の音。まるでこの夜を明日へと押し流していくような音だと、玲は思った。



 瞬間。




「あっ、いた! 先輩!」

 


 雪花の凛と降るような声。


 玲がゆっくりと——きっと口角が上がっているであろう自分の顔を取り繕いながら——振り向くと。



「先輩! 一緒に花火やりませんか⁉」



 満面の笑みを湛えた六花が、片手に持った花火セットを掲げたのだった。



・・・




 夜が更けても、花火大会は終わらない。



 ただほんの数刻、余韻が永らえただけであっても、それがかけがえのない時間であることには変わりない。


 手元で花火が瞬くたびに穏やかな笑顔が浮かび上がる。



 サラサラと流れ落ちる火花に、これまでの日々が重なった。火花の眩さに瞬けば、一瞬で終わってしまいそうな日々。


 玲は少しでもその様子を見ていようと、目を細めて眺める。



「先輩」


「ん?」


「花火、またやりましょうね、一緒に」




「——うん、またやろう。一緒に」

 

 


                                続く

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レグルスの残照~気弱(?)な後輩と送る青春ラブコメ~ 志賀拓也🍩DONUT SOFTWARE @siga_takuya

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