Episode6-2 夏の日暮れと浴衣ガール②


 翌週の土曜日——ついに花火大会の当日がやってきた。


 会場は港にほど近い浜辺。六花は霜波立島から船で来るので、港で集合することになっている。


「……すごい人だ」


 が、港は阿鼻叫喚の様相だった。人の頭が黒い陽炎のように揺らめいて、待ち合わせどころの話ではない。教科書で見た、金融恐慌で銀行が大混雑している写真を彷彿とさせる混みようだ。


 桟橋が花火を見るスポットとして開放されているそうで、その混雑らしい。


「待ち合わせ場所、違うところにすりゃ良かったなぁ」


 六花と合流できるか以前に、六花がこの人ごみに耐えられるかが心配になる。


 あの調子だと、きっとこういった規模の催しは初めてだろう。ちゃんと気遣わなければ。


「……というか、どこ行きゃいいんだ?」


 集合場所の指定は「港」である。それ以上のことは決めてない。


 六花がイメージする港は、簡単に人が見つけられる場所なのだろう。しかし今は、あまりにも勝手が違う。


 急に不安になってくる。


——連絡しておこう。


 集合時間まではあと二十分程度ある。まだ船は来ていないが、目印を見つけて伝えようとスマホを取り出し——




「あ、先輩!」




 瞬間。


——吹き抜けた潮風に、色がついたような気がした。


 意識が雑踏を掻き分け、視線の先にいる少女に吸い込まれていく。


 少し赤みがかった髪は夕刻の水平線を彷彿とさせる。今にも消えてしまいそうな淡い光でありながら、鮮烈に網膜に焼き付くような。


 きっと、いつか。


 今日この日が、遠い思い出になったころ。


ふと潮の匂いを感じた時に、この景色を——夏を告げる入道雲が纏う淡い色彩と、水平線を背負って立つ彼女を——きっと、思い出すのだろう。


「——うん、おまたせ」


 自然と頬が緩んで、それを見た六花が不思議そうな顔をした。


「? どうかしましたか……?」


「ううん。なんでも。……浴衣、似合ってるよ」


「っ!」


 玲は率直な感想を漏らす。


 オレンジがかった白藍の浴衣はこの時間にぴったりな色で、六花の持つ静かさと茶目っ気が混在した雰囲気を、よく表していると思う。あどけない夏の日暮れ色。


「あ、ありがとう、ございます。先輩も……可愛いですよ?」


「……ありがとう?」


 顔を赤らめて言った六花に、疑問形で応える。


 自分の服装を改めて見る。白いオーバーサイズシャツにジーンズ、サンダル。以上。


 なんというか、ファッションを放棄しつつも平均点ちょい上を出せるように狙った感じの装いだ。無頓着であっても無関心ではない、というライン。


「せっかくなら、先輩も浴衣で来ればよかったのに」


「いやあ、オレはそういうの似合わないから」


 ああいうのは天瀬みたいな可愛い系の子が着るべきだ、と口には出さずに呟いて、話題を切り上げようとして。


「来年は一緒に買いに行きましょうか」


「えっ」


 不意にぽしょりと六花が呟いて、玲は思わず彼女の方を見た。


 ごく平然と——それこそ、まるで放課後にファミレスに誘うぐらいの気軽さで呟いたような。


 出会った当初のためらいがちな雰囲気を思い返すと、随分変わったな、と思う。


「あぁ、そうしようか」


 言うと、六花は満足げに笑った。


 新鮮な表情にうろたえかけて、そういえば、まだ六花と出会って2ヶ月しか経っていなかったな、と思い出す。

 

 2ケ月という期間は、短いのか長いのか判然としない。遠い過去のことにも、先週のコトのようにも思えた。


「あっ。あっちに屋台出てますよ。行ってみませんか!」


 提案するような口ぶりだが、六花はすでに玲の手を引いている。


 玲は小さく笑って、彼女についていくのだった。



・・・



 射的くじ引きヨーヨーすくい、りんご飴とチョコバナナ、タコヤキイカ焼き焼きもろこし……ちょっと食べ過ぎやしないか。


「あ、先輩! わたあめもありますよ!」


「うん。帰り際に買おうね」


 目を輝かせる六花に言って、玲は袋を持ち直す。


 屋台エリアに来てから1時間弱。既に玲と六花の両手はいっぱいだ。傍から見れば、買い出しをしているようにさえ見える気がする。


 浮かれた六花があれもこれもと屋台に立ち寄るため、こんな状態になってしまった。はしゃぐ六花に対して、玲はまるで妹を見守るような気持ちで、彼女の一歩うしろをついていく。


「え~、わたあめ、無くなっちゃいますよ?」


「わたあめはそうそう無くならないと思うなぁ……」


「でも、〝女心はわたあめ“って、よく言うじゃないですか」


「なにそれ知らない」


「女の子は、遠目に見るとふわふわしていて、メルヘンで、思わず触れてみたくなる、そんな可愛さを持つ存在——でも、いざ食べてみると、食べた場所は自分の唾液で変色したり、べとべとしたり、さほど美味しくなかったりする。そして気付けば無くなってる……そんな格言だそうですよ」



「えぇ……」


 意味不明すぎる。


 どうして「わたあめを食べたい」の文脈からその格言が引き出されたのかは置いておいて、玲は半眼で聞いてみる。


「……『女心はわたあめ』のフレーズ、誰から聞いたの」


「稲野先生です」


「……やっぱかぁ……」


 何を意味わからん言葉教えてるんだあの教師……。


 玲は呆れるようにため息を吐いて、再び歩き出す。


 軒先にぶら下がる裸電球が、暗がりの中に色とりどりのテントを浮かび上がらせる。LED化されて久しい現代において、裸電球の柔らかい灯りは、それだけで見る者を夢見心地にさせる魔力を持っている気がした。


「先輩! お面! お面ありますよ!」


「そういや俺、お面買ったことないかもな……。沢口が好きそう」


 言うと、六花が。


「沢口先輩って、」


「そ。この前尾行した2人の、男の方」


「……あのあと、どうなったんですか?」


「これといって何もないかな。普通に友達のままだよ」


 もちろん、2人の間に気まずい空気を感じないでもないが、そこは流石に高校生。

疎遠になるわけでもなく、険悪になるわけでもなく。ちょうどよい距離感を探している最中といった様子だ。


「圭一、今でも速水さんのこと好きだけど、バンドに集中したいから付き合えない、って感じらしい」


「そうなんですか……両想いなのに……」


「……きっと、色々あるんだろうな」


 玲たちを取り巻く雑踏では、色とりどりの浴衣を着た男女や、ラフな格好の学生グループ、家族連れなど、色んな関係性の人々が歩いている。


 

——みんな当たり前のように、誰かとの関係性を受け入れている。



 たとえば家族、恋人、友人、知人、仲間、先輩、後輩、教師、生徒。


 特定の言葉で関係性を表現し、自分の中に位置付ける。かつて玲は育ての親を「師匠」と呼んでいたが、それはまさに無意識の位置づけだ。そういえば、「師匠」と口にするたびに、自分の中で「師匠」に対しての信頼が高まっていった気がする。


 だから。


「——オレには、もう、無理だな」


「?」


 玲は表情をしゃきっと切り替え、笑顔で六花に言った。


「そんな、涙を隠して戦う孤独の戦士・沢口にはコイツを買って行ってやろう」


「お、おぉ~? ……仮面ラ○ダー……?」


「そ。圭一がライダー好きなんだよね」


 このお面で少しでも気が紛れたら。


 そう思って取り出した財布を、無慈悲な価格設定(ひとつ1000円)が襲うのだった。


・・・



 屋台エリアの端から端まで歩いたが、玲も六花もけろっとしている。


 六花はまだまだ遊び足りない様子だったが、もうじき花火の打ち上げが始まるということで、一緒に席まで移動する。


「あ、あれ⁉ 席って……ビニールシートの席じゃなくて……?」


 有料観覧席エリアを前にして、目を丸くする六花。


「あれ、言ってないっけ」


「言われてないです……これ、どうしたんですか?」


 買ったんですか、とでも言いたげに、申し訳なさそうな顔をする六花。


「有料席のチケットもらったんだよ。バイト先が花火大会に協賛してて、それでな」


「あぁ、なるほど!」


 納得したようにポンと手を打つ六花に、玲は破顔して言う。


「なんと、普通に来ると1万円するらしい」


「い、いち……⁉」


 驚愕の表情で、六花は玲を見た。高校生にとっての1万円は、だいたい2ヶ月分の国家予算に等しい。あまりにも大金である。


「私も、バイトやってみたいなぁ……」


「いいんじゃないか? お金あると、自由度が広がって楽しいぞ」


 言うと、六花は複雑そうな表情を浮かべる。


「うーん……でも、家があんまりバイトさせてくれるような感じじゃなくて、」


「へぇ?」


 厳しい家なのだろうか。


 もしかしたら、帰りが遅くなるのを心配してのことかもしれない。島にはアルバイト先が少なそうだし、本土の方で働くとなれば、必然的に帰りの時間が遅くなってしまう。


 あまり深入りすることじゃないな、と思って、玲は話題を変えた。


「バイトするなら、何したい?」


「う~ん……双海先輩は洋食屋さんですよね?」


「うん、沢口の実家」


「なら、私も洋食屋さんがいいです!」


 ぱぁっと表情を輝かせて言う六花。


 玲はその曇りのない表情に——「なら、」が意味するところに、どうやって応えればいいか分からずに目を逸らした。


「天瀬さん、洋食屋の制服似合いそうだし、いいと思うよ」


 それとなく話題を切り上げて、有料エリアの受付へと向かう。


 チケットを見せて有料エリアに入ると、なんとびっくり屋外用のスポットクーラーが完備されていた。さすが1万円の席だ。クーラー完備というだけで、1万円を払う価値はあるかもしれない。


 玲と六花は涼みながら、指定席のパイプ椅子に座って開始時刻を待つ。


 花火の打ち上げ予定時刻が近づくにつれて、心なしか会場内が浮足立ってきた。祭囃子と喧騒が入り混じり、そこには一夜限りの「祭りの音」が生み出されている。否応なく夏の訪れを感じさせ、ノスタルジーを刺激してくる音。





——祭りは楽しいか、玲。





「……」


 まぁまぁかな、と答えたような気がする。


 今ならどう答えるだろうか。素直に「楽しいよ」と言えるのだろうか。


「……どうかな」


 もしかしたら当時だって、素直に答えていたのかもしれない。心の底から「まぁまぁ」と思っていた可能性は十分ある。


……けれど、それでも。


 せっかく祭りに連れてきてくれた師匠に、もっと楽しんでいる姿を見せればよかったな、と思う。喜ぶ玲を見れば、きっと師匠も喜んでくれただろうから。



——お! 射的! 師匠、オレ、あれやりたい!


—————。


——ん? どうした師匠。


——————————。


——。


―――――。


——。



 どんな会話をしたのか、もう覚えていない。



 師匠は複雑そうな——まるで肺を握られているかのような、苦しそうな顔をしながらも、最後はひとりでに納得して射的をやらせてくれた。


 師匠は、元軍人だ。


 戦場にも行っていたらしいので、もしかしたら銃に(あるいは、玲に銃を触らせることに)抵抗があったのかもしれない。玲に射的をやらせてくれた理由はもう、今となっては思い出せないし、聞くことも出来なくなってしまった。


「————い、……先輩?」


「んぁ、ごめん、聞いてなかった」


「あ、いえ、何も言ってないので大丈夫なんですけど……その、平気ですか?」


「え?」


「その、私ばっかり楽しんじゃって……先輩、疲れてないですか?」


 気遣うような視線に、玲は笑って答える。


「大丈夫。天瀬さんの方こそ——」


 大丈夫? と言いさして、玲は思いなおす。


 きょとんとした表情を浮かべる六花に、玲は柔らかい表情を作って言った。


「——お祭り、楽しい?」


 いつか、自分が問われた言葉。


 一抹の不安を感じながら、玲は六花の言葉を待つと。



「——はい、楽しいです! すごく!」



 六花は、まるで鈴を転がすような、迷いのない澄んだ声で言った。


 一辺の曇りもない笑顔はまるで、これから夜空を彩るだろう大輪の花のようで。玲はその輝きが他の何かに侵されないように、胸の奥にそっと刻む。


「そっか。よかった」


「先輩は——お祭り、楽しいですか?」



 玲は静かに息を吸いこむ。むせ返るような夏の緑の匂いと、屋台から流れて来る芳ばしい香りが胸の中に流れ込んで来る。



「——うん、楽しいよ」



 玲が笑って答えると、六花もつられて笑ったのだった。



・・・



 どん、と臓器を揺さぶるような音が響く。


 屋台に並んでいた人も、通路を歩いていた人も、地面に座り込む人も、みんな一様に、黒滔々と広がる無辺の夜空を見上げている。


 7月も半ばになり、ようやく梅雨明けを迎えた空を色とりどりの花火が躍る。その様子はまるで、花畑の1年間を夜空に映し出したかのような、刹那的で、再現的な光景だ。


「……」


 ぱっと花開くたびに、世界が染まる。赤、緑、黄色、青……目まぐるしく移ろう世界の色は、あの時の映画館を彷彿とさせた。


 玲はあの時と同じように——隣に座る、六花の横顔を盗み見る。


 透き通った肌、瞳の中で揺れる色、花火が打ちあがるたびにその表情は色を変えていく。そんな横顔を眺めていると、不意に六花が振り向いた。


「——綺麗ですね、先輩」


「……、そうだな、うん。綺麗だ」


 玲は不意打ちの笑顔にたじろぎながら言うと、玲の言葉に満足したのか、六花はまた夜空を見上げる。


「来年もまた花火、見に来れたらいいですね」


 来年、玲は3年生だ。受験するにせよ就職するにせよ、きっと今のように穏やかに過ごすことはできないだろう。浴衣を一緒に買いに行けても、花火大会の日の予定を空けられるかは分からない。


 それは六花も分かっているようで、「一緒に」とは言わない。


「……うん、来年も一緒に見に来れたらいいな」


 だから、玲はあえて、そう口にした。


「っ、はい!」


 六花は驚いたように目を見開くと、また花のような笑顔を浮かべて言った。


 咲いた花火が、ぱちぱちと空を滑り落ちていく。


 近年のヒットソングに乗せて夜空に広がる光輪は、惜しみなくその生を全うしては消えていく。間断なく打ちあがる様子は、まるで何かに急かされているようにも見えた。紗香が煙草を吸いまくる様子が脳裏にちらついて、玲はちょっと萎えた。


 でも、本質は一緒なのだろう。


 この祭りの高揚を、酩酊を途切れさせないため。絶え間なく押し寄せて来る現実に、ほんの一瞬でも入り込む隙を与えないため。


 絶えず打ちあがる花火に、人々は無邪気に歓声を上げている。


 次第に会場の熱量が高まっていくのと同時に、玲は自分の心がすっと醒めていくのを感じた。六花に言った言葉がフラッシュバックする。


——来年も一緒に。


「……」


 本当は、一緒にいるべきではないのかもしれない。


 玲と六花は学年が違う。この先、玲が卒業するタイミングが来てしまえば、六花が一人ぼっちになってしまう可能性もあるのだ。なら、同年代の子と遊び、友情を育み、思い出を作った方が良い。


 出会ってから約2ヶ月——ずっとオレは、六花が同級生と友達になれる可能性を奪ってしまっていたんじゃないか。







——きっと、そうなんだろうな、と玲は思った。





(Episode6-3に続く)

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