第三十六話  大きくなって帰ってきた男

 十一月。

 良く晴れた空。

 昨日降った雪が、地面にうっすら残っているが、歩くのに支障はない。


 毛艶けづやの良く、威風堂々いふうどうどうとした馬に、おのこと、おみなまたがっている。

 二人とも立派な衣で、前にまたがるおのこは、筋骨隆々とした体つき。

 そのおのこの背中から抱きつくおみなは、艷やかな黒髪、雪のような白い肌を、頭からかぶった日除けの薄いしゃ(ベール)で隠している。


 後ろには、一つ、人馬が付き従っている。穏やかな顔つきの男、顎にちょび髭がある。肩にはゆき(矢入れ)、手には弓を持っている。


 小田おだのこほり嶋田郷しまだのさとの、雪の残るあぜ道を、かぽっ、かぽっ、と、ゆっくり、二頭の馬、三人の男女が進む。


 道を歩いていた郷のおのこ酢麻呂すまろは、馬に乗る人など滅多めったに見かけないので、道の脇によけ、衣も立派なことから、身分の高い方なのだろう、と頭を下げる。


 が、ひっかかりを覚えた。


 前をゆく馬に乗った、二十九か三十歳くらいのおのこの左頬に、疱瘡もがさがあった。

 さらに良く見れば、それは……。


真比登まひと? 真比登じゃねぇか? 死んだはずの!」


 馬の歩みが止まった。真比登は、じろり、と馬上から、酢麻呂すまろを見下ろした。


(こいつ、十二歳のオレに、石を投げつけた男だ。)


「いかにも。オレは真比登だ。今は、ここの少領しょうりょうの娘のつまだ。」

「はっ? 嘘だろ?」

「嘘じゃない。」


 後ろのおみなが無言で、しゃを細い指でつまみ、顔を見せた。

 その美貌。

 切れ長の澄んだ瞳、形の良い鼻、桜色の小さい唇。

 白い肌はきめ細かく、つやめいて、郷に住むおみなとは、まったく違った。


(なんてぇ良いおみなだ……! おのこと生まれたからには、一度だけでも良いから、ひんいてこの腕に抱いてみたいもんだ。)


 酢麻呂すまろは、ゴクリ、と唾を呑み、おみなの顔に血走った目をむけた。


(こんな良いおみなを妻に……?

 少領しょうりょうの娘のつまになって、贅沢放題だと?!)


「ただの郷人さとびとに過ぎなかったおまえに!

 郎女いらつめ(お嬢さん)、あなたは騙されてるんですよ、このおのこは、ここの嶋田郷しまだのさとの、ごく普通の郷人さとびとなんですよ。そんな着飾らせてやる価値はない。

 えやみで家族は死に絶え、本人だって疱瘡もがさがあるじゃないか!」


 おみなが顔をしかめ、しゃで顔を隠し、


「真比登、いや。」


 と一言いった。

 真比登が目を釣り上げ、怒気が放たれた。


「ひっ!」


(殺される……?)


 酢麻呂すまろは、その尋常じんじょうでない、恐ろしい怒気に、すっかり度肝どぎもを抜かれた。

 真比登は、後ろの人馬に声をかける。


五百足いおたり。」

「はい。」


 五百足いおたりと呼ばれたおのこは、流れるように弓矢をつがえ、


(えっ?)


 ポカンとする酢麻呂すまろにむけ、矢を放った。

 矢は、びゅん、と飛び、酢麻呂の足元の土に、さく、と刺さった。


「ぎゃ───! 死ぬぅぅぅ!」


 実際は、まったく怪我はしてないのだが、酢麻呂は、へなへな、と、その場にへたりこんだ。


「オレは今は、ここ、嶋田郷しまだのさとの郷長より偉い、少領しょうりょうおのこだ。その事を忘れず、口のききかたに気をつけろ。不敬で罰を与える事もできる。」

「はへっ?! はひっ!

 すみませんでした! お許しください。」


 酢麻呂は、がたがた震えて、うつむいた。

 真比登の馬が、去りぎわに、


 ───イイイン!


 といななき、後ろ足で酢麻呂すまろに、ざっ! とたっぷり土をかけていった……。





   *   *   *




「あともう少しで、オレの家です。

 ああ、懐かしいなぁ。

 十六年ぶりかぁ。」

「あたくし、真比登の母刀自に、婚姻の許可をいただかなくちゃね。」


 つまり、墓の前で。

 三人は、真比登の家族の墓参りに来た。


「ふふっ、母刀自が生きていたら、腰を抜かしてますよ。

 佐久良売さまは、美しい、天女ですから。」


 佐久良売は、にこにこと微笑み、真比登の背中に、ぎゅっ、と抱きつく。


「うふふ。悪くないわね。」

「佐久良売さま、母刀自は、宇奈伎売うなぎめと言いました。

 名前を覚えてください。

 佐久良売さまに、オレの死んだ家族を、知ってほしいんです。オレにとって、大切な家族でした。」

「いいわ! 真比登の事だもの。知りたいわ。教えて。」

「親父は、真麻呂ままろ

 オレの兄は、真名足まなたり。十七歳でした。

 姉は、大真須売おおますめ、十六歳。

 同母妹いろも小真須売こますめは、十歳でした。

 保保豆木ほほづき鬼灯ほおずき)で遊ぶのが好きな子で……。」


 青空のした、笑顔の夫婦めおとと、そのおともが、墓を目指して、山道を登ってゆく。




 




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