第三十四話  土いじりは楽しいですわ。

 お腹のぽよんと出た、鎮兵の荒海あるみの久自良くじらは、多賀たが城の、鎮兵ちんぺいの兵舎に帰ってきた。


 ちょうど、井戸に水をくみにきていた、妻、米由可めゆかが、水の入った桶をとりおとし、


「あ、ああ……! あああ……!」


 目にみるみる涙がもりあがり、だっ、と走って久自良くじらに抱きついてきた。


「はは……! 熱烈な歓迎だな。」

「久自良、久自良、無事で……!」

「ああ、無事だ。

 帰ってきたよ。米由可めゆか

 スズナ(カブ)の種をたくさん送ってくれて、ありがとう。嬉しかった。

 お土産話が、たくさんあるぞ。

 褒賞ほうしょうもがっぽりだ。」

「うん。それも嬉しいけど、無事に帰ってきてくれたことが嬉しい。寂しかった、会いたかった。」

「オレもだよ。ずっと、会いたかった。今夜は、たくさん、しような?」

「もうっ! バカ! ……する。」


 米由可めゆかの頬が、ぽっ、と色づいた。

 久自良くじらは、そんな妻が可愛く、早く夜になぁれ、と思わずにはいられなかった。




    *   *   *





 鷲鼻わしばな嶋成しまなりは、牡鹿おしかの屋敷に帰る前に、佐久良売さくらめさまに、大椿売おおつばきめと一緒に呼ばれた。


「実は、あなたのところの使者、丸子まるこの忌寸いみきの坂盾さかたてから、いろいろ、便宜べんぎはかるように、頼まれていたの。

 浄酒きよさけ鎮兵ちんぺい全員のぶん、贈ってくれたりね。

 だから、大椿売おおつばきめ、このかんざしは返すわ。

 丸子まるこの忌寸いみきの坂盾さかたてから貰った品を、あの米代にあてます。

 嶋成さま、大椿売は、あなたへ届ける握り飯代をあがないたくて、かんざしをあたくしに差し出したのよ。」

「佐久良売さま……。」


 大椿売は困った顔をしたが、かんざしを素直に受け取った。


「大椿売、そこまでしてくれていたなんて……。」

「あたしがしたくて、した事です。あなたに握り飯を届けるのは、楽しかった。」


 嶋成は、はにかむ大椿売がますます愛しく、大椿売の手を握った。



(父上とは、喧嘩別れ。

 顔を殴られて、屋敷を飛び出して、それきりだ。

 一回、米を木簡もっかんでせびったら、拒否をされた。

 でも、浄酒きよさけ鎮兵ちんぺい皆にふるまってくれたり、坂盾をつかわせたりして、陰ながら、気にかけてくれていたんだ。)









 嶋成は、牡鹿おしかの屋敷に帰った。


 久しぶりに会う父上は、記憶と同じ威圧感だった。

 父上は、嶋成が後ろにつれた大椿売にちらり、と目をやったあと、ギロリ、と嶋成をにらんだ。


「……おのこに、なったのか。」


 一言、いた。


「なった! オレは、一度も、逃げなかった!」


 嶋成は、左袖をまくった。

 矢傷、刀傷を治療した火傷あとだらけの、左腕を、見せた。


「ふっ。」


 父上が笑って、倚子から立ち上がり、ばっ! と胸襟きょうきんを広げ、右袖を抜いた。

 あらわれた胸、右肩、右腕は、刀傷だらけだった。

 父上も、戰場に立ち、のし上がった、おのこだった。


「この傷の意味が、重さが、わかったか。」

「わかった!」


 自分の命を敵の刃の下にさらす、恐怖。

 それに打ち勝つ、豪胆さ。

 仲間を信じ、支えられ、自分も支える。その尊さが。

 守るべき者の為に戰う、おのこの勇壮さが。


「オレはわかった!」

「……益荒男ますらおの顔に、なったな、嶋成。

 その後ろの郎女いらつめを紹介してくれ。」

車持君くるまもちのきみの大椿売おおつばきめ上野国かみつけのくにの豪族の娘です。」

上野国かみつけのくに吾妻郡あがつまのこほり少領しょうりょう車持君くるまもちのきみの岩敷いわしきが娘、大椿売おおつばきめです。お見知りおきを。」


 大椿売は、優雅に礼の姿勢をとった。


「オレのいもだ。妻に迎えたい。母刀自ははとじ……。」


 控えめな母刀自は、父上の会話に口を挟まず、父上の隣にいる。

 大椿売を妻にするには、母刀自の了承が必要不可欠だ。

 母刀自は、父上を見た。

 父上は、


「うむ。」


 とうなずいた。母刀自はにっこり笑った。


「ええ、わかりました。婚姻を許します。」

「ありがとうございます!」

車持君くるまもちのきみの大椿売おおつばきめ、もう、嶋成のいもとなったのね?

 嶋成を頼みます。」

「盛大に、婚姻の儀をり行おう。歓迎する、車持君くるまもちのきみの大椿売おおつばきめ

 私からも、不肖の息子を頼みます。」

「あ……! ありがとうございます!」


 緊張していたのだろう、感極まった大椿売の目から、涙が、ぽろり、と零れた。

 嶋成は、大椿売の手をとり、ぎゅっ、と握って、大椿売に、


(大丈夫だよ。)


 と頷いた。大椿売は、嬉しそうに、椿の花が咲くように、笑った。

 それを見て、父上も、母刀自も、優しい顔で笑った。


(あれ……、父上、こんな顔するんだ……。

 オレ、ここに帰ってこれて、良かった。)


 そう思ったら、なんのわだかまりもなく、口から、


「父上、これからは、道嶋みちしまの宿禰すくねの跡取りとして、精進します。」


 と、言葉が出てきた。


「うむ。……期待しておるぞ。」


 期待。

 その言葉を聞けたのは、記憶にあるかぎり、初めてかもしれない。


「嶋成さま……。うっ。」


 嶋成の背後では、ことの成り行きを見守ってくれていた坂盾さかたてが、感動の声をもらした。嶋成は振り返った。


「坂盾。今まで迷惑をかけた。これからはオレのそばで、オレを支えてくれるか?」

「嶋成さまぁ〜〜〜!

 なんとご立派になられて。

 うはぁ───!」


 坂盾は、びしょびしょに泣いた。





    *   *   *





 夕焼けに照らされて。

 汚れても良いように、質素な衣で、大椿売は、嶋成と一緒に、牡鹿の屋敷の庭の一角で、畑を作っていた。


「こうですのっ?」


 土を耕すところからだ。

 くわを土に振り下ろし、また、上にあげる。


「きゃっ。」


 尻もちをついてしまった。土は柔らかい。痛くはない。


「ははは……、気を付けて。こうですよ。」


 嶋成が手本を見せる。


「うふふ……。」


 大椿売は、幸せで、笑ってしまう。


(嶋成と、土いじりができる日が来るなんて。

 思いもしなかった。)


 嶋成が土のついた顔で、こちらを見た。


「楽しいですか?」

「楽しいですわ!」


 二人は、笑いながら、夕陽が落ちるまで、畑を耕し続けた。









    *   *   *




 米由可めゆか久自良くじらの後日談、

「メユカは千回だって好き」

https://kakuyomu.jp/works/16818093087429206627

 もご用意しています。

 一話読み切りですので、お時間があったら、ぜひ、いらしてください。

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