第三十ニ話  擁衞

「あたくしはここで朝獦あさかりさまに命を捧げる。

 そうしないと、朝獦さまの怒りは、お父さまにも、都々自売つつじめにも、真比登まひとにもおよぶわ。

 あなたは早く、お逃げなさい、古志加こじか。」


 佐久良売さくらめすすに汚れた顔ではかなく微笑んだ。

 古志加こじかが佐久良売の両肩をつかんで、揺さぶった。


「しっかりしろ!

 血迷うな!

 あなたには、真比登がついてる。

 あなたと真比登は、本当に慕いあういも愛子夫いとこせじゃないか!

 真比登はあなたのことを、息の(命)だと言った。

 あたくしにとってもそうよって、あなたはあたしに教えてくれたじゃないか! 

 死んだらダメだ!」

「真比登を生かすためにも、あたくしは死ぬのよ。

 朝獦さまの怒りは族滅ぞくめつを呼ぶわ。

 あたくしがここで、食い止めないと……。」

「ばかっ!

 鬼になんかに惑わされるな!」


 古志加が、佐久良売の右手から黒柿把鞘くろがきのつかさやの刀子とうすを奪い、柱に投げつけた。

 刀子は、炎をつきやぶり、タン! と柱に突き立った。


「良く見ろ!

 あの刀子とうすは、男物だ。真比登からもらったんだろう?

 真比登の刀子に貫かれて、鬼は去った!

 良く見ろ!」


 そんな突拍子とっぴょうしもない……、と思うが、たしかに。


「消えた……?」


 さっきまで、炎のなかに見えていた朝獦さまが、消えている。


「当たり前だ! 真比登は、強い。

 あなたの愛子夫いとこせは、あなたを守る。

 この先、鬼が忍びよってきたって、そんなもの、何回だってはらってくれるだろう?

 目を覚ませ!

 真比登の強さを思い出せ!」

「真比登……。」


 



 













 初夜の寝床で。

 黒柿把鞘くろがきのつかさやの刀子とうすを手にしたあたくしは、


「素敵ね。あなたの曜威ようい(威光を輝かす。武威を示す。)を思い起こさせるわ。

 いつも肌身放さず、身につける事にします。」


 と真比登を見た。

 真比登は刀子とうすを引き抜き、刀に軽く口付けをした。


「この刀子とうすがいついかなる時も、佐久良売さまを擁衞ようえい(かばい守る)します。」


 優しく、頼もしく、愛おしくて胸が痛くなるほどの、笑顔を浮かべて。















 あたくしの、愛しい真比登……。















「佐久良売さまが死んだら、真比登はあたしを殺そうとするよ。あたしは真比登と刺し違えて死ぬよ?

 二人で佐久良売さまのあとを追っちゃうんだから。

 うわぁーん!」


 古志加がわらはのように、わんわん泣き始めた。


(ん? なんですって? 聞き捨てならないわね。)


 佐久良売のなかで盛り上がっていた何かが、急速に、しゅうぅ、としぼんだ。

 

「真比登を殺させないわ。

 バカね。

 そんなこと、あたくしが許すわけないじゃない。

 古志加。逃げましょう!」

「佐久良売さま!」


 古志加は、ずびっ、と鼻をすすり、ほっとしたように笑い、


「失礼します!」

 

 佐久良売を二の腕で男のように抱き上げた。


「あっ?」

「口を閉じて。舌を噛まないように。」

「え?」


 一歩、二歩、三歩、部屋の出口にむかって駆け、四歩目。


「……はっ!」


 古志加は見事な跳躍を見せ、燃えるはりを飛び越えた。


黒柿把鞘くろがきのつかさやの刀子とうすが……。)


 古志加の首に腕をまわした佐久良売は、彼女の肩ごしに、真比登からもらった大事な刀子とうすが、柱に突き立ったまま、炎に包まれたのを見た。

 佐久良売の胸に悲しさがこみ上げる。

 と、同時に、黒柿把鞘くろがきのつかさやの刀子とうすを突き立てられた時をさかいに、鮮明に見えていた炎の朝獦さまが、もう見えない事を、確認した。


 古志加は、すたっ、と着地し、佐久良売をおろす。


「さ、走りましょう。」

「あなた……、おのこみたい。かっこいいわね。」

「どうも!」


 走る二人を炎が襲い、佐久良売の裳裾もすそ(スカート)に火がついた。


「きゃあっ!」

「失礼します!」


 目にも留まらぬ速さで古志加が抜刀し、佐久良売の裳裾をつかみ、大きく切り取った。

 火は、佐久良売に燃え移らなかった。

 かわりに、膝上まで、佐久良売の足が斜めに露わになった。


「申し訳ありません。」

「良いわ。ありがとう。走りましょう!」

「ええ!」


 おみな二人は手をつなぎ、走り出す。



(あたくしは死なない。

 真比登のもとへ帰る。

 朝獦さま、お許しください。

 あなたとは、ここで別れを告げます。

 あたくしは、真比登を死なせるわけには、いかないの。)


 佐久良売は、最後に、後ろを振り返った。

 やっぱり、炎のなかに、朝獦さまは見えなかった。

 かわりに。



 ……ゆら……。



 と揺らめく、白い小さな光のたまを、佐久良売は炎のなかに見た気がした。


 尋常じんじょうならざるものを見てしまった、と佐久良売は息を呑むが、もう、振り返らない。

 前を向いて、生きる道を、真比登へと戻る道を、ひた走る。














 命からがら、正殿せいでんを脱出した。

 すすに汚れた二人は、おけの水を、ざぶ、ざぶ、と頭からかけられた。

 古志加は、すこし、手を火傷し、髪の毛が焦げた。

 佐久良売も、足に軽い火傷は負ったが、あとの残るほどではない。

 不思議なほど、顔は、火傷をしていなかった。


「佐久良売さまぁ!」


 若大根売わかおおねめが佐久良売に抱きつき、佐土麻呂さとまろが、


「佐久良売、うおぉぉぉ………。」


 と人目もはばからず、泣いた。

 三根人みねひとも、涙目で、うんうん、とうなずき、はっ、と佐久良売の足元を凝視した。


「良かった!」

「ご無事で!」


 と口々に言う、兵士や、郷人さとびとも、はっ、と佐久良売の足元を凝視した。


 つまり、切れた裳裾もすそからのぞく、美女のなまめかしい、足を。

 古志加が、さっ、と佐久良売の前に立ち、


若大根売わかおおねめ、布を持ってきて!

 おのこは見るなあっ!

 後ろ向けっ!

 後ろ向かなかったヤツは、真比登に言いつけるよ!」


 と大声をだしたので、わらわら、おのこどもは、後ろを向いた。


 桃生柵もむのふのきに侵入した蝦夷えみし掃討そうとうは、もう完了したらしい。

 あたりの雰囲気が、弛緩しかんしている。

 佐久良売は、ふっ、と肩の力をぬき、


「古志加、ありがとう……。あなたには、命を助けられました。」


 と、古志加の後ろから柔らかく抱きついた。


「あたくしが、あそこでしようとしていたこと……。」


 自分で首を斬ろうとしていたこと。


「真比登には言わないで……。」


(真比登が知ったら、心配をかけてしまう。)


 古志加は、大人しく佐久良売に抱きしめられたまま、


「わかりました。誰にも言いません。」


 とうなずいた。




    *   *   *




 半刻(1時間)のち。

 着替えをすませた佐久良売は、広場にいた。


「佐久良売さま───!」


 左頬にミミズ腫れのある、ほこりと血にまみれた真比登が、恐怖にゆがんだ顔で桃生柵もむのふのきの広場まで、馬で駆け上がってきた。

 ひらっと馬から降り、


「はあっ、はあっ、佐久良売さまぁ……!」


 佐久良売は、愛子夫いとこせの胸に抱かれた。


「あ、うわ……。わああああ───……!」


 真比登は、大粒の涙をこぼして、泣いた。


「よくぞご無事で! よくぞ……!

 桃生柵もむのふのきが燃えているのを見た時から、生きた心地がしませんでした。

 佐久良売さま。佐久良売さま。あなたに何かあったら、オレは生きていけない……!」


 たくましい建怒たけび朱雀すざくは、わなわなと、全身震わせている。


「真比登。あたくしは生きてるわ。」


(……死なないで、本当に良かった。) 


 佐久良売も、真比登の腕のなかで、泣く。


「古志加が助けにきてくれたのよ。」

「古志加〜〜、ありがとう〜〜〜! この恩は忘れない。」


 古志加は笑顔で、


。」


 とだけ言う。

 真比登の震えはおさまらない。


「佐久良売さま。怖かったんです。」

「ふふ……。真比登?」

「はい?」

「口づけして。」

「はいっ!」



 二人は、深い口づけをした。



 ───久しぶりに、この二人の口づけを見たな。

 ───ああ、ここ最近、佐久良売さま、落ち着いてたからな。


 鎮兵たちが話す。

 もう、この二人を見慣れた古志加が、ちょこん、と首をかしげた。


「これで見納めかな?」


 隣に立った花麻呂が、


「うべなうべな。」


 とうなずいた。鎮兵ちんぺいたちも、



 ───うべなうべな!



 と合唱する。花麻呂は、ふと、古志加を見た。


「おまえ、最後まで、うべなうべな、言わなかったなあ!」

「ふふん。言わないよっ。」


 古志加は、にっこり笑った。






    *   *   *





 乙卯きのとうの年。(775年)


 十月。



 桃生柵もむのふのきの戰は、大和朝廷の勝利で終結。


 桃生柵もむのふのきは、焼け落ちた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る