第十四話  大ひれや 小ひれの山は

「三虎の気をひくなんて、あたしには無理……。」


 泣きながら古志加こじかは首をふる。

 佐久良売さくらめはがっしりと古志加の両頬を手でとらえた。


「無理じゃない!

 できる!

 努力なさい!」


 佐久良売は犬歯をむきだしにして、かあ、と威嚇いかくした。


「ひい。」


 古志加の涙がひっこんだ。


「このあたくしが、じきじきに、東舞あづままい(田舎らしいのどかな舞)を教えましょう。

 たしかにあなたは、女官としてしとやかな所作はできるけど、おみなとして、もう一押しの華やぎが足りないわ。

 またあなたの想い人に会えたら、この舞を披露して、心を鷲掴わしづかみにするのよ。」

「舞なんて、踊ったこともありません。それに、舞を踊れても、それで三虎の心を鷲掴みになんて、できると思えません。」

「あら。おのこなんて単純なのよ。

 真比登まひとなんて、あたくしに舞ってほしいって自分でお願いしておきながら、目の前であたくしが舞うと、舞の最後まで我慢できずに、あたくしを脱がしにかかるのよ?」


 おほほ、と佐久良売が品良く笑うと、古志加が真っ赤になって、


「そ、そんなに効果があるものですか……。」


 と照れて、もごもご言った。


「あたし、佐久良売さまと真比登、お二人を見ているの、好きです。

 あたし、ある人から、本当に慕いあういも愛子夫いとこせ夫婦めおとをみつけて、よーく観察してみろって言われたことがあるんです。

 でも、そんな夫婦めおと、見つけるのが大変で。

 ここに来て、佐久良売さまと真比登と出会った時、見つけたって思ったんです。

 実はこっそり、お二人のことを観察してました。

 それでわかったのが……。」


 そこで古志加は、顔色をうかがうように、佐久良売を見た。

 本来、佐久良売と古志加には、身分差がある。

 佐久良売は、続けてかまわない、と、微笑みながら頷いた。


「佐久良売さまは、普段は、きりっとしたお顔で過ごされています。

 でも、真比登と会う時は、目尻がさがって、穏やかな顔になります。

 真比登も、佐久良売さまを見ると、でれっと顔がゆるんで、佐久良売さまが愛しくてたまらない、という顔になります。

 お二人が一緒に立っていると、幸せなんだなって、見ててわかります。

 それが、本当に慕いあういも愛子夫いとこせなんですね。」

「うふふ、その通りよ。

 でも、それだけじゃないわ。

 真比登は、あたくしのことを、息の(命)だと言ってくれるわ。

 あたくしにとっても、そうよ。

 真比登が無事に生きていてくれるから、あたくしも、落ち着いて毎日を過ごすことができるの。

 お互いの無事が、生きる支えなのよ。」


 古志加がうっとりと笑顔になり、目が、感動で潤んだ。


「素敵です!」

「ありがとう。さ、古志加。東舞あづままいを教えます。あたくしの舞は、平城京の采女うねめ仕込みです。ほどほどの出来では許しませんよ。」


 佐久良売は笑顔だが、全身から立ち上る迫力は、鬼気迫るものがある。


「はい!」


 古志加はごくり、と生唾を呑み込んだ。





       *    *   *





 舞は、口で歌いながら、大きい薄いしゃ(ベール)を持ち、舞う。



「※おおひれや  ひれの山は  や


 大ひれや  小ひれの山は  や


 りてこそ


 山は寄らなれや  遠目とほめはあれど


 や  寄りてこそ  寄りてこそ……。」



(大きな山よ、小さな山よ、山は近寄って見てこそ素晴らしい。

 遠くから見た時は素晴らしくないけれど。

 近寄って見てこそ……。)


 足を踏み出し、地面につくだけでも、


「違う!もっと足先をゆっくり。踵から足先までためらいがちに、恥じらいを持って地を踏みなさい!」


 何を言ってるのか、わからない。


「指先にまで神経をめぐらせなさい。

 ああなぜ、指をまっすぐにしてしまうのです。手の甲をそらせ、指もそらせるのですよ。爪まで意識しなさい!」


 手をまっすぐにして手刀で人体を打つのなら得意なのだが。

 部屋に帰ってきた若大根売わかおおねめが、


「古志加、がんばって! 佐久良売さまに東舞あづままいの手ほどきをしてもらうなんて、名誉ですよ!」


 と応援してくれる。


「頑張る。ありがとう若大根売わかおおねめ!」

しゃの動き方がなってない! もっと布地が良く見えるように、この紗は雲だと思って動かしなさい。一周まわったら、必ず、正面を向きなさい。」


 体力には自信があり、しとやかな動作も、女官として今まで鍛えられてきた自信があったが、古志加は床に崩折くずおれた。


「あ、足がもつれて……、あたしもうダメ……。」


 佐久良売さまが、


「立ちなさい! まだ、終わっていませんよ!

 もっと美しさに、おみなに磨きをかけるのです。

 頑張りなさい。

 剣を磨くように、己を鍛え、おのこの心を鷲掴みにするのよ!」


 と喝をいれる。もともと、剣の鍛錬が好きで、真面目に稽古に取り組んできた古志加だ。


(剣を磨くように……、己を鍛える!!)


「うおお───! あたし、頑張ります!」


 目に闘志を燃やして、古志加は立ち上がった。

 若大根売わかおおねめが、


「古志加、かっこいいわ……!」


 と両手を胸でくみ、佐久良売は、


「その意気や良し! さあ、良く見ていなさい。」


 と、もう一度、お手本を舞ってくれる。

 佐久良売さまの舞は、しとやかでありながら、華やぎに満ちていて、生来の美貌とあいまって、目が離せない。

 その美しさに、ほぅ、とため息をつきそうになる古志加だが、


「何をぼさっとしているの。あたくしの隣に立って、まったく同じに舞ってごらんなさい。」


 と厳しく言われてしまう。


「はいっ!」



       *   *   *



 結局、初日、佐久良売は、午後から顔を出すつもりだった医務室に、しばらく顔をだせません、と、追加で若大根売わかおおねめを使いにだした。

 古志加に教えた東舞あづままいは、たった一曲。

 しかし、目線や、足運びなど、佐久良売が納得いく舞になるまで、稽古は、まる三日間続いた。


 最後には、佐久良売、古志加、二人並んで舞う姿を見て、若大根売わかおおねめは、


「夢見てるみたい……。綺麗……。」


 と、うっとりと笑顔を浮かべた。

 佐久良売は、


「良く頑張りました。これならどこに出しても恥ずかしくないわ。一曲だけだけどね。」


 と、ふふっと笑い、


(たしかに古志加は綺麗ね……。)


「こほん。

 この舞は、あたくしのいるところだけで舞うように。真比登の前では舞ってはダメよ。」


(万が一でも、真比登の心が動いてしまったらイヤだわ。それと……。)


鎮兵ちんぺい仲間の前でも、ダメよ。」

「えっ……? 鎮兵の前でも、ダメですか?」


(やっぱりわかってないのね。己の美しさの影響が。)


「ダメよ。」


(ここに来て、最初のころ、下衆げすな兵士に集団で襲われかけた、と聞いたわ。

 こんなに美しい東舞あづままいを披露したら、飢えた猿の群れに、たった一つの毛桃けももを投げ入れるようなものよ。)


「ええと、花麻呂にも?」

「花麻呂は、あなたの衛士仲間でしたね。そんなに見せたいなら、あたくしの部屋に花麻呂を連れていらっしゃい。あたくしの前で、古志加は舞うのよ。」


(花麻呂に問題はないだろうけど、花麻呂と一緒に見るおのこたち、遠くから盗み見るおのこがいるかもしれないのが、問題なのよ。)


「……わかりました。」


 古志加は、ぶつぶつ、


「花麻呂をここに連れてきたら緊張しちゃうよねぇ。上野国かみつけのくにに帰ってから見せるか。」


 と独りごちる。


「ええ、そうしなさい。戰が終わって、上野国かみつけのくにに帰ってから、仲間たちに、あなたの舞い姿を見せなさい。

 そして、想い人とまた会えたら、必ず、この東舞あづままいを見せるのよ。

 心を鷲掴みにできるわ。

 あたくしが保証します。」

「佐久良売さま……!」


 古志加は佐久良売に、がばっと抱きついた。古志加は、普通の男ほどの背丈がある。弾む胸がぼふーん、と佐久良売の顎下を攻撃した。


(うっ、これはすごい……。)


 若大根売わかおおねめが、


「づぎゃっ!」


 とびっくりする。


「ありがとうございます! 佐久良売さま、大好きです!」

「まあまあ、ふふふ、わらはみたいね、古志加。」


(ああ、そうだ、このおみなは、まるでわらはみたいなんだわ。

 兵士として戦って、背が高くて、あの従者を一途いちずに恋うているけど、中身は、あどけないわらはみたい。)


「佐久良売さま、良い匂い。凛々しくて、涼やかで、女らしい、良い匂いがします。」

「ふふ、ありがとう。」



 花顔雪膚かがんせっぷたぐいまれなる美女と、背の高い明眸皓歯めいぼうこうし(目がハッキリ明るく白い歯の輝く)の美女は、しっかり抱き合った。




     *   *   *




 ※参考……古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店



 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093083233499525



 

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