第十二話  無常迅速

「オレは十七歳で、多賀たが鎮兵ちんぺい八百人の勝ち抜き戦で一位になりました。

 翌年、朝獦あさかりさまに伊治柵これはりのさくへ呼びつけられました。

 そこで、勝ち抜き戦一位の褒美として、流星錘りゅうせいすいを頂戴しました。」


(あの時は、蝦夷えみしえみなを鎮兵に襲われたって、蝦夷たちが伊治柵これはりのさくへ抗議に来たのと、偶然かちあったなぁ……。

 朝獦あさかりさまがオレに対応を任せ、オレは犯人の首を蝦夷に引き渡した。

 オレの対応に、朝獦さまは不満そうだった。

 あの人は、女を襲われた蝦夷の嘆きを目の前にしても、ちっとも心を動かされない人だった。

 まこと、平城京の貴族とは、恐ろしい。

 蝦夷を朝廷に従わせる存在としてしか見ていなかったのだろう。

 あの時会った蝦夷、一人だけ大和言葉を喋れて、体格が立派で、輪っかの耳飾りをした男、名前はなんだっけな。

 エア……。難しい名前だった。)


甲辰きのえたつの年、の話なのね。それは……。」

「ええ、春の話です。」

「では……、では……。」

「そうです。その年の秋、朝獦さまは黄泉渡りしました。」




   *   *   *





 甲辰きのえたつの年(764年、天平宝字八年、11年前)。


 九月。


 近江国高島郡、三尾城みおのき


 琵琶湖に面した、古く、打ち捨てられた城の跡地。


「ぐあああああ……!」


 執拗しつように攻めてくる兵士と切り合い、肩からへそまでばっさり切られて、藤原ふじわらの恵美えみの朝臣あそん朝獦あさかりは、断末魔の悲鳴をあげ、草地にうつぶせに倒れた。


(何故だ!

 私の父上、藤原ふじわらの恵美えみの朝臣あそん仲麻呂なかまろは、皇族以外で初めて太師たいし(太政大臣)という最高の地位にのぼり詰めたのだぞ。

 栄華を欲しいままにしていたのに、なぜ、今、私は草地に倒れているのだ。)


 朝獦、二十九歳。

 激戦のさなか、味方の兵が次々、散ってゆく。朝獦はこの状況を、恨めしく思わずにはいられなかった。


訓儒麻呂くすまろ兄上が、鈴印れいいん(※注一)を手に入れそこね、射殺されていなければ……。

 父上が長年国司こくしを務めていた近江国にたどり着けていれば、今頃、もっと余裕で、大軍を集められていたはずだった……。

 孝謙こうけん上皇に先手を打たれ、勢多橋を焼かれ、近江国に入れなかった!

 越前国の国司、弟の辛加知からかち(※注二)は何をやっている!

 愛発関あらちのせき(近江と越前の関所)はなぜ閉じている!

 琵琶湖を渡り、越前国に入ろうとしたのに、風まで、我々に味方しなかった。船が沈みかけた。

 ここ、三尾の古城に籠もったが……。)


 朝獦は、己の血に濡れた草を握った。


(このままでは、妻が、子が、藤原一族が、殺されてしまう。

 おおお、信じられぬ、つい八日前までは、私は参議さんぎ(※注三)として、平城京の朝政に携わっていたのだぞ!

 蕃族をしたがえ、秋津島をあまねく平定し、これから日本を、唐に比べて恥じぬ大国にするのは、父上であり、この私だ!

 このように惨めに、路傍ろぼうの草の露と消えて良いわけがないっ……!)


 背中から、胸下まで、刃が通った。


「がっ!」


 それが、藤原恵美朝臣朝獦が、この世に残した最後の言葉だった。







    *   *   *





「朝獦さまは、三尾の古城で族滅ぞくめつ(一族全部を殺すこと)されたそうです。

 反乱がはじまったのが、九月十一日。朝獦さま達が黄泉渡りしたのは九月十八日。わずか七日間の出来事です。

 これを多賀で聞いた時、オレはとても信じられませんでした。

 あの、いつも自信をみなぎらせて、誰とも違う迫力を発散していた朝獦さまが、もう、この世にいないなんて……。」


(朝獦さまが黄泉渡りしたことで、オレは、鎮兵を二十三歳になったら、辞める事もできるようになった。

 でも、オレは、辞める気はなかった。多賀たがの鎮兵の伯団はくのだんは、オレにとって家族も同じになっていたから。)


「そうね。あたくしも、十三歳の時に、朝獦さまは謀反人として死んだのだと聞かされて……。

 今もどこか、あのお方が黄泉渡りしたなんて、信じられない気がするの。」

「……佐久良売さま?」


 佐久良売さまは、いつもよりさらに白い顔で、うつむいている。

 どこか、思い詰めた表情だった。


「すみません、こんな話をして。疲れてしまいましたか?」


 はっとしたように、佐久良売さまは顔をあげた。


「ええ、そうね。……疲れたみたい。もう、今日は眠りましょう。」


 真比登が佐久良売さまを抱き寄せると、佐久良売さまは、細かく震えていたのだった。






   *   *   *






 翌朝。



「佐久良売さま、古志加こじかが……。お助けくださいまし。」


 と、すっかり困りはてた様子の若大根売わかおおねめが、古志加を佐久良売の部屋に連れてきた。






    *   *   *






(※注一)鈴印れいいん……皇権の発動に必要なもの。

 駅鈴えきれい、伝書を伝達する為、駅馬を利用するときに必要な鈴と、天皇の御璽ぎょじ、つまり天皇の印鑑、二つをあらわす。


 ちなみに、藤原ふじわらの訓儒麻呂くすまろを射殺したのが、牡鹿おしかのむらじの嶋足しまたり、のちの道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたり

 です。

 当時、授刀衛じゅとうえい(のちの近衛府このえふ、つまり官軍がわの兵士)であった嶋足パパは、この功績が出世の足がかりになった模様。


(※注二)藤原ふじわらの辛加知からかち……越前国の国司であったが、父親が反乱を起こしたと知る前に、官軍により斬り捨てられた。その後、愛発関あらちのせきは官軍により封鎖され、仲麻呂らは戦うが、この関を突破できなかった。


(※注三)参議さんぎ……朝政にかかわる、大臣、大・中納言につぐ、重要なポスト。




 無常迅速むじょうじんそく……世の中の移りかわりのすみやかなこと。

 また、人の死が早く訪れること。






 

 

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