第十話  己の正しいと思う道でないと歩けない、其の一。


 甲辰きのえたつの年(764年、天平宝字八年、11年前。)


 春。


 真比登、十八歳。


 普段は多賀たが城にいる真比登だが、この日は、此治柵これはりのさくに来ていた。

 多賀城よりやや小さい城柵である。


 なぜかと言えば、藤原ふじはらの恵美えみの朝臣あそん朝獦あさかりさまから呼ばれたからだ。

 朝獦さまは、いつも平城京にいるそうだが、この日は、此治柵これはりのさくに視察にくる、真比登も来い、と呼びつけられたのだ。


「多賀城にいる鎮兵八百人の勝ち抜き戦で、一位となったそうだな。その栄華で、二十歳を前に、小毅しょうきとなった。この年齢では、これ以上は望めない、という、上の地位だ。

 ふふ……、期待した甲斐があったというもの。」

「はあ。」

「もっと嬉しそうにしないか。」


 朝獦さまは、くく、と笑った。

 平城京の参議さんぎにのぼり詰めた権力中枢にいるエライ男は、真比登から見れば、相変わらずであった。


 気まぐれ。

 恐ろしい。

 自分の夢を熱っぽく語る。

 真比登が死のうと、知ったことではない。ただ、


「オレの事を忘れずにいてくださって、それだけは、嬉しいです。」

「くく、忘れないとも。真比登。今日だって、良い土産を持ってきた。

 この此治柵これはりのさく一の益荒男ますらおと戦って勝てたら、褒美にやろう。」

「はあ。」

「良いものだぞ。流星錘りゅうせいすい、という。」


 くい、朝獦さまが側に控えた小薩こさちに顎をしゃくる。

 床にかけられていた布を、ばさっ、と小薩がとった。

 なかからは、大きな木槌に似た武器がでてきた。


「なんですか、これは。」

「武器だ。まあ、殴る武器だろうな。使い方は知らぬ! 唐から運ばせたものだ。」

「はあ。」


 この男は、すぐに唐から、と言う。

 そういう真比登も、禄に余裕ができたら、非常に高価なものであったが、丁子ちょうじを奈良から取り寄せ、口に喰むようになったのだから、あまり人のことは言えない……。


「ただし、此治柵これはりのさく一の益荒男のほうが勝ったら、そのおのこのほうにやるぞ。」

。」


(あまり、舐めるなよ。)


 真比登の目がきらり、と光る。



 その後、朝獦さまと、なんだか偉そうなおのこたちの前で、此治柵これはりのさく一の益荒男と戦った。



 ぶちのめしてやった。



 以上。



「ははははは! 本当に強くなったな、あのわらはが!」


 朝獦さまは、愉快そうに笑った。





 事件は、その後、起こった。


 真比登がうまやに歩くと、途中、南門の前が騒がしい。


「なんだ?」


 と問うと、どうやら蝦夷えみしの者、五人が、ここ此治柵これはりのさくの鎮兵の乱暴を訴えに来たらしい。


「すぐに追い返します。」


 と門番が言うが、見れば、蝦夷の体格の良い男が、


「聞いてくれ、話を! こちらには、あかしおのこがいる!」


 と、滑らかな大和言葉で、必死に訴えている。

 真比登は、


「なかに入れてやれ。」


 と言う。門番が、おまえは誰だ、というように鼻白んだ。


「オレは、多賀城の鎮兵、伯団小毅、春日部真比登だ! 命令を聞け!」


 真比登が一喝すると、


。」


 としぶしぶ、門番は蝦夷五人をなかにいれた。蝦夷は、全員、二十一歳以上であろう、大人の男ばかりだ。

 先頭を歩く男が、ひときわ、体格が良く、目つき鋭く、輪っかの耳飾りをしている。

 大和言葉を滑らかに話す男だ。

 次に歩く男は、両手で一抱えの木箱を、大事そうに抱えている。

 列の最後には、大和の男……、顔をひどく殴られ、片足を引きずり歩く男を縄にかけ、連れている。

 その男は、挂甲かけのよろい姿ではなく、郷人さとびとの衣だが、門番が口々に、


和呂志わろし!」

和呂志わろし、おまえ……。」


 と名前を呼んで驚いていたので、鎮兵仲間であるらしかった。


 先頭を歩く、丸い輪っかの耳飾りの蝦夷が、真比登を見た。

 細い目が、鋭い。


「感謝します。この男、我々の郷の女、襲った。男の仲間、三人、ここにいる。この男、喋った。」


 顔を殴られ、腫らした男は、むぐむぐ、何事か言った。


「この男、ワロシ。ワロシ、愚かな男。

 山から逃げる時、滑って足を折った。男の仲間、ワロシ、置いて逃げた。逃げて、許されない。罰、受けねばならない。ワロシ、仲間、クソカズラヲ、カスヒト、キタナマロ。」


 門番がいっそう、ざわざわする。名前に心当たりがあるようだ。


(あ〜〜、面倒!)


 ここは真比登の所属する鎮兵の軍団ではない。勝手が違う。だが見過ごすわけにもいかない。

 真比登は門番に、


「おい。今の男、ここに連れてこい。」


 と命令したが、


「…………。」


 とがった敵意だけが、門番から返ってきた。


「ちっ。ならここの大毅たいきを呼んでこい!」


 今度は、門番はすぐに走った。

 しばらく待つ。

 体格の良い、耳飾りの蝦夷が、強い目で真比登を見る。


「感謝します。我々の郷の女、山で木の実、とる。山で、襲われた。我々の郷の女、何も、悪くない。悪い、ワロシの仲間。」

「…………。」


 真比登は何も言わず、腕を組み、渋い顔をする。

 この蝦夷の男が言う事は、正しいのだろう。

 女が、哀れだ。


 そして、このような事は、実は、多い。


 真比登の多賀の鎮兵も、蝦夷から似たような訴えを聞くことがある。

 それはもちろん、鎮兵が起こした事件ではなく、浮浪者あがりの大和の男や、時には大和の商人が、蝦夷の女を襲った、というものだ。


 ここ、陸奥国は、大和朝廷の命令で、多くの人が移住した。なかには、つかまえた浮浪者や、犯罪を犯した者を赦して、何百人と移住させる場合もある。

 そういった男たちは、まともな郷の者から嫌われ、離れた山あいの場所に、まとめて住まわされる事が多い。

 浮浪者あがりが住む郷のまわりは、まともな郷の者、とくに女は、近づかない。

 理由は、明らかだ。


 そして鎮兵が……。

 蝦夷の訴えにおうじて、大和の男をいつも正しく裁けるとは、限らない。

 商人などは、言い繕って逃げるのがうまい。鎮兵に銭を握らせることもある。

 浮浪者あがりの男は、女を襲ったことを認めない。

 蝦夷は、たいてい、言葉が通じない。


 真比登は、商人が、


「こんな陸奥の遠くまで、商いにきてやってるんです。言葉の通じない、いやしい蝦夷の女を、わざわざ抱いてやってるんです。蝦夷の女にとっても、大和の男の種……。」


 とか言いはじめるのを最後まできかず、


「おらぁ!」


 と殴って気絶させ、蝦夷に引き渡すことにしている。

 あとからその商人の仲間だか、浮浪者の仲間だか、商人に金を握らせられた鎮兵だかが、闇に乗じて真比登を襲ってくることもあるが、


「おらぁ!」


 と皆一撃で地に沈めるので、真比登にとっては蚊と同じである。

 





 真比登は、己の正しいと思う道でないと、歩けない。





 真比登は、そうであるのだが、他の鎮兵がわざわざ、蝦夷の味方をする事は、少ない。

 鎮兵とは、大和の者を守るものだからだ。

 証拠に欠ける場合は、やはり事の真偽がわかりかねるので、真比登も動けない。

 その時、蝦夷の男たちが流す怨嗟えんさの涙が、真比登にはこたえる。


 訴えを聞き入れられなかった蝦夷たちの不満は、積もり積もって、爆発する。

 彼らにも、誇りがあり、手にとる武器もある。


 武力に訴えられれば、真比登ら鎮兵も、武力でそれをねじ伏せる。

 双方、死傷者がでる。


 そして、均衡がとれる。


 均衡はいずれ、愚かな大和の者の行いによって、破られる。

 卑しい男が蝦夷の女を襲い、商人は言葉の通じない蝦夷の足元を見た商売をする。


 争いの種が消える事がない。


 蝦夷との、小規模な小競り合いは、ずっと、いつまでも続くのだ。




   

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