第九話 洞穴の目
「オレ、
違いますか?」
「えっ……? ええと……。違わないわ。」
「オレ、幼い佐久良売さまに、一回だけ会ったことがあります。」
「ええ?!」
「会ったっていうか……、すれ違っただけですけど……。
「八歳ね。」
「八歳の
「まあ!
「ええ、今思えば。
八歳の佐久良売さまは、やっぱり、どの子よりも綺麗で、光り輝くようで、十三歳だったオレは一瞬、見惚れたんです。
豪族の娘なんて、見たのは初めてで……。」
「…………。」
佐久良売さまは難しい顔をして宙を
「佐久良売さま?」
「駄目だわ。ぜんぜん、思い出せないっ!!」
佐久良売さまは、ぶんぶん、と頭をふった。
「そりゃあ、ちょっとすれ違っただけでしたから。」
「十三歳の真比登、見たかったわああ! きっと可愛かったでしょうに。」
佐久良売さまは、悔やんでも悔やみきれぬ、というように、眉根を複雑怪奇に寄せた。
真比登はくすくす笑う。
「可愛くなんてありませんよ。もう
* * *
(759年、
八歳になった佐久良売は、
たくさんの人とすれ違う。
あたりは人が多く、なかなか、目当ての朝獦さまが見つからない。
「
(やっと見つけた。)
佐久良売は笑顔になり、駆け出した。
うしろに
きちんと
佐久良売のお付きの女官であり、
(お会いしたかった!)
「
「佐久良売、元気だったかい?」
大人たちと話す時は厳しい顔だが、佐久良売には、微笑んでくれる。
佐久良売の目は、
「約束通り、小さな
にゃあ。
その動物は、なんとも愛くるしい声で鳴いた。
(これが、猫! なんて可愛い!)
「ありがとうございます! 名前は?」
「
と、朝獦さまが猫を手渡してくれた。毛並みがふわふわだ。かり、猫の爪が佐久良売の肩にあてられた。衣に
(可愛い───!)
佐久良売は、この猫が、もう大好きになった。
(早く名前を決めてあげたい。)
佐久良売は、集中して思考しはじめる。
にゃん。
猫は腕をするりと抜け、下に降りた。
(和歌を即興で披露しよう。
よく勉強しているね、と朝獦さまから褒めてもらえるかもしれない。
大好きな朝獦さまの名前をいれたい。
朝獦さまは平城京のエライ方だから、それを
枕詞も優雅に入れたい。ええと、ええと……。)
「朝狩りや、そらみつ
八歳である佐久良売が上手に和歌を歌ったことに、皆が、ほーっ、と感心のため息をもらしてくれた。
佐久良売は得意になり、
「猫の名前は朝獦にしますわ!」
と笑顔で言った。
その場の空気が凍りついた。
朝獦さまからも、笑顔が消えた。
(あっ……! しまった。
浮かれて、貴族の名前をそのままつけるなんて。)
朝獦さまからは表情が抜け落ち、ぽっかり穴のあいた、暗い
怖い。
真っ黒く闇の深い瞳で見つめられ、氷の矢で射られたように、ひゅっ、と息がつまり、背筋が、ぞぞっと震えた。
誰しも、動かない。
謝ろうにも、舌が凍りついたかのように、動かせず、一言も喋れない。
カタカタカタ……、佐久良売は細かく震えだした。
「ふっ。」
朝獦さまが短く吐息をはき、空気がやっと
「その名前はいけないな、佐久良売。
ああ、いけない。
和歌は良い出来だ。宮人、私が狩りをする様を、伸びやかに歌うことができたな。
和歌に免じて……。
そうだな……。
朝獦や、の、二文字だけ許そう。りや、その猫の名前は、りやにしなさい。」
佐久良売は、はああっ、とやっと息を吐いた。
緊張で、ずっと、息が止まっていたのだ。
「ご温情に感謝いたします。
と佐久良売をうながし、
「ご温情に感謝いたします。」
と礼の姿勢をとった……。
* * *
「それで、
「そうよ。あの方は、
「なんとなく、わかります。」
「結局、あたくしは、直接会ったのは八歳が最後よ。真比登は?」
「
* * *
(※注一)……朝の狩りであろう、大和朝廷に仕える宮人が、若い立派な馬を並べて、走ってゆくのを見た。
そらみつ、は、大和の枕詞。
真比登の章、「第三十三話 米菓子美味しいです。」で、真比登が猫の
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