第七話  お疲れを癒します。

 果てたあと、佐久良売さまは、真比登の筋肉で隆起した胸に、そっと頭をもたせかけた。


「真比登……、ごめんなさい。」

「何がですか?」

「こんなに精をもらってるのに、緑兒みどりこ(赤ちゃん)ができなくて。」

「佐久良売さま。」


 真比登は、がばと起き上がり、愛する妻の手をとった。


「謝ることなんてありません。緑兒みどりこは天からの授かりものじゃないですか。」

「あたくし、平城京にいる頃は、きちんと毎月、来てたの。でも、桃生柵もむのふのきに帰ってきてから、月の印が、来たり来なかったりなの。

 なんでかしら?

 やはり、たくさん穢れに接するのが、良くないのかしらね?」

「佐久良売さま! 違います!」


 たまらなくなって、真比登は、佐久良売さまを抱きしめた。


「穢れなら、毎日、戰場で敵を斬っているオレのほうが、よっぽど、穢れています。そんな事を気にする必要はない。」

「…………あなたの緑兒が欲しい。」

「オレもです。佐久良売さま、オレだって……、一回、えやみになって、命は助かりましたが、もしかして種は死んだのかもしれません。精を放つことはできますが、何か問題を抱えてるのかもしれません。

 そんなオレのこと、嫌いになりますか?」

「なるわけないわ! 

 愛してるもの、真比登、あなただけを。」

「オレもです。オレも、緑兒が欲しい。

 でも、今こうやって、佐久良売さまとさ寝できる毎日が、オレには何よりも大事なんです。

 謝ったり、悲しそうな顔をしないでください。

 オレも、戰場で怪我しないよう、気をつけます。

 だから佐久良売さまも、できるだけ、笑顔で過ごしてほしいです。」

「ふふっ……。」


 腕のなかに閉じ込めた佐久良売さまが、笑顔をこぼし、はらりと涙を落とした。


「わかったわ。もう言いません。

 真比登。あなたに恋をして良かった。

 あたくしの真比登。口づけして。」


 真比登は、返事をかえす間も惜しく、愛しい妻の唇に夢中で口づけをした。






        *   *   *








 真比登。


 傍にいてくれて、ありがとう。


 あたくしを愛してくれて、ありがとう。


 愛してるわ、真比登。


 あたくしの愛子夫いとこせ


 出会えて、良かった。


 




    


        *   *   *



 


「佐久良売さま、うつ伏せになってください。お身体を揉んで、お疲れを癒やします。」

「ふふっ、そこまでしてくれなくても良いのに。」

「癒やします。」


 真比登は落ち着いた声で、穏やかに笑っている。

 佐久良売は素直に寝床にうつ伏せになった。

 はだかの背中に、愛しいつまの手のひらが優しく触れる。


 すーっ。


 手のひらが密着しながら、背中を下から上へ撫であげた。

 一回。

 二回。

 三回。


 肩を軽く揉み、次は親指の腹で、背骨の脇を、次つぎと押される。


「んーぅっ。」

「えへへ、気持ち良いですか。」

「ええ、気持ち良いわ……。」


 ぐ、ぐ、ぐ、と、背中の上から、下へ。

 力加減が、少し強めだが、それが良い。

 親指がゆっくり、筋肉のこわばりを押してほぐし、親指の圧が抜けたあとは、ふわりとほどける気持ち良さが身体から湧き上がる。


「ふぅ……。」


 気持ちよさにため息がもれる。

 肩の後ろも、丁寧に押される。

 ぐ、ぐ……。

 親指の腹が、経穴(ツボ)に入ったようだ。

 肩甲骨から、首の付け根、乳房の先端まで、びりり、と刺激が抜ける。


「ん……ふぁぁ。」

「ここ、硬いですね。」

「ん。」


 そうね、と口にするのも面倒なくらい、気持ちよさでとろけている。


「もっと。」

「はい。」


 真比登がにこにこ笑顔で応じてくれるのを、目のはしでとらえる。

 肩甲骨の、普段疲れるところを、ぐぅ、と押され、いたわるように揉まれる。

 もみもみ……。

 もみもみ……。


「はあ……。」


(真比登の手って、あたたかくて大きくて、気持ち良いわぁ……。)


 肩も揉まれ、首も揉まれ、頭がぼんやりする。腕も手のひらも揉まれ、手のひらを揉まれると、意外と気持ち良いのだと知る。

 背中をすー、と撫でられる。

 すると快い気持ちよさが全身に広がる。


「はアん……。」

「佐久良売さまは、どこもかしこもお綺麗です。こうやって按摩あんましていても、楽しいです。肌は滑らかで、筋肉は柔らかい。」

「ふにゅ……。」


 返事が面倒である。

 お尻を抜かして、腿も、ふくらはぎも、ぐっ、ぐっ、ぐっ、と親指の腹で押される。

 そのあと、丁寧に、もみもみ、揉まれる。

 もみもみ……。

 もみもみ……。


「足首は細くて、足はこんなにちっちゃい。可愛いなあ……。」

「にゅ……。」


 眠たくなってきた。

 足裏には、強めの刺激で、拳をあてられ、ぎゅうぎゅうと押された。

 とろん、とろけるように気持ち良いところに、トントントン、と、背中を、肩をたたかれる。

 軽快な刺激で、頭がスッキリする。


「うまいのね。」

「ええ。昔、金山で。砂金とりをしてる時に、おのこたちに仕込まれました。労働者であるおのこたちは、新入りのわらはに、按摩あんまをするように要求したんです。」


(え?)


 眠気が完全に醒めた。

 そんなことは初耳だ。

 佐久良売が知っているのは、過去、家族をえやみで失い、小鳥売ことりめを拾ったこと。

 それだけでも、充分辛い過去で、お腹いっぱいになってしまい、佐久良売はそれ以上、聞こうとは思わなかった。


「昔? 金山にいたの?」

「ええ、小田郡黄金山で、働いていました。ほとんど、下人のような扱いで。」


 真比登は、自分をあざ笑うかのような、悲しい笑みを浮かべた。

 佐久良売は、ぎゅっ、と胸が苦しくなる。

 うつぶせだった上半身を起こした。


「真比登。無理に話さなくても。」

「今までは、そう思ってました。聞いて楽しい話じゃないから、誰にも話したくない、と。

 でも、聞いてください。佐久良売さまには、オレのことを、過去もふくめ、全部知ってほしいんです。

 オレは、過去も、今の気持ちも、全部、佐久良売さまに正直に伝えます。

 あなたに誠実なおのこでありたい。

 あなたから信用されるつまでありたい。

 佐久良売さまも、悩むことがあったら、一人で抱えてないで、オレに言ってください。

 必ずです。

 良いですか?」

「……わかったわ。」


 真比登は満足そうに笑い、ふう、と息をつき、しばらく黙った。

 古い記憶を、思い出しているのだろう。


「……オレは郷を抜け出した、身寄りのない、疱瘡もがさ持ちの、十三歳の童でした。

 あてもなく歩いていたら、いつの間にか、金山で働いていました。

 そこを、藤原ふじわらの朝獦あさかりに拾われたんです。」

「……!」


 佐久良売は目を見開く。

 頭が、あの頃の思い出で、ぐわんぐわん、と揺れる。

 あの、自信に満ちていた貴族の男を、思い出す。




   

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