第五話  一瞬の邂逅

 駅舎につき、そこで一泊をした。

 真比登は湯船を使わせてもらい、衣も新しいものをしつらえてもらい、ご馳走も食べさせてもらって、満足した。


 朝獦あさかりさまからは、今まで嗅いだことのない、良い匂いがした。


 真比登が見ていると、夕餉のあと、朝獦あさかりさまは、口に乾燥した花蕾をいれて、噛んでいた。何の花蕾かは、わからなかった。


「なんですか?」


 好奇心に負けて質問すると、


丁子ちょうじ(クローブ)だ。唐渡りの貴重な薬でもある。噛めば微涼を生じ、口中を清める。噛んでみろ。」


 と、花蕾を一枚くれた。噛むと、


「べえ……。」


 あまりのひどい味に、吐き出しそうになったが、


「バカ、出すな! もったいない! 秋津島にはない、貴重なものなんだぞ。どれだけ高価だと思ってる!」


 と小薩こさちに頭と顎を抑えられた。


「げ……。」


 涙目になりながら、しばらく噛み、やっと手を離された。口から出し、


「水……。」


 とあわてて、机の土師器はじきつきに手をのばす。

 水を飲むと、甘く感じ、水を嚥下したあとは、口中に爽やかで好ましい香りが広がった。


「わあ……。」


 真比登の目が輝いた。


「ふっ。これは高価だからな。おまえにやるのは、一つだけだ。鎮兵でのしあがれ。腕がよければ、報奨金もでる。おのれで稼いた銭で、買い求めれば良い。銭があれば、奈良の都から、いろいろなものを取り寄せられるぞ。陸奥国にいてもな。」

「ふ、ふうん……。」


 はあっ、と息を吐くと、己から鋭く清らかな良い匂いがする。


(悪くないな。)







 真比登が握った赤い紐の先では、猫の麦刀自が、真っ白い牛の乳を、ぴちゃぴちゃと飲み、立派な鶏肉を美味しそうに食べていた。


 麦刀自は、鞠遊びが好きだった。

 麦刀自専用の、小さな鞠があり、その鞠を真比登が転がしてやると、


「にゃあん!」


 と追いかけ、狩りをするように、前足で鞠をつかまえる。

 つかまえると興味をなくす。

 真比登がまた動かしてやると、


「にゃあん。」


 とまた追いかけた。


(可愛いな、猫って。見てるだけで、なごむ。

 たしかに豪族の娘への贈り物にぴったりだな。

 豪族の娘など、見たこともないけど。)










 翌日、桃生柵もむのふのきについた。


「麦刀自、たたら濃き日をや(じゃあな)。」


 真比登は、朝獦あさかりさまに、麦刀自の入った藤のつる葛籠つづらを、そっと渡した。

 麦刀自は、可愛らしく、


「にゃー、にゃー。」


 と鳴いた。朝獦あさかりさまは、


「ご苦労。」


 それだけ言って、小薩こさちに頷いた。


「さ、真比登。猫のおりは、終わりだ。すぐ多賀たがへ向かうぞ。」

「はい。」


 小薩こさちに促され、真比登は歩きだす。

 前をむくと。

 可愛らしく着飾った女童めのわらは、八歳くらいの二人。

 三歳くらいの女童めのわらは二人。

 お世話係と思われる大人の女官二人。

 計六人の女たちが、広庭の向こうから歩いてくるのが見えた。

 先頭を歩く女童めのわらはは、


朝獦あさかりさまっ!」


 と叫び、嬉しそうに微笑み、駆け出した。

 黒く艶を放つ髪が揺れる。

 幼いながらも、白い肌に切れ長の瞳で、整った容貌がひときわ美しく、真比登は目を奪われた。

 すれ違う。

 女童めのわらはは、まっすぐ朝獦あさかりさまのもとへ駆けていった。


朝獦あさかりさま、お久しぶりです!」

佐久良売さくらめ、元気だったかい?」


 朝獦さまは、優しい笑顔だ。

 つい立ち止まって、その光景を見ていた真比登に、小薩が、


「おい。」


 と歩くよう促す。


「はい。」


 真比登は再び、歩きだす。

 背中で、朝獦さまと女童の会話が、


「約束通り、小さな郎女いらつめ(レディ)の為に、猫を連れてきたよ。」

「ありがとうございます! 名前は?」

麦刀自むぎとじ。でもこれは仮の名前だ……。」


 と聞こえてきたが、それ以上の会話は、立去る真比登には聞こえなかった。






   

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