第三話  一握りの金の砂

 真比登は、家族すべてを、えやみで失った。

 郷の人たちとの行き来は、断絶した。

 えやみ感染うつるのを恐れ、郷の人たちは、郷のはずれ、離れた場所にある真比登の家に近づこうとしなかった。

 一冬、誰の顔も見ずに、過ごした。


 春、真比登は、全てを捨てて、山を降り、嶋田郷しまだのさとを抜けた。


 きっと、真比登は死んだ、と郷の人は、思うだろう。

 今年、戸籍計帳こせきけいちょうを調べにくる役人は、春日部の家は、人が死に絶えた、と戸籍計帳に記すだろう……。


 真比登は、小田郡おだのこほり嶋田郷しまだのさとしか、知らなかった。

 どこか行くあてもない。


 道が続いているから、歩いた。


 真比登は下人げにん奴婢ぬひ、奴隷のこと)ではない。

 でも、田を捨て逃げた十三歳の百姓ひゃくせいなぞ、ろくな働き口があるわけもない。


 行く先で、いろんな(物売りのお店)に頼みこみ、仕事の口を探した。


 真比登の疱瘡もがさは、行く先々で、真比登を苦しめた。


 いつの間にか、小田郡おだのこほりの黄金山に流れついていた。


 そこは、砂金がとれる。

 川の底の砂を洗い、洗い、金の粒を探すのだ。

 そこには役夫えきふやとわれて働く人)がたくさん、働いていた。

 働き手を常に必要としていた。


 ぶくぶく太った金山の管理者は、真比登にさほど興味もないようで、身の上を細かく聞くこともなく、


「働いてよい。きひひっ。」


 と笑った……。


 働く男たちは、役夫えきふだけでなく、管理者に買われてきた下人げにんもいたし、片腕の肘から下がない男もいた。おそらくどこかで、窃盗など働いて、腕を落されたのだろう。

 真比登のように、田を捨て郷を抜けたおのこたちも、少なからずいたはずだ。

 疱瘡もがさ持ちも、何人かいた。

 ここで働く男たちは皆、真比登の疱瘡もがさを見ても、何も表情を変えず、声をかけようとせず、ただ虚ろな顔をして、真比登の前を通り過ぎていった。

 


 朝から、日暮れまで。

 川に立ち、砂を洗い、洗い、小さな金のきらめきを探す。

 腰は痛くなり、手は荒れ、ささくれた。

 ただ、ここで働いてるかぎりは、一日二食、最低限は食べさせてもらえたし、屋根のある場所で眠れた。

 寝ワラで、大勢のおのこたちと雑魚寝なので、いびきやら、おのこたちの匂いで、鼻が曲がりそうではあったが……。


 そこで、真比登は、おのこたちの身体を按摩あんま(マッサージ)するように命令された。

 金山の管理者から言われたのではない。役夫えきふたちから、

 

「新入りは、特別に、奉仕しろ。」


 と言われたのだ。

 真比登は従った。

 己も働きづくめで、疲れてはいたが、幸い、真比登は体力に恵まれていた。

 うつ伏せになったおのこたちの、背中を親指で押し、足を揉む。

 

「良く見れば可愛い顔してんのになあ。疱瘡もがさ持ちじゃなあ……。」


 と、不愉快きわまりない顔で見てくる大人の男もいた。

 真比登は目をあわせず、無言で按摩を続けた。

 人生で唯一、疱瘡もがさ持ちである事を感謝した瞬間であった。






 時には一人、夜空の下で、


「会いたいよ……。親父。母刀自ははとじ真名足まなたり兄ちゃん。大真須売おおますめ姉ちゃん。小真須売こますめ。」


 と涙にくれた。

 真比登は一人で生きていくしかない。

 優しく、温かで、家族全員で団子のようにくっついて、安心して眠った幸せな日々に、帰れるものなら、帰りたかった。





 くる日も、くる日も、川床から、砂をさらった。

 一日、砂を洗い続けて、見つかる金は、ほんの少量だ。


 ある日、作業をしていたおのこが倒れた。

 

「ああ〜ん? 息はしてんのか? してない? そうか。誰か遠いところに捨ててこい。熊や山犬がでてくるからな、くれぐれも近くに捨てるんじゃねえぞ。」


 金山の管理者はそう言っただけだった。

 真比登が思わず、非難の目をむけると、ぶくぶく太った管理者は、それに気がついたのだろう、ニヤリ、と笑った。

 管理者が左手に持った、手のひらにのる大きさで、中身がずっしりしている皮の袋に、右手をつっこみ、手を握ったまま、上に出した。


 きらきら、きらきら……。


 握った手の指の間から、金の砂が零れ落ちた。

 あの一袋、金の砂を貯める為に、ここにいる働き手が、どれくらい汗を流し、時間をかけたろう……。

 

「おまえらの命など、この一あく金砂きんさの価値もない。」

「ああ、そうかよ。」


 真比登が冷静にかえすと、管理者は満足したように笑い、丁寧に砂金の袋を閉じ、


「働け! ムチが欲しいか!」


 と歯をむき出して言った。

 目は、こぼした砂金がないか、あたりをギョロギョロ、確認している。

 真比登は素早くその場を離れた。

 グズグズしていては、管理者が腰にくくりつけているムチで打たれる。

 管理者にとって、労働者をムチ打つのは、ただの挨拶だった。


(オレたちの命など、あの一握りぶんの金砂きんさの価値もない。

 そうだな。

 その通りだ。

 オレ達は、使い捨てだ。

 死んで、誰が嘆いてくれるだろう?)


 金で買われてきた下人。もしくは、真比登のようなはみだし者ばかりが、吹き溜まりに集まるように、ここには集まっていた。


(同じ言葉を喋る人間なのに、この違いは何だろうな?

 あの男は、ぶくぶく太って、欲しいまま食べ、清潔な衣を着て、オレたちを見て高笑いをしている。

 オレたちは、皆、ガリガリで、不健康そうな顔色で、いつ死んでもおかしくない……。

 この違いは……。)


 あの管理者がガリガリになり、真比登たちが太れるほど食事に恵まれる事は、ない。

 ひっくり返る事は、ないのだ。

 ただ事実を事実として、真比登は認識した。

 

 






 ───そんな日々が、奇妙な動物の命を助けた時より、変わりはじめる。






   *   *   *





 朝獦あさかりさま、と呼ばれた男は、真比登の顔を踏んだ武人を、


「よくもを逃がしたな。このわらはが救ってくれたから良かったものの、もしここでを失っていたら、命で償わせるところだぞ。」


 と冷たく見下ろした。


「罰だ。右腕を落とせ。小薩こさち。」


 顔色をまったく変えず、言った。

 後ろに控えた従者らしい男が、


「はい。」


 と前に進み出て、腰に佩いた大刀たちを抜いた。


(本当に斬るのかよ!)


「ひいっ! お許しください!」


 武人は青ざめて震え、一歩あとじさった。

 ざわざわ、見物人たちが恐怖のざわめきをあげ、金山の管理者も、恐ろしい、と怯える顔で朝獦あさかりさまを見た。


をこちらへ。」


 朝獦あさかりさまは、これから腕を落とす男に、何でもない事のように腕をひろげた。

 小薩こさちと呼ばれた男が、動けない武人からをむしりとり、朝獦あさかりさまに渡す。

 は大人しくしている。


「右腕を出せ。朝獦あさかりさまの命令ぞ。」

「ひぎ……っ。おゆ、おゆる、おゆるし……。」


 武人は小さくつぶやきながらも、観念し、膝をつき、ぶるぶる震えながら、右腕を前につきだした。

 小薩こさち大刀たちをふりかぶる。


 真比登は動いた。


 すっと二人の間にはいり、小薩こさちが大刀を振り下ろす前に、右腕を握って、動きを止めた。


「童、なんの真似だ。」


 小薩こさちの目から怒りの炎が吹き上がる。

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