第八十九話  道、平らけくあれ、其の一。

 兵舎の、真比登の部屋。

 真比登は、三虎と差し向かいで座る。

 いつも無表情な男は、今は苦渋に満ちた顔をしていた。


「戰は、いつまで続くと思う?」

「さあな。ここまで戰が長引いてる事自体が、計算外だ。オレにもわからんさ。」

「……すまない、あの二人、一年ぐらいで、上野国かみつけのくにに返してほしい。」


 真比登は、はっ、とその愚かさを笑った。


「ここは戰場だぜ? そうホイホイ、兵士を解放できるかよ。」

「わかってる……。だが、殺したくない。あいつらは、上毛野衛士団かみつけののえじだんだ。ひどい我が儘を言ってる事はわかっている。」


 三虎が、ぐっと顔を歪め、うつむいた。


「本当だぜ。」


 真比登は、ぐい、と三虎の持参した浄酒を呑んだ。


 真比登は、若く胆力もあり、腕も良いあの二人を気に入っていた。

 加え、古志加は、おみなである事が貴重だ。佐久良売さまも気に入っている。

 もし。

 戦局が悪くなったら、古志加には佐久良売さまの護衛をさせるつもりであった。


 とはいえ、所詮、借り物。


「良いぜ。必ず一年とは言えないが、オレの裁量で、それに近い期間で、上野国かみつけのくにへ返してやっても。」


 三虎が、はっとしたように顔をあげ、すがるような目を真比登にむける。


「おまえさ。自分が今、どんな顔してるか、自覚ある?

 前に訊いたのと、同じ事を訊くぞ。

 おまえ、古志加を恋うてねえの?」


 三虎が息を詰める。

 目をそらし、右手を、己の髪をすりあげるように、耳上にやった。


ごとだと思って聞き流して欲しいんだが……、オレはおまえと、佐久良売さまが羨ましい。

 真実、この世にたった一人のいもだという実感が、おまえにははっきりとあるだろう?

 オレは、父上に、いもは会えばわかる、と言われたことがある。

 おまえにとって、佐久良売さまは、そんな女なのだろう?」


 三虎は、ほんのすこし、口もとに笑みを浮かべながら、真比登をじっと見た。真比登は、


「そうだな。」


 とあっさり答える。

 佐久良売さまは、真比登のいもであり、息の(命)だ。


「オレは……、昔からずっと、古志加の幸せを願っている。

 古志加は、母刀自のむくろにすがって泣いていたのを、拾ってきた。

 まだ十歳だった。

 昼間は笑っていても、夜は夢にうなされ、泣く事も多かった。

 哀れで……。

 オレは古志加の笑顔が得難い物だと思う。

 古志加を桃生柵もむのふのきに呼んだのだって……。」


 そこで三虎は浄酒をあおり、つきをあけ、無言でまた浄酒をつぎ、二杯目を干した。


「古志加に、オレから何を望む、とたずねた結果さ。

 オレは、そうたずねながら、本当は、古志加を手折ろうか迷っていた。

 だが古志加が、オレから欲しいものは何もない、衛士として強くなりたい、と言ったから、オレは古志加の手をひく気が失せた。

 オレの思いは、所詮、その程度だ。

 いもにむける感情ではない。

 オレは、古志加がどのおのこつまに選ぼうと、好きにしろ、と言ってある。

 古志加が衛士として手元にいる限りは、猫のように可愛がってやる。

 それで良いと思っている。」


 三虎は、はあ、と息をつき、手を額にあて、目を閉じた。

 それで良い、と口にしながら、顔は……、迷っているように見える。


「めんどくせえ男だな。」


 つい本音がでた。


「おまえ、今すぐこの部屋をでて、佐久良売さまの部屋にむかえ。

 そこでなんでも良いから古志加を呼び出して、自分の部屋に連れ込んで、とっととさ寝しちまえよ。」


 真比登のあけすけな物言いに、三虎が苦笑する。


(本当、ごと。)


「オレから見れば、綺麗な肌してるおのこは全員、うらやましい。

 なんの躊躇ためらいもなく、おみなに触れることができるんだから、さっさと手を伸ばせこの野郎。」


 鼻白んで言ってやると、三虎は浄酒をまたつきにつぎ、真比登にもついだ。

 半分、浄酒を呑み、つきに残った浄酒を、ゆらゆら揺らし、つきをもて遊んだ。


「おまえの言う通りかもしれないな。

 オレのことを笑ってくれ、真比登。

 だがオレは、十五の歳に、妻を持たないと決めている。

 会ってわかってしまうといういもと出会ったのならば仕方ない。

 でもそうでないなら、妻はいらない。いもも自分から求める事はない。

 オレは命を、大川さまの為に使いたい……。」


 杯を干し、


「もしかしてオレは、従者として生まれていなければ、古志加に、いもだという確信を感じたのかな?

 そう思うこともある。

 今はただ、古志加を猫のように可愛がってやりたい。

 それで良いんだ、本当に……。

 真比登、二人をよろしく頼む……。」


 と三虎は言い、部屋を出ていった。







   *   *   *

 




 夜がしらしらと明ける早朝。


 兵舎の、大川の部屋。


 部屋は物が片付けられ、簡易な棚には、物がまばらにしかない。

 棚の上に、土師器はじきの花瓶が、活けられる花もなく、ぽつんと置かれているのが、余計に寂しさを感じさせた。

 大川は、蘇芳の衣で倚子に腰掛け、三虎を相手に話す。


桃生柵もむのふのきが勝利を納めるのを、この眼で見る事が叶わないのは、まことに残念だ。

 ここは、私をおのこにしてくれた場所だ。」


 桃生柵もむのふのきの戰場で、はじめて、人を斬った。

 一人ではない。初戦でほふった賊奴ぞくとの数は、両手では足りぬ。


「大川さまは、ご立派に上毛野君かみつけののきみおのこの責務を果たしました。」

「副将軍の責務は、果たせなかったさ。」

「…………。」


 無表情な三虎が、かえす言葉を迷う。

 目が迷い、しばらく考えたのち、


「きっと、大川さまの落ち度ではないのでしょう。

 大川さまは、智、信、仁、勇、を兼ね備え、ご立派に副将軍を務めてらっしゃいました。

 たしかに桃生柵もむのふのきは一進一退が続いていますが、その責任を大川さま一人だけに求めるのは、間違っています。」

「ふ……。ありがとう、三虎。」


 容姿端麗なる大川は、柔らかい笑みを浮かべた。


(ただの慰めであろうが、私は乳兄弟ちのとの、こういう優しさが好きだ。)







 簀子すのこ(廊下)から、


「大川さま、古志加と花麻呂、まかしました。」


 古志加の声がした。

 召し出したのは、大川だ。

 大川は三虎に軽く頷き、三虎がすぐに戸を開ける。

 二人が入室した。

 大川はいつもの微笑みを浮かべる。


 この微笑みは、もう、大川に染み付いている。何も考えずとも、微笑みを顔に貼り付ける事ができる。

 

 古志加と花麻呂は、礼の姿勢をとる。


(相変わらず、良く似た二人だ。隣りあった郷の出身だったか。飲み水が同じだと、似るのか?)


 などと、なんの役にもたたないことを、大川はちらと考え、


(今夜は、征夷大将軍殿が、ねぎらいの宴を開いてくれるという。明日の朝は、早朝に出立だ。

 古志加の顔をゆっくり見れるのは、これが最後……。

 いや、最後ではないな。

 また顔が見れるのは、何ヶ月か、何年か先、というだけだ。)


 そう思うとつい、古志加の顔をじっと見てしまう。

 悲しむ瞳。

 化粧っ気はなく、衣もおのこのものなのに、野に隠れてつつましく咲くツボスミレのように、女らしさが───。


(おっと。三虎の気配が尖る前に、観察はやめねばな。)


「良く来たな。詳細は三虎から聞いているな?」

。」

「……その返事も馴染んだな。」


(ここを離れれば、、という返事も、もう聞くまい。)


 大川は一瞬、寂寥せきりょうがこみあげ、視線を机の上に落としたが、すぐに視線をあげた。


「長話をしている時間はないな。」


 そうでないと、二人が朝餉を食べ損ねるだろう。


「古志加、花麻呂、この桃生柵もむのふのきの戰が終結するまでは、ここに残り、勝利を導く手助けをせよ。

 死ぬなよ。

 生きて、上毛野君かみつけののきみの屋敷で再会する日を待っている。

 生還した暁には、必ず、手厚い褒賞を授けよう。」

!」

「ありがとうございます!」

「では、もう行け。」

。」


 二人、声をあわせて返事をし、退室の挨拶をし、部屋を辞す。

 三虎が、一緒に部屋を出る。


 大川は、その三人の背中が見えなくなるまで、微動だにせず、見守った。



(死ぬなよ、二人とも……。上毛野かみつけのの衛士えじが、遠く異国の地で、命を散らすことなかれ。)





 

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