第九十話  道、平らけくあれ、其の二。

 大川の部屋の戸がしまった途端、古志加が三虎に、がばっと抱きついた。


「三虎……、三虎……。」


 顔を三虎の胸に押し付けながら、ぎゅっと歪めて、泣くのを我慢している。

 古志加を抱きしめた三虎が、無表情に、


「死ぬなよ。」


 と腕のなかの古志加に告げ、花麻呂を見た。


「形見は頼まれた。古志加を頼んだぞ。」

。」


 花麻呂は力強く頷く。三虎の口元がかすかに緩んだ。


「おまえも死ぬなよ、花麻呂。」


 花麻呂も、ふっと笑った。


「もちろんです。」

「古志加、もう離れろ。オレは忙しい。」

「……。」


 古志加は諦めの表情でうつむきながら、ゆっくり離れた。

 三虎は、口がかすかに微笑んだまま、


「たたらき日をや(さようなら)!」


 とはっきり言った。


「たたらき日をや!」


 二人は礼の姿勢をとる。三虎は、さっと戸をあけ、部屋のなかに入り、ぱたん、と戸を閉じた。


「さ、行こう、古志加。」

「うん……。」


 古志加の目尻には、抑えきれない涙が滲んでいる。後ろ髪を引かれるように、閉じた戸をじっと見てから、花麻呂につきそわれて、歩きだす。


「もう、会えないのかな……。」

「そんな事ないさ。桃生柵もむのふのきの戰が終われば、帰れるんだ。弱気になるな。

 戰場では、オレが守ってやっから。」


 花麻呂は、古志加の癖っ毛の頭をぽんぽん、と叩いた。

 いつもは、


「あたし守られる必要なんてない! 同じ、卯団うのだんの衛士でしょう!」


 と不満を述べる古志加も、この時ばかりは、弱々しく、


「うん……。」


 とだけ、かえした。




   *   *   *




 大川の部屋では、大川が静かに、三虎に、


「あれで良かったのか。」


 と尋ねる。


「良かったも何も……。」


 淡々たんたんと喋る三虎は、ものわかりの良い従者の顔を崩さない。


鎮兵ちんぺいは本来、何年と期限が決まってないものを、桃生柵もむのふのきの戦が終結したらすぐに解放する、という無茶な条件で、オレがあの二人を伯団はくのだんにねじこんだんです。

 戰の途中で解放しろ、などと、横逸おういつ(思うまま勝手を行うこと)はできません。」

「そうだな。」


 大川は苦笑する。

 大川は、良くわかっている。

 だがあえて、三虎に言わせた。

 三虎の心を吐き出させる為に。


「あの二人、みだりに戰場で散ってほしくないな?」


 心から思っていることを三虎につげると、


「大川さまっ……!」


 物わかりの良い従者の面が、やっと割れた。

 三虎は、苦しみと悩みがいりまじった顔で、


「大川さま、オレは、困蹶こんけつ(失敗)したんでしょうか? ……ここに連れてくるんじゃなかった。戰場の桃生柵もむのふのきに、置き去りにするようにして、オレ達だけ奈良に行くことになるなんて……!」


 はげしく、言葉を口にした。

 大川は倚子を立ち、無二の友である三虎のそばへ行き、


「大丈夫さ。また、生きて会える。私が死ぬな、と命令したのだから。」


 と背中を叩いた。


「はい……。ありがとうございます。」


 三虎は、気持ちを入れ替えるように、ふうう……、と長い息を吐いた。




   *   *   *




 翌朝。   


 朝の光に美貌をきらめかせる大川は、出立するおのこのなかで、一番長身である。

 ついで、福耳のみなもと

 三番目に、無表情の三虎が、背が高い。

 その三人と、荷物をふたつの荷車につみ、奈良まで運ぶ下人げにんたち、計十一人の男たちが、桃生柵もむのふのき輝慕門きぼもん(南門)の前にいる。


 すでに、征夷大将軍、大伴おおともの宿禰すくねの駿河麻呂するがまろの挨拶はすんだ。


 ずらり並んだ、見送りの面々を馬上から見廻す大川の目が、真比登をしっかととらえた。

 真比登に笑いかけ、


天離あまざかる、鄙治ひなをさめにと大君おほきみの、けのまにまに、でてし。(※注一)」


 三虎が引き継ぐ。五百足いおたりを見て、


れを送ると、あをによし、奈良山ならやま過ぎて、泉川いずみかわ、清き河原かはらに、馬留うまとどめ。」


 源が続く。嶋成を見て、


「別れし時に、まさきくて、れ帰り来む、たひらけく いはひて待て!」


 大川が、


「勝て!」


 短く激励し、真比登が、


! 道、たひらけくあれ! また会おう!」


 とこたえる。大川は強い眼差しで真比登を見て、


「必ず! ……出立!」


 と号令をかける。







 若大根売わかおおねめは、気丈であった。

 きり、と顔をあげて、五月の陽の光をいっぱいあびて、源を見送った。


(あたしは、佐久良売さまお付きの女官ですもの。取り乱して、みっともない姿は、見せられない。)


 おそらく、そのような強い若大根売わかおおねめを、源は愛しんでいる。


 源は去り際、若大根売わかおおねめを馬上から見て、きらりと笑い、もとどりを指で指し示した。

 若大根売わかおおねめはうなずく。






 昨日、佐久良売さまは、


若大根売わかおおねめ、心配いらないわ。きっと、また会える。信じて待ちましょう。あなたの愛したおのこを。」


 と、若大根売わかおおねめを優しく抱きしめてくださった。


 若大根売わかおおねめは、泣いた。


 

 




 於毛可多能おもかたの  和須礼牟之太波わすれむしだは

 於抱野呂尓おほのろに  多奈婢久君母乎たなびくくもを  

 見都追思努波牟みつつしのはむ(※注二)




面形おもかたの、忘れむしだは、大野おほのろに、たなびくくもを、見つつしのはむ


 あなたの顔を忘れそうな時は、原野にたなびく雲を見ながら、あなたを思い出して偲びます。)






 若大根売わかおおねめが、佐久良売さまに相談し、一緒に考えてもらった返歌である。

 若大根売わかおおねめは、小さい紙に、返歌をしたためた。

 佐久良売さまは、その紙をくるくる巻いて、小指ほどの木筒きづつに納めて、若大根売わかおおねめにくださった。


 その、木筒が、源の髻のなかに、おさまっているのである。







(この見送りを、あなたを見る最後にしない。必ず帰ってきて。迎えにきて。みなもと……!)





 





 古志加は目に涙をいっぱいにためて、悲しみに顔を歪めながら、大川さまと三虎の出立を見送った。


(三虎……、三虎……。イヤ……!

 はなばなれはイヤなの、三虎……。)


 真比登のずっと後ろのほうに立つ、花麻呂と古志加。

 見慣れた濃藍こきあいの衣を目印に、三虎は、古志加をちらりと見た……、かもしれない。

 それが、別れだ。

 古志加は全て見送り、三虎たちが道の遠くに見えなくなったあと、一人木立に駆け出し、


「うああああああ!」


 と泣きに泣いた。

 花麻呂は離れた場所で静かに古志加を見守った。


(可哀想にな。すれ違ってばかりだ。不憫な古志加。

 ……結局、桃生柵もむのふのきで、三虎は、古志加を。)


 簡単に花麻呂にも、三虎にも抱きつく古志加。

 三虎とあんなに抱き合っていても、二人は、さ寝をした仲ではない。

 見ていればわかる。

 手枕たまくらを交わした男女が醸し出す、親密な雰囲気が、二人にはない。


 花麻呂は額にまいた藍色の布に手をやって、一人考えに沈んだ。


上野国かみつけのくにに帰れるか、わからないな。

 いいさ。もとより、古志加のおりをおおせつかった時から、死も覚悟の上だ。)


 遠く空を眺め、


「……莫津左売なづさめ……。」


 美しいおみなの、愛おしい名前を、口にする。


(三虎、頼みました。

 薩人さつひと、うまく渡してくれよ。)


「うああ……、三虎、置いていかないで……。」


 古志加はまだ、泣き止まない。














  ───古志加の章、完───









    *   *   *



(※注一)……万葉集。大伴おほとも家持いえもち。弟の長逝(永眠)を悲しんで作った歌一首より、抜粋。



天離あまざかる)ひな(田舎)を治めにと、大君のおおせのままに都を出てきた私を見送ってくれる。(あをによし)奈良山を過ぎ、泉川の清らかな河原に馬を留め、別れる時だ。

 私は何事もなく無事に帰って来よう。祈って待っていてくれ。



(注二)……万葉集。作者不詳。




 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093081093964151


 著者より。

 古志加の章、完結までおつきあいくださいまして、ありがとうございます。

 古志加の恋愛の決着は、「あらたまの恋 ぬばたまの夢」にて描かれます。(宣伝)


 


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