第八十四話  花麻呂の暗躍

 三虎も口元に笑みを浮かべた。


「ああ、でた。……こいつは猫だ。」

「は?」


 花麻呂はなまろが、かたまった。


「猫だ。見てないか? 佐久良売さくらめさまがたいそう可愛がっていて、桃生柵もむのふのきの庭を時々歩いてる。

 白に、黄色と、土器かわらけ色の毛で、小さくて、珍しくて、見てるだけで可愛いぞ。

 古志加こじかはそれと同じだ。卯団うのだん皆で可愛がってる、猫。」


 三虎は淀みなく、言いきった。

 花麻呂は大きく口を開け、何か言おうとしたが、ぱくっと口を閉じて、


「はあぁぁ……。」


 疲れたように大きなため息をつき、


「とにかく、そいつを頼みますよ……。」


 ふらふらと部屋をでていった。



    *   *   *




(花麻呂のヤツ、変な気をまわしたな。オレはこのような形では、手折ったりしないのに。)


「やれやれ……。」


 寝床に転がされた古志加は、起きる気配がない。

 隙だらけの寝顔。

 昼間は戰場を駆ける兵士として、尖った凛々しさを宿す顔が、今は酒によって頬赤く、まるく清い女らしさのみを残している。







 三虎は、今年の一月、上野国かみつけのくにを離れる前に、花麻呂と交わした会話を思い出す。


 あの頃、まだ傷が癒えきらぬ花麻呂は、杖を使い、足を引きずって歩いていた。

 三虎は、上毛野君かみつけののきみの屋敷、三虎の部屋に、花麻呂を呼びだした。

 

「おまえは古志加をいもにしたいと思っているのか?」


 三虎がそう訊くと、花麻呂は、苦り切った顔で三虎をにらんだ。

 怒り……? のような感情が、目にチラチラと燃えて見えた。


 花麻呂と古志加の仲は親密だ。

 だが恋愛ではない、ように見える。

 見えるのだが、花麻呂はなぜか時々、きまって古志加のことで、三虎につっかかってくる。

 普段、明るく裏表のない笑顔を浮かべる男だが、同時に、三虎にとって良くわからない男であり、直接、訊いて確認する必要があった。


 三虎は、花麻呂から思わぬ逆襲をくらった。


「一衛士えじ卯団うのだんちょうを離れて言わせてもらいますが、それを問うならまず、自分が古志加をどう思ってるか、はっきり言ってからにしてほしい!」

「おまえ!」


(なんて事を!!)


 三虎は目をむき、倚子からのけぞった。


「ううう……。」


 過去の三虎は、うめいた。


(古志加が望むなら、吾妹子あぎもこにしてやっても良い、と思った事はある。

 そしたら、一年に一回、奈良から上野国かみつけのくにに帰国する時に逢う、淑女星しゅくじょせいのような吾妹子あぎもこになるだろう。

 だが、古志加が、何も欲しくない、強くなりたいと言ったから、オレは古志加の手を引く気が失せた。

 しょせん、その程度の熱だ。)


「あああ……。」


(オレの望みは、大川さまに側近くお仕えする事。

 古志加も、己の望みを叶えたら良い。

 古志加が、卯団にいるのも、誰かつまを得るのも、好きにすれば良いと思う。

 これは、いもへ向ける感情なのだろうか?

 父上が言っていた、


 ───失ってはいけないいもはたった一人。


 という気持ちの熱さとは、違う気がする。

 これを花麻呂に言えと?

 死んでもゴメンだ!)


「く……!」


(だが、何も言わなければ、花麻呂もまた胸襟きょうきんを開くまい。

 恥ずかしいが、言うしかあるまい。)


「それをオレに訊くな。言う口はない。

 オレの中に答えがないからだ。

 だがそれでは納得しないだろうな。

 仕方ない。他の誰にも言ったことはないが、たまびの時のことを話してやる。」

 

 と、三虎は重い口を開いた。

 花麻呂は、好奇心を抑えられぬ、という前のめりの姿勢で、たまびの事実を聞き、胸襟きょうきんを開いた。


「わかりました。三虎の答えは出ていないようですね。

 オレの答えは出ていますよ。

 オレは古志加こじかを恋うていない。

 オレが恋うてるおみなは他にいます。」


 三虎が、


(真実か?)


 とさぐるように無言になってしまったら、花麻呂は、


「本当ですよ。」


 と苦笑した……。

 









 あの後、上野国かみつけのくにを離れ、三虎は心が落ち着いた。

 そして、ここ桃生柵もむのふのきで、佐久良売さまと都々自売つつじめさまが猫を可愛がるのを見て、


(これだ!)


 と閃いた。

 古志加は、たった一人のおみなの衛士だ。珍しい。

 たしかに見ていて、可愛い。

 卯団うのだんの皆にも、姉上にも可愛がられている。

 同じだ。


(そうか、オレは古志加を猫のように見ているのか。)


 納得した。


(オレは、古志加を猫のように可愛がりたいのか……。)

















 もし、古志加がこの先。


「三虎を恋うてます。」


 と口にしたのなら。

 三虎は真比登に、


「違うと言ったのは、誤りだった。」


 と言うはめになるだろう。


(でも、そうでなければ。

 オレは、このままで良い。

 このまま、古志加が衛士として手元にいる限りは、猫のように可愛がってやろう。

 それで良い。)


 桃生柵もむのふのき兵舎、三虎に割り当てられた個室の寝床で、よく眠る古志加が口を開いて、寝息をふぅっと吐いた。

 その寝顔は、昼間、命のやり取りをする、酸鼻さんびな戰場を駆け抜けたにしては、ゆるやかな、満ち足りた顔だ。

 うらぶれしかかり、涙にくれていた頃の面影はない。


(良かったな……。)


 自然と三虎の口元に、笑みが広がる。


「望みは叶ったか? 古志加……。」


 そっと、眠る古志加に問いかける。


(オレは、大川さまの傍に。必要とあれば盾に。

 おまえは、衛士として強く。

 この桃生柵もむのふのきから生きて上野国かみつけのくにに帰る事ができれば、おまえと花麻呂の武芸は格段に跳ね上がるだろう。

 日常では望むべくもない、数々の命のやり取り。

 そして、凄まじい強さの真比登から教えをえば、自分でも驚くほど、飛躍的に力が伸びるはずだ……。)


 安らかに眠り続ける、やわらかそうな頬の古志加を見るうちに、ちょっとイタズラをしたくなった。

 佐久良売さまは、猫の喉元を、


「よしよし。」


 と撫で、猫は、ぐるぐる、と喉から不思議な心地よい音を出していた。


(古志加も猫なら、あるいは。)


 三虎は右手を伸ばし、古志加の顎下を指で軽く撫で、


「よしよし。」


 とささやいてみた。


「むにゃむにゃ。」


 古志加は何事かを寝言で言い、大きく、ふーっと寝息を吐いた。

 そしてまた、すやすやと眠りはじめる。


「くっくっく……。」


 三虎は笑い、


(ここまで。)


 と己に宣言し、さっと古志加を抱き上げ、───別に起こしても良い、起きたら自分で歩かせる───迷いない足取りで、女官部屋へ向けて歩きだした。








 冬の冷える簀子すのこ(廊下)を歩き。

 女官部屋の戸を、二回軽く足で蹴って、


「古志加を運んできた。開けろ。」


 と、戸を開けさせる。

 古志加が三虎に抱き上げられてるのを見た女官たちは、


 きゃああああ!


 と悲鳴をあげたが、三虎がギロリと睥睨へいげいし、


「うるさい。酔いつぶれたバカを送ってきただけだ。何もしてない。なにか喋ったおみなは、斬る。」


 と淡々と言ったら、静かになり、誰も目をあわせなくなった。





    *   *   *






 乙卯きのとうの年。(775年)


 ───五月。



「古志加、花麻呂、来い!」


 甘い声質ながら、伯団戍所のはじまで良く響く、大きな声。

 真比登だ。

 戰場帰りではあるが、


(三虎に言われたから。)


「稽古つけてやるぜ! 二人で来い!」


 真比登の宣言に、


 ───おおっ!


 鎮兵たちがどよめく。戰場帰りの疲れきった、淀んだ空気が一気に霧散し、引き締まる。


!」

「よろしくお願いします!」


 古志加も、花麻呂も、綿襖甲めんおうこうは埃と返り血で汚れている。

 しかし目は爛々らんらんと光り、汚れの一欠片もない。

 二人、剣を抜き、前と後ろから真比登に斬りかかる。


「でやぁっ!」


 真比登は旋風のように身体をまわす。

 二合、三合、打ち合い、花麻呂の腹を蹴飛ばし、


「うがっ!」


 剣で防御した古志加の正面、大刀たちを打ち込み、


「……あっ!」


 軽々、二人ともふっ飛ばした。


「あ、りがとうございました!」

「はあ……、ありがとうございました!」

「次! やりたいヤツいるか?」


 みなもとが、嶋成しまなりが、


「やる!」

「お願いします!」


 と大刀たちを抜いた。


「よっし! 来い!」


 真比登は、楽しくて仕方ない、という笑顔で応える。

 源は興奮した笑顔で、嶋成は緊張の顔で真比登に斬りかかる。

 嶋成は一合。

 源は、三合切り結ぶうちに、突きを受けてふっとばされた。


「ありがとうございました!」

「次!」

「お願いします!」


 久自良くじらが顔をこわばらせながら大刀たちを抜き、


「じゃあオレも、たまにはお願いします。」

五百足いおたりか! 来い!」


 五百足いおたりも真比登へ挑む。

 久自良くじらは一合。

 五百足いおたりは、姿勢低く足を狙い、真比登の打ち込みを、うまく力を逃がしながらいなし、真比登と長いつきあいだけあって、良く粘る。


 おおー!


 と鎮兵たちが盛り上がる。

 六、七合を数えたところで、ビシリ!と腕を真比登に打たれ、大刀たちを取り落とした。


「ありがとうございました。」

「次!」


 真比登の、旋風のごとき猛稽古は止まらない。

 古志加は、短い時間で一気にふきでた汗を手布で拭いながら、


「ふーっ。この時間がいつまでも続けば良いな。誰も死なないで、欠ける事なく。」


 と笑顔を隣の花麻呂にむける。

 いてて、と腹をさする花麻呂は、


「そうだな……。」


 と返事をする。


(いつまでも、か。

 古志加は楽しそうだな。何よりだ。

 オレが、上野国かみつけのくににいる手弱女たおやめに逢えるのは、いつになるんだろうな……。)


「花麻呂、ごめんね。」


 古志加が唐突に謝った。


「ん?」

「花麻呂、ずっと、ちょっと元気ない。桃生柵もむのふのきに来る前から。

 皆、心配してた。

 何か悩みがあったんでしょ?

 それなのに、あたしにつきあって、桃生柵もむのふのきに来てくれたようなものなんでしょ?

 つきあわせちゃって、ごめん。」

「はは……、おまえのせいじゃないさ。心配すんな。……本当、誰も死なないで、欠ける事なくいられたら、良いな。」








 しかし、この顔ぶれで一同に稽古をしたのは、これが最後となった。








 

    *   *   *





 著者より。


 三虎と花麻呂の、上野国かみつけのくににおいての会話は、サポーター限定ショート「ひめやも 其の一」の鏡合わせです。

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