第七十六話  瑠璃の腕輪、其の一。

 嶋成は、心から、


「あなたに出会えて、オレは幸せです。

 うらぐわしろ(My sweet baby)、大鍔売おおつばめ。」


 と伝え、若いおみなの顔をじっと見つめた。

 最後の確認をする。


「……本当に、良いんですね?」

「ええ、あなたは、あたしの一夜夫ひとよづまよ。」


 大鍔売おおつばめは、顎に手をあてたまま、顔を真っ赤にし、微笑み、頷いた。


 ならもう、言葉はいらない。


 嶋成はひし、と大鍔売を抱き寄せ、ふくよかな身体を己の腕のなかに閉じ込めた。

 口づけをする。

 まだ舌は入れない。

 でも軽い口づけでもない。

 熱く、しっとりと、吸い付くように、柔らかい唇を喰む。


「ふ。」


 口づけの合間に、呼気をもらした大鍔売が、嶋成の腕のなかで、肩に力をいれた。


(ふふ、可愛い。)


 嶋成は、大鍔売の耳に唇を寄せ、


「オレに任せてください、うらぐわしろ。」


 とささやく。大鍔売は、こく、と頷く。

 簪をとり、首飾りをとり、帯をほどき、朱華はねずいろの衣をほどき、梔子くちなしいろの内衣一枚の姿にさせる。


「綺麗な腕輪ですね。」


 大鍔売は左腕に、緑、黄緑の混じった、雑色ぞうしき瑠璃るり(色ガラス)の腕輪をしている。


「ええ。気に入ってるのよ。この腕輪は外さないでおきます。このさ寝の思い出に。」


 嶋成は頷き、紅絹色もみいろの衣をほどき、犢鼻たふさきふんどし)一つの姿になった。

 嶋成は、おのこの平均からみると、小柄なほうだ。

 昔は、けっこうポヨポヨとした体型だったんだが、今はそれなりに引き締まっている。お腹には、まだ、富貴の名残りである、ポヨと柔らかい部分が残っている。

 大鍔売が息を呑んだ。


「傷だらけ……。」

「そうですね。」


 手足、あちこちに傷がある。すべて、桃生柵もむのふのきに来てからできた傷だ。

 左脇腹には、虫麻呂むしまろと対峙した時にできた傷がある。

 大鍔売が突然、ぽろぽろと泣きだした。



   *   *   *




 人は、簡単に黄泉渡りをする。

 それを、大鍔売は、桃生柵もむのふのきに来て、いやというほど、思い知った。

 人は血を流しすぎても、大きな傷が回復しなくても、死ぬのだ。

 もし、嶋成が死んでしまったら。



(いや、いや! そんなの絶対、耐えられない!)






 ───大鍔売。ここは戰場。嶋成だって、いつ死ぬかわからないのよ? もしかしたら、明日はもう、生きて帰ってこないかもしれない。

 それを忘れないでね。






 そう言った佐久良売さまの言葉が蘇り、言葉の意味が沁みた。

 あたしは大粒の涙をこぼしながら、


「死なないで……。どうか死なないで、戰場にでても、命を落とさず、帰ってきてください。お願いです。」


 と嶋成に懇願した。









 やっぱり、この行為は正しい。



 母刀自に知れたら、あたしは頬を叩かれる程度ではすまないだろう。

 娘の思ってもみない裏切りに、母刀自はどんなに驚き、嘆き悲しむだろう……。




 それでも、嶋成に身を捧げることが、汚れた行為とは思えない。




 むしろ、清い行為だと思える。




 もし、一夜も共に過ごさないまま、嶋成が明日にでも黄泉渡りしてしまったら、あたしは後悔してもしきれない。




 あたしは今宵、吾念君あがおもふきみに、あたしを全て、捧げるのだ。




    *   *   *




(なんて愛おしいんだ……。)


 嶋成は、愛おしさがこみあげて、心臓しんのぞうがぎゅーっと苦しくなるくらいだった。


(オレが死なないように願い、泣いてくれるんだな。大鍔売。)


「死なない。必ず、生きて帰ります。あなたのもとへ。」


 大きな決意が、心に生まれたのを感じた。


(オレは死ぬわけにいかない。何があっても。大鍔売の為に!)


 新しい強い力が、身体から湧き出るのを感じる。


「嶋成、必ずですよ。」

。」


 嶋成は大鍔売の涙を指でふき、


「もう、泣かないでください。泣く必要はありませんから。」


 と大鍔売を寝床にいざなう。

 寝床で梔子くちなしいろの内衣をほどく。

 身につけるは、左腕につけた雑色ぞうしき瑠璃るりの腕輪のみとなる。


(やっぱり、ふくよかで好みの体型をしている。可愛いなあ。うらぐはしろ。)


 若い乳房は、丸く大きさを誇りながら、ツンと上を向いている。

 まろやかな肩。ふっくらしたお腹。柔らかそうな太もも。

 たっぷり大きいお尻。

 郎女いらつめらしい、綺麗な肌。


(きっと、肌もすべすべに違いない。)


 そっ、と丸い乳房に触れてみた。


「ん。」


 ぴくん、と大鍔売が震える。

 触れるだけ。まだ揉んだりしない。

 肌の感触を確かめるだけ……。


(やっぱりすべすべだ。)


 嶋成は嬉しくなって、ニヤニヤ笑ってしまう。


(……おや?)


 ふと、ある事が気になり、嶋成は首をかしげた。


「……何してるんです?」




   *   *   *




 嶋成が、不思議そうにあたしを見た。

 あたしは、気になる大きな顎を右手で隠してる。

 はだかにされても、一番隠したい場所はここだ。

 この顎には苦しめられてきた。

 この顎がもっと小ぶりで、形良いものであったら、あたしは美女だったはずなのだ……。


「……あまり、見ないで。」

「それは、顎を?」

「そう。」

「あはははは!」


 嶋成は明るく大笑いをした。


「しっ、失礼よ!」

「あはは、すみません。気になりますか?」


 あたしはむくれて、ぷいっとそっぽを向いた。

 答える気にもならない。


(あたしが異様に顎が目立つ顔立ちなのは、見ればわかるでしょうに。聞かれるまでもない事よ。失礼だわ……。)


「大鍔売、オレはまったく気になりませんよ? さあ、オレにうらぐわしろの顔を見せてください。」


(本当に?)


 と思いつつ、まだ不機嫌に唇を尖らせたまま、あたしは顎から手をはずした。

 嶋成はあたしの顎に手をのばし、その輪郭をそっとなでた。


「この顎も、気にならないどころか、可愛いですよ。」


 大鍔売は、息を呑んだ。


「この顎も、可愛い……?」

「ええ、そうです。」

「悪目立ちする顎だわ。」

「いいえ、可愛いです。」

「女官仲間からも、顎が残念ですわね、と言われたわ。」

「言いたい奴には言わせておけば良いんです。オレは、残念とは思いません。」

「自分でも、この顎がもっと形が良ければって、鏡を見ると思うわ。」

「そこまで言うと、この顎が可哀想ですよ。可愛い顎です。」

「お父さまも、影で、あたしのことを醜いって言ってたわ。」

「醜くありません! あなたは可愛いです。」

「広瀬さまだって、なんだその顎はって……!」


 もう、駄目だ。

 あたしは、がばっと起き上がり、


「わああ……っ!」


 泣き出してしまった。


「わああああん! わああん!」


 嶋成は、あたしを優しく抱き寄せてくれた。


「大鍔売、オレはあなたの全てが可愛い。あなたの中身が、素晴らしい、愛情深いおみなだからです。

 あなたは、その顎を気にする必要は、微塵もありません。あなたは可愛いおみなです。」

「わああ……!」






 あたしは、嶋成の肩で、思いきり、泣いた。






 嶋成は、あたしの気がすむまで、ずっとあたしを抱きしめてくれた。





 優しい人。


  



 あなたに恋をして、良かった。



 










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