第七十三話  さねてやらさね、其のニ

 容姿端麗な佐久良売さくらめさまは微笑しつつ、大鍔売おおつばめからふっと目をそらし、机に目をおとした。

 机の上に置かれた、土師器はじきつき繊手せんしゅをのばし、白湯さゆをゆっくり、優雅に口に含む。


 透き通る白い肌。麗しい微笑みに、何の感情であろうか、少しの影が落ちた。


 輝きを放つ美貌に、複雑に揺蕩たゆたう暗い色彩が添えられ、おみなである大鍔売から見ても、息をのむほど美しい。


「……時に娘子をとめ(※注一)あり。

 その娘子をとめは、豪族の娘でした。

 まったく好きではなかったおのこと、家柄が良いから、と、率寝ゐね(※注ニ)したそうよ。

 そしたらね……。まったく、気持ちよくなくて、娘子をとめ辟易へきえきしたの。

 おのこは身分は高くとも、心は卑しい、ひどい男で、娘子をとめを騙していました。

 娘子をとめおのこのもとを去りました。」

「まあ……。」


 いきなり何かの話が始まった。


(何かしら?)


 と大鍔売はパチパチまばたきするが、佐久良売さまの話は、聴くしかない。


(それにしても、酷い話ね。)




   *   *   *




 佐久良売は、言葉をつむぐ。

 この年若いおみなが、後悔をしないように、教えてあげたいからだ。


娘子をとめは、何年もしてから、疱瘡もがさがあるおのこと知り合いました。

 そのおのこは、本当の身分をいつわり、戯奴わけを装って、娘子をとめと接しました。」

「その男も酷いですわ。」

「そうよね?」


 佐久良売の眉根に、つい力が入る。


真比登まひとが実は、部下に自分の名前を名乗らせて、あたくしとの縁談の席につかせたなんて言ったら、大鍔売は腰を抜かすわね。

 まったく、このあたくしに偽者と縁談させるなんて、失礼極まりないわ!)


「当然、偽りはばれました。娘子をとめは怒りましたが、許し、そのおのこつまにすることにしました。」

「ええっ?」

「驚くわよね?」


(無理もないわ。)


 ふふっ、と佐久良売は笑う。


「そのおのこは、勇敢で、娘子をとめの危機を救っただけでなく、誠実で、心が清く、娘子をとめが愛するにふさわしい益荒男ますらおだったからです。

 また、その益荒男ますらおも、真実、娘子を愛したからです。」


(そう、今ではすっかり許してる。

 だって真比登は愛しいもの……。)


「それでね、ここからが肝心なのだけど……。

 益荒男ますらおとさ寝したら、娘子をとめは、今までと比べ物にならないくらい、気持ち良かったの。

 その娘子と益荒男は、真実、いも愛子夫いとこせで、心から愛し合っていたからよ。

 それと同時に、娘子は、後悔したの。

 なぜ、うてもないおのこと、過去、率寝ゐねをしてしまったのだろう、と。

 益荒男に、清い自分をあげたかった。

 なぜ、この身を汚してしまったのだろう、と。」













 佐久良売は思い出す。

 真比登の手枕たまくらで、至近の距離から、



「佐久良売さま、平城京の采女うねめ時代に、ずいぶんな数、たふとき男達に言い寄られたと噂で聞いた事があります。

 こういう事は訊かないほうが良いのかもしれませんが、その……、今まで何人くらいと……。」



 と、言いづらそうに訊かれた事がある。

 その時の真比登の目には、濁りのない切ない色があって、佐久良売は悲しさがこみ上げた。



 ───あなたよ。

 あなたが初めてで、あたくしのたった一人のおのこなの。



 そう言えたら、どんなに良かっただろう。

 佐久良売は過去の自分の行いを恥じた。



「そう、あなたが初めてでは、ないわね。

 でも、忘れました。

 あたくしが過去、相手にしたおのこは、家柄の申し分のないおのこでしたが、中身は最低のおのこでした。

 あたくしは、騙されたの。

 あれは気の迷いだったのよ。

 もう、名前も顔も、思い出すこともありません。

 あたくしには、あなただけよ、真比登。

 あたくしの愛子夫いとこせ

 あなたの逞しい身体は、あたくしを酔わせるわ。

 あたくしの身体も心も、あなたのものよ……。」



 そう、真比登に閨で告げたのだった。








   *   *   *





 大鍔売は、きっとこれは、佐久良売さまの本当のことなのだろう、と思った。


(そんなに、つまを深く愛してらっしゃるなんて……。

 本当のいも愛子夫いとこせなのね。

 以前、佐久良売さまのつまを醜い疱瘡もがさ持ち、と冒涜ぼうとくした時は、佐久良売さまの激昂に、なんでこんなに怒るの? と思ったけれど、今思い返すと、当然だわ。

 あたしはなんて酷い事を言ってしまったのだろう。)


 あたしは項垂うなだれ、


「佐久良売さま、あたし、以前、佐久良売さまのつまに、許されない言葉を言いました。お許しください。」


 と謝罪をした。


「もう、とっくに許した事ですわ。

 それに、これは、どこぞの娘子をとめの話ですから、ね。」


 佐久良売さまは、大人の落ち着きを持って、笑ってくださった。


「大鍔売。そこまで嶋成を恋うているなら、己を捧げなさい。

 それは、身を汚すことではありません。

 ……そうねぇ、いつかこの先、家の定めたおのこと婚姻する時がきたら、初めてではないってばれるでしょうけど、良いじゃない。桃生柵もむのふのきで大川さまのお手つきになったと匂わせておけば。」


 あたしは、ぎょっとして、


「そんな事言えるわけがありません!」


 と大きな声を出した。


「……あぁ、大川さまのお手つきだと、権益がからんで、まわりがうるさいわね。

 じゃあ、大川さまの従者あたりに手をつけられたって言っておけば良いのよ。ほほほ。」




     *   *   *



 その頃。


 湯屋で衣を脱いだ副将軍、大川が、


「へくしゅっ。」


 とくしゃみをした。従者の三虎が、


「おや、いけません。早く湯船に浸かってください……へあっくしゅ!」


 続けてくしゃみをした。




   *   *   *



(ええ───っ? 何を言ってるのこの人……。)


 大鍔売は、のんきにとんでもない事をいう年上の郎女いらつめを困って見た。


「さっ、佐久良売さま……。」

「良いのよ、桃生柵もむのふのきで起こった出来事なんて、上野国かみつけのくににいる人たちにはうかがい知れないわよ。」

「でももし、緑兒みどりこ(赤ちゃん)でも……。」

「ほほ、すぐにできるとも限りませんわ。もし、できたら……。あたくしのもとに逃げていらっしゃい。」

「え?!」

「あなたと緑兒みどりこ、二人でも、緑兒だけでも、あたくしがかくまいます。」

「どうしてそこまで……。」

「ほほ、あたくしは自分の言葉に責任を持ちます。」


 佐久良売さまが、大鍔売の手を握った。


「大鍔売。ここは戰場。嶋成さまだって、いつ死ぬかわからないのよ? もしかしたら、明日はもう、生きて帰ってこないかもしれない。

 それを忘れないでね。」




   *   *   *



 若大根売わかおおねめの土器土器日記。


 お姉さまへ。


 大きい女官、古志加こじかが、上野国かみつけのくに衛士えじは皆、遊浮島うかれうきしまに行ってるって教えてくれました。

 おのこは皆ケダモノなのでしょうか。

 みなもともそうなのでしょうか。


 はあ……。


 源に聞いてみたくもあるし、聞きたくないような気もします。


 源は、いつになったら、あたしをいもと呼んでくれるのでしょうか。


 ももも、もし。

 もし源が、今夜は朝まで一緒に過ごしたいって言ってきたら、あたし、覚悟はできてますのに。


 きゃ──────っ!


 言っちゃった。


 はあ……。


 源は、とっても優しくて、一緒にいると、手を握ったり、別れる間際に、口づけをくれたりしますが、それ以上はせまってきません。

 

 それでも源もケダモノなのでしょうか……。


 大鍔売ですが、嶋成さまに、遊浮島うかれうきしまに行ったことがあるか質問したそうです。

 結果は、有り。

 大鍔売は驚きのあまり、張り手をしたそうです。


 あたしも源が有りと言ったら、大鍔売と同じことをしてしまいそう。

 この質問は、しないでおくのが賢明ですね。


 佐久良売さまは大鍔売に、さ寝てやらさね、とおすすめになり、


 ───嶋成さまだって、いつ死ぬかわからないのよ? 


 とお告げになりました。その際、佐久良売さま、うっかり、、と言ってしまったんです!

 嶋成さまが、本当は大国おおくにのみやつこの息子で貴族であることは、大鍔売には秘密なのに!


 あたしは叫びそうになりましたが、ふんぐ! と顔面に気合を入れることで、奇声を発することを阻止そししました。


 幸い、佐久良売さまも大鍔売も気がつかなかったようです。


 ふ───っ、危ないところでしたわ。


 さあ、明日は、上手くいけば、大鍔売の良い報告ができますわよ。

 ふふふふ、たぁーのしみ───っ!!





 若大根売わかおおねめより。







   *   *   *





(※注一)娘子をとめ……ここでは、娘、乙女、それだけの意味。

 ちなみに、郎女いらつめは身分あるお嬢様のこと。


(※注ニ)さ寝……男女が素晴らしい夜を過ごすこと。

 率寝ゐね……さ寝ほどは素晴らしくない夜のこと。共寝ともねの田舎言葉。

   




   

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