第七十一話  うたてこの頃

 屋前やどの  毛桃けももの下に


 月夜つくよさし


 下心したごころし  うたてこの頃







 吾屋前之あがやどの  毛桃之下尓けもものしたに

 月夜指つくよさし

 下心吉したごころよし  菟楯項者うたてこのごろ







 オレが宿やどる庭先の、毛桃の木の下に立ち、月の光がさすのを見上げていると、オレが心の下に秘めた想いも、なんとも心地よく、良きものと感じられるのです。

 いっそう想いを強くするこの頃です。







 ※毛桃けもも……中国から渡ってきた。ピンポン玉くらいのサイズの桃。実は硬め、酸味が強い。香りは、きちんと桃の香りだそう。

 

 ※うたて……いっそう、はなはだしく。






    万葉集  作者不詳





      *   *   *






 あの(※注一)は、可愛いんだよ。


 はじめは、こっちを見下してきて、可愛くないおみなだって思った。


 でも、違った。


 本当は、すごく可愛いだったんだよ。


 大きな瞳。しっとり水気のある桃色の唇。

 魅力的なふくよかな身体つき。

 顎だって、今は気にならない。


 毎日、オレのところに来て、話をして帰るんだ。

 初めの頃は、毎日、必ず品物を持ってきてくれて。

 オレは有頂天になったけど、すぐに、心配になった。

 この、豪族の娘ではあるけど、ここは遠く桃生柵もむのふのき。気軽に生家から品物を追加で送ってもらえるのではないだろうに……。


 でもある時、


 ───明日からは、何も持たないで、ここに、同じ時刻に来ます。

 よろしくて?


 と恥ずかしそうに頬を染めながら言うので、もう品物は持ってこなくなるんだな、と安心しつつも、その表情の可愛さに、オレはもう胸がぎゅーっと! ぎゅーっと苦しいくらいだった。


 ───もちろんですよ!


 そう伝えたら、


 ───良かったわ。


 と嬉しそうに微笑んで、


 ───今日は、あたし、握り飯を作ったの。よろしかったら、召し上がって。


 と、大きな塩握り飯を渡してくれた。

 すぐに、大岩に腰掛けて食べた。

 ただのあわひえと、少しの白米、塩だけの味付け。それでも、格別な味だった。

 美味しかった。

 どんな、ぜいをこらした食事よりも。


 ───美味しい。こんな美味しい握り飯は初めてです。

 これは、塩以外に、何か使ってるのですか?


 と聞いたら、違う、とくすくす笑っていた。

 あの時は、ずっと笑っていて、


 ……ああ、良い笑顔だな。可愛いな。


 と、オレは長らく、あのの顔に見惚れてしまった。




 いろんな事を話したよ。


 医務室の仕事は、過酷だけど、負傷兵からお礼を言ってもらうと、それが嬉しくて、励みになる。


 佐久良売さまに言われた通り、常に足を動かして、率先して医師の手伝いをしている事。


 佐久良売さまに、


 ───良くがんばってるわね。


 と褒めてもらえたこと。


 両親から愛されているけど、期待も一身に背負っていること。

 車持君くるまもちのきみの名にふさわしい女官になれるよう、いろいろな教養を身につけたこと。

 刺繍は得意。

 舞にも自信がある。

 琵琶は、一番努力はしたけど、腕前はそこそこ……。


 食べ物は毛桃けももが好き。

 毛桃だけは、お腹がパンパンになるまで、いくらでも食べてしまうそうだ。




 ただ、上毛野君かみつけののきみの屋敷では、何かあったようで、どうして一人、桃生柵もむのふのきに来たのかは、口を閉ざして、言おうとはしなかった。




 オレは気がついたよ。


 佐久良売さまもそうだけど、あのは、動き方が、いつもしとやかなんだ。領巾ひれを引く動作一つとっても、優雅だ。


 牡鹿おしかにいるおみなたちは、どうだったろう?

 舞が得意な女もいたから、たしかに動き方は女らしい動作だった。

 でも、佐久良売さまや、この児に感じるような品の良さは、感じなかった。

 何なんだろう。

 何が違うんだろうな?

 とにかく、大鍔売おおつばめは、違うんだ。

 郎女いらつめなんだ。



 そして、その淑やかさは、努力して身につけたものなんだ。



 大鍔売おおつばめだけじゃない。

 きっと、牡鹿おしかにいたおみなたちも、女らしくある為に、努力してたんだろう。


 オレは、おみなたちの、そんな努力なんて、目をむけようとしてこなかった。



 そりゃあ、銭目当てでオレにすり寄ってきた牡鹿おしかおみなたち、刺繍とか、心のこもった贈り物をくれないわけだよ。

 オレが、何も見てなかったんだから。




 大鍔売だけが、オレに、心のこもった贈り物をくれた。




 オレの為に刺繍してくれた望陀布もうだぬの

 オレの為に握ってくれた握り飯!


 可愛い笑顔とともに……。


 あのは、話をする時、オレのことを微笑みながら、見つめてくれるんだ。

 その目には、オレを邪険にしたり、蔑んだりする色はない。

 とても好意的に見てくれている、と思う。

 なんなら尊敬……。


 尊敬だって!

 自分で言うのはアレだな、うん。


 ともかくだ。

 あのは、ただの、鎮兵である道嶋嶋成を見てくれてるんだ。

 オレが、道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりだって、本当は貴族だって知らないんだ。

 その上で、オレを好意的に見てくれて、微笑んでくれて、毎日、オレのところにきて、短い話をして帰るんだ。


 それが、もう、一月以上……、あとすこししたら、二ヶ月、続いてる事になる。


 信じられないなぁ。

 信じられないよね?




 ……オレの事、恋うてるのかな?


 恋?


 恋しちゃってるの? オレに?


 オレも恋うてます!


 タハ──────ッ!

 タハハ──────ッ!


 まいっちゃうね。

 春。春なのかなあ。






 おほん。



 オレは時々、こうやって舞い上がってしまうのだけど、でもさ、あのは、普通に話をするだけで、何も、それ以上のことは匂わせたりしない。

 おそらく、あの児がオレのことを憎からず想っていたとしても、あの児は、何も言わず、何も行動を起こさないだろう。



 名家の娘は、親の言いつけに従って婚姻するものだから。

 慎み深いのだろう。

 きっとオレが、男女の適切な距離をつめたり、男女のことを匂わせるような事を言ったら、衝撃を受けて、すぐに逃げ、もう、オレに会いに伯団戍所へ来ないだろう。


 


 ただ、毎日、短い話をする、友人。


 それが実際の、二人の関係だ。




 …………これで良いのかなあ。



 そうも思うが、オレは、大鍔売を大切にしたいんだ。ひな鳥を真綿でくるむように、ちょっとも傷つかないように、大切に大切にしてあげたいんだ。


 過去、井戸に身投げを試みるほど、追い詰められた事のある、あの児。

 今だって、医務室で過酷な仕事をし続ける、あの児。



「オレは、あのを、これ以上傷ついたりしないように、守ってやりたいんだ。」


 そう言ったら、真比登が、


「わかる。大鍔売がいる桃生柵もむのふのき、間違っても賊奴ぞくとの手に落ちるような事は、あってはならないな?

 オレたちが、守るんだ。

 そう思うと、戰場でもっと強くなれるぞ。」


 と嬉しそうに笑って、ばしばし、二回、肩を叩いてくれた。

 源と久自良も、


!」


 と短く同意し、ばしばし、背中を叩いてくれた。


 オレはますます、戰場で戰う気合が入ったよ。






 今、なんだか、とても心地よいんだ。


 毎日、戰場で鎮兵ちんぺいの仕事をやりげ、伯団はくのだん戍所じゅしょに帰ってくると、間もなく、あの児が、オレに会いに来てくれるんだ。


 それが、楽しみなんだ。






 どうしよう。


 いつ言おうかな。






 桃の木に、ちらほら、花が咲きはじめている。

 まだ毛桃けももは実っていない。


 桃の木に、毛桃けももが実ったら。

 桃の木の下ではじめて手を握って。

 オレは本当は道嶋宿禰嶋成みちしまのすくねのしまなりだと。

 オレの妻になって欲しい、と。


 ───伝えたい。







     *   *   *






 

(※注一)万葉集では、愛しい女性、恋人のことを、かなしけろ、と呼んだりします。

 この場合のは、児童、幼い子ではありません。

 児の、は、田舎言葉、あづま言葉(東国方言)です。




   

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