第六十八話  土いじりは楽しいのだと言う

 あの人は、特別な人なの。


 無欲で。


 謎めいていて。


 海のような深い優しさと、熱い心を内に秘めた、素敵な人。


 あの人と話をしてると、楽しい。


 あたしの話をにこにこ微笑みながら、聞いてくれるから。


 時々面白い顔をして、笑わせてくれたりするの。すごくひょうきんな人。


 あたしは毎日、あの人に会いにいくの。


 医務室の辛い仕事も、あの人の顔を思い出せば、頑張れる。


 この仕事を終えたら、あの人に会える。

 あたしがこれだけ頑張ってることを、あの人に話せる。


 そう思うと、不思議と、どんな辛い仕事でも、力が湧いてきた。



 あの人と会うと、あたしはせきを切ったように、その日あったことを話し出す。

 あの人は、あたしの話に黙って耳を澄まし、あたしが話し終えたら、


 ───えらいですね。


 と、温かい笑顔を向けてくれる。


 もちろん、あの人の話も、あたしは聞く。

 あの人のいさお

 軍監殿ぐんげんどのがどんなに強いか。

 あの人の仲間たちがどんなに頼りになるか。

 古志加はおみななのに、戰場で活躍してるとか。


 それだけじゃない。


 あの人は、父親と喧嘩中で。

 一人の友人と、仲違なかたがいしたまま、桃生柵もむのふのきに来たことが心残りで。

 焼き魚が、とくに堅魚かつおが好きで。

 土いじりが好き───。




 ただの富民とみん(金持ちの郷人)なのかしら?

 それにしては、望陀布もうだぬのを言い当てたり、なつめを知っていたり、謎に満ちている。


 でも、話してみれば、中身は飾らない人………。

 

 


 

 会えない昼間は、あの人の面影を思い出し。

 あの人と会うと楽しくて、あっという間に時間がすぎ。

 別れ際には、早くも、明日も会いたいと思ってしまう。


 つまりあたしは、ずっとあの人の事を考えてしまっている───。





 嶋成。


 嶋成。


 道嶋みちしまの嶋成しまなり


 あたしの特別な人………。

 



     *   *   *




 夜。


 務めを終えた大鍔売が、与えられた女官部屋にむけて歩いていると、濃藍こきあい衣の古志加と、頭に藍色の布を巻いた花麻呂に、道ででくわした。


 大鍔売は、どうもこの二人を見ると、照れてしまう。

 一緒に歩いている距離が、男女なのに、妙に近いのだ。

 でも、古志加も花麻呂も、やましさは皆無で、


「あ、大鍔売!」


 古志加は、花麻呂と近い距離で歩いていたのを見られても、まったく気にせず、明るく笑って、ぴらぴら、と手をふる。

 背が高く、顔立ちも秀でた花麻呂は、にこり、と爽やかに笑って、軽く頭をさげる。

 こちらも、堂々としている。


(ただの女官だったら、もっと離れて歩くよう注意するけど、古志加は兵士としての顔もある。あたしがとやかく言うのも、きっと違うのよね……。)


 向かう場所は一緒なので、三人で歩きはじめる。

 あたしは、誰かに訊いてみたい、と思っていた事を口にする。


「ねえ、古志加。あなた、土いじりって好き?」


 あたしは、畑仕事をした事がない。


 きっと、佐久良売さまや、若大根売わかおおねめもそうだろう。


「うー? 好き?」


 古志加は頭をひねった。


「あのねえ、好きでも嫌いでもないよ。植えなければ実らないから。掘らなければ宇母うも(サトイモ)が食べれないから。だから土いじりするだけだよ。」

「そう、楽しくはないの?」

「そうだねえ……。」


 古志加はなぜかうつむいた。


「辛い事があったら、土いじりするかな。そういう時は、黙々と土を触ってると、落ち着くかもしれない。」


 花麻呂が古志加を見下ろしながら、


「そういう事を言いたいんじゃないだろ、古志加。

 土いじり、作物を育てるのは楽しいさ。こっちが丹念に世話をしてやると、作物はきちんと答えてくれる。自分で育てた野菜の味は、格別さ。」


 と言った。古志加は、


「そうだね。」


 と頷き、花麻呂と直接話すのに抵抗があるあたしは───だって上毛野君かみつけののきみの屋敷では、女官と衛士えじは軽々しく会話しないものだ───古志加に話をする形を装い、


「あたしにも、土いじりってできるかしら?」


 と訊いてみた。古志加が、


「そりゃあ、できるよ! 誰でもできるよ。」


 と明るく言い、隣の花麻呂も、にっこり笑いながら、頷いた。


「教えてくれてありがとう。」


 あたしは古志加を見、花麻呂もちらっと見ながら、お礼を言った。



   *   *   *




 もちろん、訊いてみただけだ。


 あたしは、医務室で、医師の手伝いだけで、いっぱいいっぱいだ。


 そもそも、上級女官は、畑仕事をしたりはしない。


 でも、嶋成は、土いじりは楽しいのだと言う。



 ───久自良くじらの妻が、スズナ(カブ)の種をたくさん送ってくれたんです。

 兵舎のそばの土地をちょっと拝借して、それを仲間と植えました。

 芽吹くのが楽しみです!

 そんなに手はかけられないけど、もし、美味しいスズナができたら、大鍔売にも食べさせてあげますね。



 そう言って、楽しそうに笑った、可愛い鷲鼻の人。


 きっと、同じ笑顔で、黙々と土いじりをするのだろうな。










 あたしも。



 その隣で。



 二人で、土いじりができたら、良いな。



 嶋成は、


 ───ほら、楽しいでしょう? 


 とあたしに言って、あたしは手を土で汚しながら、笑って、


 ───本当ね!


 と答えるんだわ。






  







「愚かなことを……。」


 あたしは一人、女官部屋の寝床に横になり、暗い天井を見上げながら、自嘲してつぶやいた。


(そんな日は来ない。何を愚かな想像をしているの?)


 もちろん、ちょっと想像してみただけ。

 それだけだ。


 車持君くるまもちのきみの娘であるあたしに、そのような日はこない。


 

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