第六十七話 幸福な空中飛行
「
お父さまが奈良から取り寄せたもので、もとは、遠く海を渡り、唐から運んできたものなんですって。
あなたは見たことはないでしょうけど……。」
ともったいぶって、ふりふり、豊かな腹をゆすりながら、大鍔売は、干した
(大鍔売、可愛いなあ!)
「棗ですね。唐では仙人の食べ物とされてるとか。ありがとうざいます。」
大鍔売は悔しそうに、
「もうっ、なんでわかるの?! あってるけど! あなたって本当に何者なの?」
とむくれる。嶋成は、にやけ顔で、
「いやあ、ははは、ただの
と手布で汗をぬぐう。
通りすがりの鎮兵たちが、無言ながらも、
───ちっ。
───充実野郎め。
荒んだ目で何かを物語っているが、嶋成は気にしない。
(だって、春! オレにも春が来たんだよ! オーレの春ぅ───!)
「あら、差し上げた手布は使ってくれませんの?」
大鍔売が残念そうに、すこし下をむいて、上目遣いをする。
(可愛いなあ、もう!)
「持ってます! ちゃんと持ってますけど、これを使うのはもったいなくて……。」
と嶋成は、
「オレ、こんな心のこもった贈り物をもらったのは、初めてです。この刺繍の、ひとさし、ひとさし、オレの為に縫ってくれたんですよね? オレのお守りみたいなものです。」
身分ある
嶋成は
嶋成は、この立派な刺繍を指でそっとなぞると、幸せな気持ちになる……。
大鍔売がにっこりと、嬉しそうに微笑んだ。もう顎の大きさなんて、まったく気にならない。
(笑顔が可愛い……。)
「持っててくれてるんですね。嬉しいですわ。ねえ、嶋成は、
「そうです。
「ふうん。もう妻はいらっしゃるの?」
「いません。」
「じゃあ、
「いないです。オレはただの鎮兵ですから!
でも、一般の
鎮兵は食うに困らないが、さすがに吾妹子はやりすぎだ……。
もっとも、本来の嶋成の身分なら、何人でも持てるが、嶋成は、妻も
群がってくる
「だって、あなたって、何か怪しいんですもの!
大鍔売は唇をとんがらせ、不満げな顔をしてみせる。でも、すぐに口元をゆるめ、
「じゃあ、恋してる
と不安そうに訊いてきた。
嶋成は妙に胸が高鳴るのを感じながら、
「い、いないよ。」
と答える。
「ふ、ふうん……。」
と大鍔売はもじもじ、ふくよかな身体を揺すって、
「訊いてみただけだからっ! それだけだからっ! たたら濃き日をや(さよなら)。」
と逃げるように駆け去っていってしまった。嶋成がにやけ顔のままその後ろ姿を見送ると、
「嶋成───!」
「おう嶋成───!」
近くにいた鎮兵が、
ばしっ!
ばしっ!!
と嶋成の背中に強めの気合を入れていく。
「良い雰囲気じゃないか!」
「うべなうべな!」
と、ばしばし、嶋成の肩をたたき、頭をたたく。
「ははははは、痛ぇよ!」
と、嶋成は、失くさないうちに、珍果である棗を口にいれる。
甘い。複雑な滋味。大和ではみられない、刺激的な香りがする。
大鍔売からもらった棗を食べたからには、もういくらでも戰場で戦える気がする。
「応援してるぜ!」
花麻呂の気合が背中に炸裂し、
「うごっ!」
嶋成は棗が喉につまり、うめいた。
「何すんだこの野郎!」
ぷんぷん怒った嶋成に、
───ははははは。
まわりの鎮兵が、どっと笑う。古志加は、嶋成に気合はいれないものの、にこにこと笑っている。
* * *
翌日。
大鍔売は、また伯団戍所にきて、
「二枚あれば、一枚は使う気になるでしょう? 布の質も良いものですから、使っていただきたいですわ。」
と、すこし目の下にくまを作りながら、もじもじして言う。
「もったいないことです。ありがとうございます。
あの……、でも、もらいすぎです。」
「良いのよ。だって、あたしは命を助けてもらったんだもの。でも、悪いって思うなら、すこしあたしの話につきあいなさい。」
つん、と三日月顎をそらし、大鍔売がそう言ったので、嶋成は、広場のはじ、いつも嶋成たちが座るのに使っている岩のところへ、大鍔売を案内する。
人の目はしっかり届く。
人気のないところで、二人で会うのでもないし、並んで座ることもしない。
男女の適切な距離をあけて、座る。
大鍔売は、未婚の、身分ある
「あの……、あたし、医務室の仕事は、慣れないことばかりなの。今日は、傷口が腐った兵士の足を切り落とすのに、兵士を抑えて……。」
うっ、と大鍔売は口をおさえた。
「そのことに、もう、とやかく言うつもりはありません。佐久良売さまは、そんな恐ろしい仕事も、
ねえ、あなた前に、ここは自由な場所だって言ったわよね?
もう少し、そのことをあたしに聞かせて?」
(まだ若い
……命を危険にさらす戰場に、毎日立つオレが言えたことではないか。)
「ええ、オレは、昔、そうとうバカなことをやってました。
そんな自分を変えたくて、オレは鎮兵となりました。
いろんな経験をし、仲間に、友に恵まれ、オレはここで、なんだろう……、うまく言えないんですが……。」
嶋成はぽりぽり、頭をかき、
「オレは、オレらしさを見つけました。
だからきっと、あなたも、ここで何かを見つけられると思うんです。頑張ってください。」
「何か?」
「そうです。」
「生まれ変われるような?」
「そう。……生まれ変われるかは、自分の、ここ次第ですが。」
嶋成は、とん、と自分の胸をたたいて、良い話にふさわしい、男らしい笑顔を作った。
遠くで、
「うっ。」
「バカ、静かにしろ。」
「しーっ!」
と、ざわついた気配がした。
きょとん、と嶋成の顔を見た大鍔売は、
「ほほほほ、嶋成ったらおもしろーい! わざと? わざとなのね?」
と、ころころ笑った。
* * *
大鍔売は、涙が滲むほど笑った。
(なんなのかしら。この面白い顔。持ち芸ね!)
「笑ったら、なんだかスッキリしました。うふふ……、あたし、あなたのそんな顔も好きだわ。」
眼の前の嶋成が、はっ、と息をつめた。
「あっ、違う!」
(やだっ、思わず言っちゃった!
好きと恋は違う。
好き、は食べ物が好き、友達が好き、広く使う。
恋は、男女の仲にしか使わない。
(だから、まだ、恋したって言ったことにはならないんだから!)
「今のは、違うんだから!」
* * *
大鍔売は、さっと腰掛けていた岩から立ち、真っ赤に染まった頬と、三日月顎を両手で隠しながら、
「たたら濃き日をや!」
と、駆け去っていった。
嶋成は、とくとくとく……、と高鳴る胸を持て余しながら立ち、呆然と、
「たたら濃き日をや……。」
とその背中を見送った。
「しーまなりー!」
「し・ま・な・りー! この
と
「…………。」
あまりの大鍔売の可愛さにぼんやりとなった嶋成は無言でその気合を受け入れ、
「良い子じゃないか!」
真比登の気合が背中に炸裂し、その怪力ゆえ、ふっとんだ。
「あ。」
しまった、と真比登は後悔するが時すでに遅し。
嶋成は幸福なにやけ顔のまま軽く大空を飛び、やけに時間の経過が遅く感じられ、空中で、
「ああっ!」
と大口を開けて驚愕する花麻呂と古志加をたしかに見てから、どべちゃっ、と地面に顔から着地した。
真比登が慌てて駆け寄ってきて、
「すまん!」
と嶋成を助け起こした。
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