第六十六話  八穂蓼、其の四

 大鍔売おおつばめは懐から手布をだした。


「あたしが刺繍した布です。あなたの親切に感謝しながら、縫いました。

 これをお礼に……。」


 望陀もうだぬの

 高価な、麻としては最高級品といえる布であり、郷人は、まず手にする事はない布である。


 それに、得意のうぐひすの刺繍を縫い付けた。蝋燭二本の時間をかけ、朝も早起きし、仕上げた。


 刺繍は見ごたえがあり、立派なものだし、布としての価値もあがる。

 豪族の娘が、身分ある人に贈り物とするのに、ふさわしい品だ。

 ただの兵士相手には、高価すぎる品。


(きっと、嶋成はびっくりするわ……。)


「あなたはこんな布、見たことがないでしょうけど……。」


 と嶋成に手渡す。

 嶋成は、びっくりするどころか、嬉しそうに笑い、


「ありがとう。望陀もうだぬのですね。」

「えっ?」


 あっさりと、布の名前を言いあてた。


「どうしてわかったの?」

はばが二尺八寸(約83cm)だし、糸が細く目が細かい。望陀もうだぬのの特徴です。」

「あなた、何者なの───?」


 あたしは叫んだ。

 まわりの鎮兵たちが、


「ああ……。」


 と、何かいわくありげな顔をした。

 福耳の背が高い鎮兵が、


「皆、言っちゃ駄目だ!」


 と叫んだ。


「は? なんなの? どういう事なの?」


 あたしは皆をキョロキョロ見回す。

 福耳の男が、


「嶋成はただの鎮兵です!」


 と、満開の笑顔で言った。

 笑顔の圧力が強い。

 カッ、と後ろから幻の後光がさして見えた。

 若大根売わかおおねめが、


「この人がみなもと、あたしの許婚いいなずけです!」


 と、満開の笑顔で言った。

 源と若大根売わかおおねめが並んで立った場所から、カッ、と強力な後光がさして見えた。眩しい。


「えええええっ!」


 源は背が高い。若大根売わかおおねめは小柄な女性。


(大きい! 小さい! こんなの有りなの?! あ、でも、この人、顔が良いわ……。)


若大根売わかおおねめ、今度、馴れ初め、聞いても良いかしら?」


 あたしは照れながら、頬に手をやった。

 やっぱり、恋愛の話は、興味がある。


「もちろん!」


 とそばかすのある若大根売わかおおねめは、にっこり笑った。


 あたしは、嶋成に向き直る。

 

 きっと、嶋成とみなもとが並んだら、若大根売わかおおねめの許嫁のほうが見栄えがすると、皆が言うだろう。


 でもあたしは嶋成が、無欲で、優しくて、人を笑わせるひょうきんなところがあって、誰よりも素敵な大人のおのこなのだって、もう知っている。


 なんだか、謎めいてる人だけど……。


(あなたに会うの、これで終わりにしたくないの。

 あたしがここで生まれ変わって、自分を好きになれるまで、あなたに見ていて欲しい……、なんて、思っていても言えないわね。)


 心臓しんのぞうの鼓動が早い。

 頬に熱がたまる。


 それでもあたしは、笑顔で、嶋成を見つめ、


「またここに、会いに来ても良いかしら……?」


 と、大事なことをちゃんと訊いた。



   *   *   *



 嶋成は、大鍔売おおつばめから見つめられ、胸が高鳴った。


 年若い女官は、潤んだ目で、頬が赤く、にっこり笑っている。


(こんな風におみなから見つめられたのは、いつぶりだろう?)


 顎が大きい、性格が良くない、あれはないな、と思った自分をすっかり忘れ、


(顎が出てたって、可愛いじゃん! ふっくら体型、好みだし……。え? 何これ。脈ありなの? 春なの?

 オレにもとうとう春がきたの───?!)


 舞い上がり、


(はっ、落ち着けオレ。彼女は、命を助けられて、感謝してるだけだ。

 大人のおのこの余裕を忘れちゃいけないぜ……!)


 調子にのった場所に着地し、くいっと片眉をあげ、自分では、すこぶるだと思っている笑顔を作った。


「ふっ……、もちろんです。」


 それは、まわりから見たら、ずいぶんかっこつけた、やり過ぎで、正視に耐えぬ笑顔だった。源は、


「…………!」


 と声を失い、天地の裂け目を見るような絶望の顔になり、そばにいた久自良くじらは、やきもきしながら、


「なんでそんな顔するんだよ! 乞食者ほかひ(祭りなどで道化を演じ笑わせる者)じゃないんだから!」


 と小声でつぶやき、他の鎮兵たちも、


(これは引くわ。)

(終わったな。)

(あの女官、どうする……?)


 と固唾をのんで見守るなか、大鍔売おおつばめは口元を領巾ひれで隠し、


「嶋成ったら面白ーい!」


 楽しそうに、ころころと笑った。


(え──────!!)


 鎮兵たち、真比登も、皆驚き顔になった。

 嶋成だけ、この危機を察知せず、


「あはっ? そうかなあ?」


(何が?)


 とわからないまま、テレテレと頭の後ろをかいた。


「うふふ、また来ますね。味澤相夜あじさはふよをや(さようなら)。」


 と大鍔売は口元を領巾で隠したまま、嶋成に流し目をよこした。顎を隠すと文句なく可愛らしい美女、流麗な流し目である。

 嶋成は、鼓動が一気に跳ね上がった。

 大鍔売は、皆に礼をし、しとやかに歩いて、若大根売わかおおねめと去っていった。

 残された嶋成が、


(ふわあ〜……。こんな、心のこもった刺繍の手布をくれて。良い子だぁ……。)


 と幸せな気持ちで、締まりのない笑顔を浮かべ、もらった望陀布もうだぬのを握りしめていると、


「ししし嶋成ー!」

「話を聞かせろー!」


 と鎮兵たちが嶋成のまわりに殺到した。






   *   *   *





 ※望陀布もうだぬの……上総国望陀郡、現在の千葉県木更津市・袖ヶ浦市のあたりで織られていた、品質の良さで有名な麻布。

 布は、調ちょう、つまり税金として収められる関係で、はばが決まっていた。

 一般的な調布の規格が、巾二尺四寸(約71cm)なのに対し、望陀布は、巾二尺八寸(約83cm)であった。










 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078766224079


 ↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088433439950




 

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