第六十五話 八穂蓼、其の三
あたしが泣きそうな顔をしていると、
「
とにっこり笑って言ってくださった。
* * *
佐久良売は、自分の部屋に
(泣きそうな顔をしてたもの……。放っておけないわ。)
「大鍔売、さきほど、副将軍殿の従者に、何か言いたげだったわね?
思うことがあるなら、あたくしに話してくださらない?」
(初日とはうってかわって、真面目に仕事に取り組んでくれているけれどやっぱり、医務室の仕事が辛いって従者に訴えたかったのかしら?)
佐久良売は、大鍔売に、
───心をこめて負傷兵の手を握り、顔を見て、頑張って、と言いなさい。笑顔を浮かべる事も忘れずに。
小さい事に思えるかもしれませんが、それだけで、助けられる命もあるのですよ。
と教えた。
しかし、医務室では、そのような事は言ってられないのである。
佐久良売も身分の高い郎女ではあるが、率先して、手本を見せた。
大鍔売は、始めは唇を噛み締めながら、負傷兵の手を握っていたが、
───ありがとうございます。親切な方……。
という負傷兵のお礼の言葉を聞くうちに、次第に顔から不自然な力が抜け、目には力強い光が灯り、心のこもった様子で、
───頑張ってください。傷は治りますよ。
と声をかけはじめた。
(これで良いわ。)
と佐久良売は思っていたのだが……。
顎の目立つ顔立ちの
「あの……、あたし、人を探してるんです。あたしに良くしてくれた鎮兵なんですけど、全然見つけられなくって……。
大川さまの従者が知ってたら教えてほしかったんです……。」
「そうなの。なら、あたくしが力になれるかもしれなくてよ?
「それが、わからないんです。鎮兵の嶋成って事しか……。」
「あら、嶋成さま?」
「ご存知なんですか!? 鼻が特徴的な方です。」
「ええ。鷲鼻よね。」
大鍔売は驚き、すぐに
「嶋成……さま? 佐久良売さまが、さま付けして呼ぶのですか? あの人、一体、何者なんですか?」
佐久良売のなかで、ぴーん、と女の勘が働く。
(ほのかな恋の予感がするわ!)
前に、
───嶋成は、身分を隠して、一人の
と言っていた。
なら、
(うふふふ!)
佐久良売は上機嫌に笑い、
「嶋成は、
あたくしは、
「まっ、まあ、佐久良売さまっ! そんな事を
年若い
(可愛い反応だこと。これで、嶋成さま、と呼んだことを
「もう、兵士が戰場から帰ってくる頃合いね。
いいわ。この後すぐ、
すぐに嶋成は見つかるはずよ。わからなかったら、あたくしの
「ありがとうございます!」
大鍔売は、嬉しそうに笑った。
* * *
嶋成は、まだ左足を少し引きずっているが、戰場に立ち、今日も愛馬、
戰が終わってから、
左足は引きずるが、心はのんびり。
ぷらぷらと歩く。
道の向こうから、三人の女官が歩いてくるのが見えた。
(あ、先頭の子、この前、医務室で看病してくれた子だ!
可愛い子だよなぁ。よし、声かけてみるか!)
「よ、よう、この前会ったよね!」
嶋成は、思い切って声をかけてみた。
三人は
「ほら、医務室で会った……、優しく看病してくれて、ありがとう。よ、ヨカッ。」
声が裏返った。
(くそ、どうしてオレは肝心な時に声が裏返るんだ!)
「良かったら、今度、ゆっくり話さない……?」
なるべくかっこ良く見えるように、目には男らしい自信を、口元には優しさを意識して、笑顔を向ける。
「ぷ───っ! くすくす……、変な人!」
「嫌ぁね、看病してるのは、お務めだからよ。勘違いしないでほしいわ。」
「そうよそうよ、兵士が気安く話しかけないで欲しいわよね。」
「そうよそうよ。」
「行きましょ。」
「行きましょ!」
女官三人は、つん、と顎をそらして、早足で歩き去ってしまった。
「ですよねぇー……。」
嶋成の虚しい独り言が、二月の風に溶けてゆく。
寒い。
寒いよ。
心が寒い。
嶋成は、肩を落として、歩いてゆく。
伯団戍所についたら、
「あ、来た、あれですよ!」
と
真比登のそばに立っていた
一人は
もう一人は……。
(あ、あの子だ。)
顎が三日月に前にせりだした女官、
井戸に身投げしそうになっていたのを、間一髪、嶋成が助けた。
大鍔売はふっくら肉付きの良い身体を弾ませながら走ってきて、
「嶋成! 三日前には、あたしを助けてくださって、ありがとうございました。」
と花咲くような笑顔を向けてくれた。
その華やかさに、嶋成はちょっと驚いた。
三日前には、もっと思い詰めた顔をしていたから……。
「あ、どういたしまして……。
嶋成は照れた。
三日前には、自分も調子付いて、色々言ったような気がする。
今さら、ちょっと恥ずかしくなる。
* * *
大鍔売は、胸に嬉しさがあふれ、自分が自然と笑顔になっているのを感じる。
(やっと会えたわ!)
嶋成。
鷲鼻の男。
くりくりした目。
背丈は普通で、肩幅は、男としてはちょっと狭め。
(間違いない、あたしを助けてくれたのは、この人よ!
もう会えないかと思ったわ……。)
「はい。佐久良売さまの言いつけ通り、医務室で、医師の手伝いをしています。ここに残れたのは、あなたのおかげです。」
ハキハキと喋ったあと、心のなかで、言葉を付け足す。
(あたし、頑張ってるんです。あなたが、人は生まれ変われるんだぜって言ってくれたから……。)
これは恥ずかしくて、口にはできない……。
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